バイオテクノロジーの教科書(上)V
- VはR.レンネバーグ:「バイオテクノロジーの教科書(上)〜基礎・食品・環境〜」、講談社Blue Backs、'14の第4章と第5章に対応する。
- 化学工場在勤のころ、管理職全員が公害防止管理者資格を取ることになった。その中に水質が含まれていた。面白くもない国家試験で、何を勉強したのかあまり記憶に残らなかった。本書に、中心的話題の一つであった活性汚泥法の微生物工学的背景が載っている。その他の項目と同じく、歴史的背景にもページが割かれている。この歴史的背景は学ぶ方にとって重要だ。私は大学で有機化学を学んだとき、古本屋で旧制時代の教科書を探し出して読んだ。ドイツ語で、ベンゼン核構造決定の歴史がかなり詳しく記載されていた。そのときそのときの限定された実験データから最善の推論をする。理系の学生を育てるのに、歴史的背景は必要なのである。実務の国家試験のテキストであっても、基礎と歴史ぐらいは入れておくべきだ。
- 活性汚泥の説明欄に窒素の行方が書いてある。亜硝酸菌と硝酸菌による硝化がある。明治維新までの火薬は黒色火薬だったが、日本には硝石は存在しない。でも硝石は活性汚泥の原理を使って製造されていた。本Webサイトの「五箇山定期観光バス」('10)に、加賀藩に納入されていた五箇村の硝石の製造K/Hを記載している。活性汚泥の原理というと聞こえはいいが、何のことはない糞尿を使った堆肥作りの一変法だ。左様、日本の伝統的糞尿処理法の一端に繋がっている。本Webサイトの「長岡京遷都」('07)に、中世ヨーロッパの不潔極まる糞尿処理法が書いてある。ローマの遺産(水洗式)はお尻の始末については引き継がれなかった。日本のそれは衛生的には満点である。最後は肥料となる。「男はつらいよ〜旅と女と寅次郎」で寅さんが野壺に墜ちた話をする。野壺は農耕地の糞溜で、私の年配の人は、野壺に墜ちて糞だらけになった経験のある人がいる。つまりリサイクル上も完璧で、温暖化対策としても非の打ち所がない。ちょっと臭い(アンモニアと硫化水素)だけ。それに余裕のある豪農では便所は建屋としては分離されていた(本Webサイト「乗るだけの一人旅」('03)の宮城県立博物館)。
- メタン菌は古細菌に属すそうな。私どもが習った生物に古細菌という分類はなかった。酸素に乏しい地球誕生の初期に似た極限環境におおく見られるという。牛のゲップはメタンリッチで、放屁のガスと合わせると、地球のメタンバランスに大きな比重を持つ。さらに大きいのはシロアリという。炭酸ガスよりずっと大きい温室化効果があるから、その生成量は要注意だが、嬉しいことにその年増加率は低いらしい。念仏のように温室効果が怖い怖いと云うのではなく、数字で示している点に好感を覚える。
- 木更津沖でのタンカー衝突事故で石油が流出し、海岸一帯を汚染したニュースはまだ耳新しい。世界最大のタンカー事故は'89年のアラスカにおけるエクソン・バルディーズ号の24万bbl原油流出である。本書には、「岩や小石に付いた石油被膜は、昔ながらの方法で増殖させた細菌によって分解された。」とあるが、Wikipediaにはいまだ汚染からの快復は十分でないとしている。油田や石油タンクの周辺には、石油を食う細菌が生息する。石油は鎖状、環式、脂環式あるいは複環式のいろんな炭化水素を含む。それらの分解を一種類の細菌で行えるように、遺伝子操作を行ったシュードモナス菌研究者がいる。残念ながらこの人工生命は新たな環境問題の原因になる可能性があるとして、実用化を否定された。だがシュードモナス菌は、米国の生物特許の道を開くことになった。
- 次の世紀を迎えるころには地球の人口は100億になる。今の農漁業では食料はとても足りない。石油が安いころに話題になった石油蛋白もメタノール蛋白も、技術上の可能性は残ったが、まだまだ問題を抱えている。牛のように人が草から栄養を取ることが出来れば、世界の食糧問題はずっと明るくなる。こんな話は昔から出たり入ったりしていた。食料でなくてアルコールに出来るだけでもいい。それにはリグノセルローズの分解から始めねばならない。麦わらや木材のリグノセルローズは、セルローズ:ヘミセルローズ:リグニンが4:3:2の割合で、微生物から身を守る堅固な構造を作っている。だがこれを食い破る天敵がいる。シロアリであり、木食い虫であり、白腐れ菌であり、青変菌である。彼らの分泌する酵素を利用しよう。まだ経済的に成り立つほどの分解速度ではないが、おいおいと微生物工学の実力は上がっているようだ。原油価格が110$/bblに高止まりし、下がる気配がないから、コストが70$/bblと云われるオイルシェール原油も動き出した。同じことがリグノセルローズにも起こるのではないか。
- 京大プロセスという6pにわたるコラムがある。本書はTの冒頭に述べたとおり、日本人研究者の業績をたくさん紹介しているが、こんなに長文の紹介はほかにない。山田秀明現名誉教授が率いた「山田研」の6つの工業化プロセス開発物語が出ている。その酵素法アクリルアミドは世界生産の1/3に達している。コモディティケミカルズの生産を微生物工学により成功させた点で、画期的であった。ビタミンのニコチンアミドはスイスのロンザ社で工業的に生産されるようになった。パーキンソン病の特効薬L-DOPAは味の素、D-アミノ酸はカネカ、ビタミンのD-パントテン酸は第一ファインケミカル、母乳重要成分のアラキドン酸はサントリーでそれぞれ工業化された。
- ゴールデンライス(黄色の米)の開発物語が6pあまりのコラムとして記載されている。遺伝子組み換えにより、内胚乳にビタミンA(実際はその前駆物質のβ-カロチン)を多量に含む米の新品種である。内胚乳でなければならない。米糠(外胚乳)は栄養豊富だから玄米食を食え、と戦中は黒い飯を食わされたが、まずくて消化が悪いから敗戦と共に流行らなくなった。世界の米食民族の中には、バングラデシュの例が引いてあるが、ビタミンA不足に悩む民族がいる。でも玄米食は食わない。精米する。ゴールデンライスの成果は、ドイツとスイスの研究者から無償提供され、後進国にとって大きな福音となった。写真に出ているゴールデンライスはしかしインディカ米だ。我らのジャポニカ米にも同じ技術は可能だろうが、はたしてコシヒカリやコマチの味が損なわれないかどうか、我らは別にビタミンA不足ではないから、あまりニーズを感じないが、興味ある記事であった。
- 我が国のカキ養殖は盛んだ。カキの旺盛な食欲は海の浄化にも貢献する(本Webサイト:「四月の概況(2014)」)。3倍体染色体のカキ(マカキ)は、子孫を作れないが、そのために年間を通して風味がよく、肉付きも良い。天然の2倍体のカキは産卵期(夏)に香りを失う。3倍体は卵子を細胞分裂阻害剤処理することで得られる。広島の「かき小町」はこれだ。元来はカキは冬の食い物だが、いまや夏でも出荷できる。
- カネボウのバイオ口紅の赤い色素はシコニンである。古来からの漢方薬ムラサキ(ムラサキ科)の紫根(シコン)に含まれる。我が国の伝統の口紅は紅花(キク科)から得られたから、系統は違う。このムラサキをカネボウはバイオリアクターで培養し、抽出した。化粧品への利用としては世界最初の例になった。
- 我が国の消費者は遺伝子組み換え食品に拒否的反応を示す。輸入原材料を使う加工食品業者は大変だ。味噌にも納豆にも遺伝子組み換え材料は使っていませんと表示してある。私は直接体内に注射するのではなく、免疫能力十分な消化器で単位モノマーにまで分解してから体内に取り込む生体にとって(本Webサイト:「腸のふしぎ」('13)、「臓器の時間」('14))、遺伝子組み換え穀物など心配ないと思っている。問題はむしろ栽培地の環境生態の方だが、有害生命に対する選択性という点で、在来の化学農薬よりは数等勝っていると云えよう。除草剤に強い、害虫の繁殖を妨げる、病害菌に強い遺伝子組み換え作物は、'30年には、中国の輸入必要穀類が世界の全余剰量を必要とするという、明日の食糧問題の解決には「必要悪」技術になるだろう。
('14/6/9)