- 年に一度来るか来ないかの文楽だそうだ。前から3列目の、招待席手前の良い席が取れた。人形劇だからあまり後ろでは見難い。きっちりした身なりの老婦人が多かった。若い人も結構いたが。文化センターは中規模の劇場で、文楽には向いている。満員とは行かず8割程度の入りであった。文楽については関西ほどの歴史がない土地だからか。
- 公演最初に人形の操作についての解説をしてくれる。劇に合わせて首を選び、髪型を決め、塗色する。首をはめる胴は機能だけの構造体である。女人には足がない。足遣いが着物の下から握りこぶしで膝を作る。主遣いは人形全体を支えながら首、右手を使うのだからよっぽどの熟練がいる。左遣いはその次に難しい。右と動作を合わせるのだから。劇になるとすっぽりと黒衣だから判らないが、なるほど素顔の足遣いは若々しい。足10年、左10年とどこかに書いてあった。
- 艶容(はですがた)女舞衣(まいぎぬ)の酒屋の段が最初の出し物である。「今頃は半七様どこにどふしてござらふぞ」と若妻お園が柱に寄りかかるようにして家に戻ろうとしない夫半七を慕うサワリが出てくる段である。浄瑠璃の解説文では必ず「名高いお園の・・・」と紹介されるのだが、今日ではこのサワリが口に出る人はかなりの年輩である。その情景を写したパンフレットの写真をデジカメに撮ってこの小文に添付しておいた。とっくりとご覧下さい。若妻らしいいじらしさが出て、ほーおぉと思った瞬間であった。この首は眉、目、口いずれも動かぬ型のようである。義大夫は一人、三味線が一人だが、よく響く。これで赤子から爺さん婆さんまでを語るのだから大変な芸である。
- 紅葉狩は物語の時代を平安末期に置いているが、現代の作である。派手な音楽と激しい立ち回りで見せる作品である。私はこのとき初めて人形の手はものを掴めないことに気が付いた。扇子、刀、紅葉の枝と次ぎ次に小道具を取り替えるので、やっと主遣い左遣いが自身の指で掴んでいるのに気が付いた。
- 今回の浄瑠璃観劇は、阿波人形浄瑠璃で巡礼おつるのそれこそサワリを徳島の阿波十郎兵衛屋敷で見てからもう何年目かである。私の代はおつるぐらいは知っているが今の若い人たちはどうなんだろう。浄瑠璃の語り口が人口に膾炙していた時代から遠くへ来てしまった。近松がいかに世界に通用する文学思想の持ち主であったにせよ、彼が生きたころの社会背景は今では理解の外に押し出されようとしている。よくぞ今日まで持ちこたえてくれたと思う。今後は国家の文化事業としていつまでも存続させねばならぬ。

今頃は半七様どこに・・・・・・
('97/10/13)