バイオテクノロジーの教科書(上)U
- このUはR.レンネバーグ著、小林達彦監修:「バイオテクノロジーの教科書(上)基礎・食品・環境」、講談社Blue Backs、'14の第3章に対応する。
- 納豆菌や乳酸菌は細菌で原核生物、麹や酵母やカビは真核生物だ。いろいろ比較説明してある。ペニシリンが発見されたとき、ついにヒトは肺炎などの細菌性疾病に勝利したように思った。だがどっこい細菌は次第に耐薬品性を備えるようになり、ある種の病気は、薬剤開発と相変わらずいたちごっこをしている。ウィルスになると一般に耐性獲得はもっと早い。私の薬箱には抗真菌薬が何種類か入っている。水虫の薬だ。真菌というのはカビで、水虫もその一つである。あまりに直らないので、皮膚科の先生に聞いたことがあった。私の水虫はひょっとして耐性を持ったのではありませんかと。ウィルス、細菌、真菌と進化するにつれて、耐性獲得は複雑になり困難になっていったが、不可能ではなかろうと私は解釈していた。でもその先生は答えてくれず、同じ薬を処方した。今でも、私の質問が答えるに値しない愚問であったのか、それとも実験データがそもそも無いということか、まだ釈然としないままだ。
- 耐性は、ヌクレオチドの特定の位置を制限酵素が分解する、自らの特定の位置はメチル化で防護することにより生じる。耐性を引きおこした抗生物質は、この特定の位置を持っている。耐性菌は遺伝子工学の幕を上げた。主役は大腸菌である。これが研究対象の各種DNAの増幅装置になった。ハサミとノリで大腸菌のプラスミドにDNAを植え付け、菌を増殖させてからタンパク質に変換し、DNAとタンパク質の関係を調べる。ハサミに相当するのが制限酵素と呼ばれるもの、ノリがDNAリガーゼである。カエルあたりまではこれでいいが、ヒトとなると無理がある。ヒトのDNAには意味のあるエキソンと無意味なイントロンが混在しているから、タンパク質に変換しても無意味なアミノ酸列がめったやたら入ってくることになる。ヒトの細胞では、このイントロン部分を切り離した(スプライシングした)成熟mRNAにより合成が進む。この成熟mRNAから出発する。大腸菌に戻す2本鎖DNA作成には、レトロウィルスの逆転写酵素が活用された。現在ではDNA合成機により、全く人工的な遺伝子までも、短時間に製造することができるという。
- 医薬工業への応用はインスリン合成で花を開いた。糖尿病の特効薬である。私が現役のころは、豚や牛の膵臓から絞り出す貴重な医薬であった。しかもヒトインスリンとちょっとづつ構造が違っているために、効力はあるがヒトの免疫系から攻撃を受けるので、副作用に悩まされる品物だった。インスリンは複雑なペプチドで、膵臓ではまずプレプロインスリンの合成から始まる。エンハンサー、プロモーターの付いたインスリン遺伝子からmRNAを転写し、イントロン部を切り離して成熟mRNAになる。そこからプレプロインスリンに翻訳される。これは先頭に膜透過シグナル配列を備えたA鎖、C鎖、B鎖と繋がった線形高分子だ。C鎖はA+Bのインスリンの立体構造を作る役割を持ち、A+Bが無事スルフィド結合で結ばれると、切り取られる。膜透過配列も目的を達した後に切り取られる。この一連の仕事をランゲルハンス島細胞が取り仕切る。
- インスリンの放出を指示するホルモンがある。ヒトタンパク質ソマトスチンで都合のいいことにわずか14個のアミノ酸よりなる低分子量化合物だ。その構造に対応するコードに終結シグナル(ストップコドン)を繋いだ人工DNAを設計し、プラスミド挿入に必要な付着末端をつける。遺伝子発現にはプロモーターが要る。大腸菌では大量に存在するβ−ガラクトシラーゼ遺伝子がプロモーターに選ばれ、その下流に人工遺伝子がそっと挿入された。要所に単離容易なようにメチオニンのコードATGが繋いである。メチオニンは切り離しの標的にしばしば使われる便利なアミノ酸である。この大腸菌が増殖され、β−ガラクトシラーゼ〜ソマトスチン融合タンパク質が産生され、メチオニン分解薬品により培養液からソマトスチンが単離された。これが最初のヒトタンパク質合成となった。
- ヒトインスリンの合成はブタインスリンの改質から始まった。ヒトとブタはインスリンに関しては末端アミノ酸がスレオニンかアラニンかの差である。トリプシンは胃の中の万能のタンパク質シュレッダーだ。スレオニンエステルの存在下で、ブタインスリンの末端を切り取らせて、ヒトインスリンが出来た。ヒトインスリンの細菌による合成は、A鎖とB鎖を別々にβ−ガラクトシラーゼとの融合タンパク質として大腸菌に産生させ、継いでβ−ガラクトシラーゼを分解したのちに、A-Bを化学的にジスルフィド結合させる、ソマトスチンで学んだ方法により成功した。プロモータとの結合部分にはメチオニンを埋め込んで、分解の時に齟齬を来さないように工夫された。インスリン生成に使われるアフィニティクロマトグラフィーの簡単な説明がある。インスリン抗体を表面に担持した担体に混合液を流す。現役のころに、鋭敏な分析法として世間に広まり始めた方法だった。2分割法に次いで直接インスリンを産生する方法が成功した。この場合は、トリプトファン合成酵素との融合タンパク質として、プロインスリンが得られている。細菌での成功の次は酵母利用による方法であった。
- インスリンを患者に注射するときは、平衡の関係で6量体で存在する割合が多いという。有効なのは2量体や単量体だそうで、体内で6量体が変化するのに時間がかかる。それが患者にとって決定的な影響を与えやすい。今では即効性あるいは遅効性の、天然にはないインスリンもどきの薬剤が開発されている。インスリンの鍵穴構造はそっとしておき、会合能力を修飾基で変えているのだろう。
- インスリンは幸いにもアミノ酸だけの結合で機能を発揮できた。ポリペプチドとしての長さもそう長くはない。だが普通にはタンパク質が機能するには糖鎖とかリン酸あるいはヌクレオチド類の付加(翻訳後修飾)が必要だ。大腸菌ではまず期待できない。酵母は真核生物ゆえ多少の期待が持てる。事実原核生物で出来ない活性を見せる。B型肝炎ワクチンの製造に成功している。哺乳類動物細胞の核にベクター・プラスミドを持ち込み、増殖させる方法は、機構が複雑なだけ困難だが、機能性タンパク質の合成にさらに好都合と思われる。実施例は示されていないが、実用化可能段階にあるという。
- チーズ作りはカゼインミセル表面を覆う保護コロイドのκ-カゼイン分子の中間にあるペプチド結合を切断することで、保護コロイドの能力を低下させ、Caイオンで凝乳することより始める。切断酵素は子牛の第4胃にあるキモシンだ。第4胃ではキモシンにプロ配列が付いたプロキモシンがまず分泌される。これは不活性で、胃の酸性によって自己触媒作用でプロ配列をそぎ落として、活性のあるキモシンとなる。まず動物解体場で臓器回収をやり、RNA抽出分画、逆転写酵素によるプロキモシンcDNA合成ののち、大腸菌によるクローン化に成功した。現在は酵母を宿主とする分泌発現系になっているが、この組み替えキモシンは天然品同等で、米英チーズの8−9割が本製品を用いて製造されているという。
('14/6/1)