日本橋・神田川リバー・クルーズ

私はリバー・クルーズの経験がない。トラピックス社の広告が出たので迷わず応募した。値段は手頃で、保険料を入れても5千円を切った。大人気のようで、空席はその日のその時間だけだった。我が家からは1時間半ほどで、日本橋船着き場に着く。小雨がその頃から降り出し、クルーズが終わるころに上がった。クルーズ船は屋根なしで、満席(40有余人)だったために、傘はさせず、船内で売っていた100円のビニールカッパで凌ぐことになった。不完全なカッパだったが、小雨だったので助かった。
船の出発は11:50、トラピックス以外の船も次々に出発する。さて日本橋川を遡る最初の内は、東京五輪に合わせて建設された高速道路の橋桁の下だから、小雨はあまり気にせずとも良かった。例によってデジカメで写真を撮りまくる。メモ代わりなのだ。中型のサギ1羽を見た。全体に黒いからクロサギだろう。川の浄化が進み魚が住むようになるにつれ、水鳥もやってくるようになったという。それでもこの川の一部では淡く悪臭が漂う。
東京は橋の展覧会場だと聞いていた。実用的な橋がほとんどだが、道路元標の日本橋を始め、日本首都の威信をかけて作った美術的な橋もある。だが、大震災に戦災で、昔の風情を伝える橋は皆無だ。京都嵐山の渡月橋のような、あるいは三条大橋程度でも良い、歴史の面影を残そうという感覚は東京都には生まれなかったのだろうか。名前はさすがに過去を引き継いでいる。「寛永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」、人文社、'95とコースを対比してみる。150年ほど昔からの運河の開削埋め立て状況がよく分かる。縦横に張り巡らされていた千代田区の運河は、日本橋川と八丁堀近くの運河(亀島川)を除いて、海よりはほとんど姿を消した。神田川の分流になったのは明治36年からで、神田川の天下普請で埋められていた部分が再度開削されたという。それとお城の守りと直結しているからだろう、切絵図には日本橋の次が一石橋、それから常盤橋、神田橋、一ツ橋、雉子橋しかなく、明治以降に数多くの橋が増設されたことがわかる。
一ツ橋から雉子橋にかけての皇居側は昔の石積みの城壁が残っている。御三家が屋敷を構える、本丸近接の重要拠点であったろう。天下普請でかり出された大名の家紋を残す積石が幾つもある。日本橋川は神田川と小石川橋川下側あたりで合わさって終わる。分流手前にJR中央本線の鉄橋がある。両側の橋台は赤煉瓦だ。英国の建設技師が英国から運んだ煉瓦だという。日本橋付近では、東京湾の潮の干満に対応して橋脚には2mほどのマークが付いている。クルーズは干潮の時で、満潮時に低い橋の下を潜るには用心がいるという。
神田川に入り、川に覆い被さっていた高速道路が無くなり、小雨が直接降りかかるが重苦しい気分は晴れた。と云っても後楽橋あたりまでは川筋は狭く、無機質なコンクリート河壁と美的でない中小のビル街が続く。ヨーロッパの都会風景がよくTVで紹介されるが、あのような街全体が醸し出す美観を、東京に期待することは出来ないのだろうか。大型のゴミ収集船が停泊していた。エンジンは搭載せず、曳き舟で曳航される。江戸時代からの川運は、こんな用途に命脈を保っている。水道橋あたりからは眺望が美しくなる。進行方向右に中央本線の電車がひっきりなしに往来し、左岸の緑が目を休めてくれる。東京医科歯科大のキャンパスがあるあたりまでがいい。左岸に半暗渠の凹みがあり、大型貯水池(出水対策)と繋がっているそうだ。そのほか暗渠化された旧河川が神田川と合流する川口があちこちに出てくる。東京メトロの地下鉄・丸の内線が神田川を跨ぐ鉄橋がお茶の水橋あたりから見えてくる。総武本線が分離し、煉瓦肌の旧万世橋駅を右に見ながら、徳川5代将軍綱吉の母、桂昌院との縁が深いという柳森神社を通り過ぎた。小さなお社だ。でも取り残されたように和風だから目に付く。桂昌院は綱吉の実母で、悪名高い生類哀れみの令発布に影響力を行使したと聞く。ややましになった中小ビル街をとおる。美倉橋付近だ。浅草橋を越すとずらっと屋形舟が並ぶ。江戸時代の川舟は小さい順にちょき舟、屋根舟、屋形船で、その基準では屋形ではなく屋根舟だと説明があった。雨でなかったら、そのどこかに着岸して、名物のつくだ煮などのお土産を買う機会を作るのだがとガイドさんは云った。
隅田川に出る。総武線鉄橋の向こうに東京スカイツリーが見える。大型のリバークルーズ船が行き交う。大型屋形船スタイルのモノもあるが、とりどりの近代的なデザインのクルーズ船を見れて楽しかった。隅田川は昔は大川と云った。でもヨーロッパの河川と比較すれば中小河川だ。ライン川だと2千トンを越すリバークルーズ船が運行されるが、ここのは大きくても1千トン止まりだろうと見ている。隅田川に架かる橋のデザインには見栄えに力を入れた。永代橋は、ドイツ ライン川に架かっていた ルーデンドルフ鉄道橋をモデルにしたという。その御本家は二次大戦で破壊された。昔を懐かしむドイツ人がときおり永代橋を見に来るという。隅田川大橋で船は180℃旋回する。舟先に清洲橋を挟んだ東京スカイツリーが浮かぶ。清洲橋は吊り橋様の、永代橋とは対称的な優しい姿の橋である。ガイドはここが東京スカイツリー鑑賞のベストポジションだと云った。永代橋の奧に高層マンション群が見える。なかなかの景観である。マンションの所在地は豊洲あたりなのであろうか。隅田川大橋川上のビル・リバーゲートは目立つ存在だ。大きいのと門型に中央下部が空いているからだ。River Gate(川の門)と書くのだろう。
永代橋手前で右に折れる。日本橋川河口である。江戸時代には蔵が建ち並んでいた。蔵は1蔵ごとに造り替えるから、川岸の小さなビル群は元の蔵の大きさを示すそうだ。酢のミツカンのビルが続く。長いのは蔵何基分かを一度に建て替えたからだろうと勝手に想像する。埋め立てを免れた亀島川を左に見て兜町の証券取引所を見、江戸橋を過ぎて日本橋船着き場に戻った。船着き場に着岸する前に日本橋を1周してくれた。
私は江戸期の江戸を中心とした時代小説が好きである。「御宿かわせみ」「鬼平犯科帳」「剣客商売」などことに気に入っていた。それらの小説には江戸の「八百八橋」が巧に織り込まれている。前出の「江戸切絵図」は、京都育ちで東京には疎い私が、時代小説を読みこなすのを第1の目的に買った本である。でも実地に見ておきたいとも思っていた。今回のクルーズには満足している。クルーズが終わってから知ったが、現地受付の定期乗合クルーズ船は同じコースが2500円で、えらく割安だった。その定期船にはコースもいろいろある。江東区の運河めぐりも可能のようだ。一度は乗ってみたい。小型のクルーズ船には便所が付いてないから、乗船前に用を足しておく必要がある。便所は近くの集合店舗内にある。クルーズの90分のほかに、30分ほどの余裕を持っておくといい。

('14/8/24)