オルセー美術館展
国立新美術館で「オルセー美術館展 印象派の誕生−描くことの自由−」を観た。京葉線八丁堀下車、東京メトロ日比谷線に乗り換え日比谷で下車、東京メトロ千代田線に乗り換え乃木坂下車、乗車時間1時間あまり。駅まで駅からの20分と切符売り場での行列10分、1F軽食ビュッフェでの昼食の15分、入場のための行列10分を入れると、会場に入るまでにまあ2時間はかかった。
私はわんさか美術展は大嫌いだ。この美術展はもう終わりが近くなり、読売新聞社の無料招待券の期間が切れた後だし、週日でもあるから少しは空いているかと期待していたが、全くのわんさかだった。朝日新聞のチューリッヒ美術館展が同時開催だが、こちらは行列なしに入場できている。押されながらトコロテン式に絵の前を流れるのはいやだから、550円のイヤホンガイドを借用した。通りの良い声(ナビゲーター:東出昌大 解説ナレーター:秀島史香)で、話の内容も良かった。古代、中世、近世、ルネッサンスと続く伝統の絵画から印象派がいかに脱皮し新天地を開拓したかという、副題の「描くことの自由」に重点のある解説だった。バックミュージックも絵の雰囲気に合っていた。後方で立ち止まってガイドを聴き、必要ならさっと前に割り込むのである。以下かなりこのガイドの受け売りが多いが、私なりの気に入った絵画への印象を書き記す。休憩時間を入れて2時間弱もいただろうか。
部屋は全部で9室。第1室に、本展覧会広告のすべてを飾るマネの「笛を吹く少年」がある。大作だ。でもサロン落選作だった。サロンは当時のフランスの画家の登竜門で、日本の帝展のような存在だったらしい。この絵のガイドではないが、応募6千点落選3千点と云った入選率で、印象派がまだ世に認められていない頃は新機軸の絵はぽろぽろ落ちたようだ。この絵は意識的にフラットで、遠近法から外れた描き方だ。しかも背景は一切省かれている。浮世絵の影響が濃いと素人目でも判る。このマネがサロンに拘り、8回続いた印象派展には、最後まで出品しなかったという点が面白い。笛のファイフは短い木製の横笛で、復元音声は柔らかではない。展示会場中間の休憩室にある解説で、描かれた少年の制服はどうも軍楽隊のものらしいと知った。
バジールの「バジールのアトリエ、ラ・コンダミンヌ通り」は、作者のアトリエに集まった印象派画家が議論を戦わせている様子を中心に描かれている。画面左上の裸婦像は、サロンに落選し、怒ってのちに破棄されたというガイドがあったように記憶する。マネの「シャクヤクと剪定ばさみ」のシャクヤクはあまり色がパッとしないが、品種改良はまだ進んでいなかったのか。アジア北東原産のシャクヤクが、描かれた1864年にはもうフランスでは一般的な花であったとも知る。隣の同じマネの「ウナギとヒメジ」を見て、ウナギが画題になるほどの食材だったのだと知る。でも主にクルーズ船15年の経験だが、フランス料理にウナギが出た記憶はない。ウナギと云えば蒲焼きと来る日本人には出しにくいのかも。調べてみると、ウナギのワイン煮などウナギ料理はフランスに豊富にある。印象派はありのままを肩肘張らずに描いているから、生活史資料的価値もある。
ミレーは似たような構図の農村風景をたくさん描いた。「種を蒔く人」「落穂拾い、夏」を山梨県立美術館まで見に出掛けたことがあった。ただの「落穂拾い」はこのオルセー美術館にあるというからややこしい。今回は「晩鐘」で、同じ農村風景でも畑の中の農民の敬虔な信心が主題だ。カイユボットの「床に鉋をかける人々」では、リフォームするのだろう、床を大工3人が腰を屈めながら削っている逞しい労働の姿だ。思うだけで重労働である。水分補給のための瓶とコップがアクセントになっている。カユイボットは印象派の絵を重点的に集めた収集家で、収集品のルーブルへの寄贈をルノワールに遺言したという。我々が纏めて印象派を見ることができ、印象派が正しく世間にそれも早々に評価されるようになった原動力になった。
ドローネーの「ローマのペスト」の説明は面白かった。天使が悪魔に戸扉を叩かせている。いずれその家からペスト患者が死に向かうはずだ。道路にはペストによる死者が何人もうち捨てられている。中世ではペスト死はキリストの思し召しなのだ。背景に騎乗の勇士の彫像が淡く描かれている。ローマの栄光と対称的なペスト禍が観る人に訓戒を与えているように見える。印象派だって歴史画を画く。しかし理想化された勇士や聖人ではなく、庶民を襲った黒死病の惨状を題材にしたところは流石である。ひとたび流行すると時には人口が半減したと聞く。
ジェロームの「エルサレム」はただの風景画のようだが、左端に描かれている人物群像は、キリストの磔と処刑を終えて引き上げるローマ軍団だという。キリスト教世界最大の事件をさりげなく遠望している描き方は、まことに新鮮である。磔とか嘆きのマリアあるいは信者を真っ正面から見据えた絵は、何度か見ているからだろう。小品だが、メッソニエの「フランス遠征、1814」はナポレオンの馬上の勇姿だ。勇姿と書いたが、1814年は第1帝政最終年で、ナポレオンはプロイセン軍、スエーデン軍、英軍などの大包囲軍に対し、1/7ほどの兵力で絶望的な戦闘を挑もうとしていた。泥道の行軍の姿である。会場では細かな表情までは見えなかったが、休憩室に置かれてあったガイドブックには、トリミングされた人物像の2p.に跨る写真があって、しっかり悲壮感と云うか硬い表情を掴むことが出来た。
風景画はどれも見て楽しい。シスレーの「洪水のなかの小舟、ポール=マルリー」は、雪解け水で起こったセーヌ川の洪水と川辺の町のスナップ写真のような風景である。ポール=マルリーは街の名だ。洪水と云っても、日本のように、激流が家屋も何もかも洗い流すといった質のものではなく、大河からあふれ出た水が平野を水浸しにするが、石造りの家屋はびくともせず、人々は小舟で往来すると云う大陸的景色だ。画伯は小舟で大急ぎで飛び出し、スケッチしたのだという。絵にある家屋は今も健在だという。住み心地はどうか知らないが、石造りの家屋は何世紀もの単位で後世に残るから、自然と生活史が身体に染み込むようになり、郷土愛に繋がる。その点はいつも羨ましいと思う。モネの「かささぎ」ほか、雪景色を扱った絵画が目を惹いた。豪雪地帯なんぞはないらしい。
肖像画の評判は画家の生活を支配する。婦人肖像画が多いが、無縁の人たちだから、あまり興味が沸かなかった。ルノワールの「アルトマン夫人の肖像」にはグランドピアノと演奏者が背景に描かれている。アルトマンが音楽編集も行う経営者だったという。夫人は堂々の押し出しで、おかみさんという雰囲気に仕上がっている。ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント第1番」は絵に音の調べを感じた画家らしい題名になっている。母がモデルだが、立ち姿が母の疲労に繋がるのを恐れて、椅子に座らせたという。「記念写真」を取るときに我らがよくやるように、画家に一斉に顔を向けるポーズで描かれたバジール「家族の集い」に対して、ティソの「ミラモン侯爵と侯爵夫人と彼らの子供たち」では、まっすぐに視線を当てているのは夫人と抱かれている幼児で、夫は中途半端、少年は別方向になっている。どちらもあり得るケースだと感心した。
第8室のモネの「草上の昼食」は今回来日作品中の最大作品である。家賃が払えずに家主に引き取られたが後で買い戻した。でもそのときは破損がひどかったので、その部分を切り捨て、2作品に分割せざるを得なかったという。セザンヌの同名の小品を意識して製作されたという。庶民と云っても富裕層だろうが、その家族のピクニック風景で、日本でやっと根を下ろした家族団欒とか家族サービスが、フランスでは百何十年昔から常態であったらしい。同じモネの「サン=ラザール駅」は確実なスケッチの下に、やや淡く明るい色にした鉄骨、ガラス屋根の蒸気機関車がいる駅風景だ。まだ鉄道が珍しかった、駅も珍しかった、鉄骨やガラスも珍しかった、今なら新幹線東京駅風景といった雰囲気だったろう。
第9室のマネの「婦人と団扇」が描かれたころすでに日本は開国していたが、絵のなかの団扇は江戸時代後期の図柄であろう。ジャポニズムという言葉が直接的に当てはまる絵だ。小笠原諸島にクルーズして固有種生物を勉強した。固有種はたいがいが外来生物種に対して弱い。鎖国の島国の生んだ固有種文化が、価値ある文化の一つとしてフランスの芸術家に認められた日があったのは誇らしい話である。千葉市美術館は江戸文化の流れを重点的に展示している。浮世絵ばかりを見るのは退屈だけれども、青少年が外国にのめり込まない大人の姿勢を育むのには良い場所になっている。
('14/10/10)