
- 買ったばかりの自転車が盗まれた。鍵がこじ開けられ住まいの駐輪場から持ち去られた。ところが防犯登録のおかげで一月ほどしてから出てきたのである。連絡をしてくれたのは派出所巡回のお巡りさんであった。私の家から10kmほど離れた新興住宅街からである。
- 自転車には新しい鍵が付けられハンドルは盗られる前とは角度が違っていた。明らかに盗人は自分の車として使うつもりであった。よくもまあ見つけだしてくれたものである。盗人は高校生でチラと見たら始末書に父親の念書らしいものが見えた。だいたいは想像できる手順で父親の保護観察程度の処分であったらしい。
- 盗人について私の知っている内容はその程度である。本人はもちろん保護者からの挨拶も一度も来ない。直接行けば恐ろしい目に遭うかも知れぬと懼れているなら巡査を通せばよい。なぜ謝りの伝言一つ巡査に言伝できないのだろう。私は無記名のハガキ一つでも貰ったらそれで水に流せるのにと腹を立てている。
- 始末書を書いたら社会的制裁は終わったからあとは晴れて無罪放免で、社会からは平等に扱われるべき身と考えるのが現世風なのであろうか。犯罪歴がありながら大臣になって償いは執行猶予期間が過ぎたから終わったという議員がいたが、そんなに甘くなかったことはついこの間第二次橋本内閣閣僚辞任劇で立証済みである。社会の、犯罪に対する怒りは決して甘いものではなく、加害者の被害者に対する道義的責任の取り方が社会から許されるか否かの目安になると私は思っている。
- 司法の処置に加害者に対する責任の取り方を何らかの形で配慮すべきである。私的制裁では公正が保てず過激になり易いであろうから公の手で裁くのだろうが、基本は被害者の受けた痛みを癒す償いであるべきで、被害者には品が返ったから文句無かろう、法に触れた点は警察官に謝って終わりでは本来の司法の目的にそぐわないように思うがいかがなものか。
('97/10/24)