生命の行方を握る細胞活動

NHK SP:「人体 ミクロの大冒険」全3回を見た。プロローグを入れると4回になる。プロローグには「ようこそ:細胞のミラクルワールドへ」、第1回には「あなたを創る!細胞のスーパーパワー」、第2回には「あなたを変身させる! 細胞が出す"魔法の薬"」、第3回には「あなたを守る! 細胞が老いと戦う」という副題が付いている。対談は京都大学iPS細胞研究所・所長 山中伸弥氏、劇作家・演出家・役者の野田秀樹氏が中心になり、折々にゲストを招いた。私は本Webサイト:「エピゲノムと生命」に「同じDNAでも生命体での発露は環境因子に支配され異なってくる。つまり管理統御はヒエラルキー構造で、環境に合わせて柔軟に行われる。」と書いた。ほかにも「発生生物「学」」、「老化のメカニズム」、「新進化論」、「生命と記憶のパラドクス」などで、遺伝子以外の生命因子を取り上げている。そんな知識を飛び越す新たな知見が、このNHK SPでは披瀝されている。まさに日進月歩なのだ。
実際映像も少なくないが、全体を通して感心するのは多用される見事なCGである。科学機器の進歩がそれを支えている。科学機器原理の発明発見あるいは応用解析技術の進歩にときにはノーベル賞が贈られるのは当然だ。でも概して科学機器メーカーは縁の下の力持ちで、日の目を見る機会は少ない。電子顕微鏡などで世界のシェアの大半を握った時代もあったが、昨今は外国勢に国内市場を蚕食されているようだ。科学はソフトとハードの相乗効果で進歩が早まる。外国メーカー依存では機器側の反応が遅くて、日本の研究が立ち後れる原因になる。国産メーカーの育成に留意せねばならない。
プロローグで真っ先に見せるCGは、私の知らない細胞レベルの生殖機構である。子宮の横の卵巣には、始め20万個(左右で40万個)の卵子が蓄えられている。減った分を補う機構はない。卵子は卵胞細胞に包まれて時を待つ。思春期に入るとその1個が巨大化する。卵胞細胞の増殖による。巨大化で卵巣の壁を破る。卵子はそこで卵胞の袋の口から泳ぎ出る。排卵の瞬間だ。精子の1個が卵子にたどり着くと、他の精子の侵入を拒否するためのタンパクが噴き出す。侵入精子が核を放出し卵子の核と合体した瞬間から、受精卵の分裂が始まる。卵管を経て子宮に着床するときは、100個に分裂し5日目になっている。そこで受精卵は殻を脱ぎ捨てる。
一卵性双子が映る。8歳ぐらいまでは全く区別が出来ぬほどの双子であったのに、12歳頃から変化が始まる。現在は身長も体重かなり異なる、ちょっと双子とは思えぬほどに違った2人になっている。身長については、後天的に片方の成長ホルモンがどこかで杜絶あるいは異常に減少したためだとはわかる。脳下垂体の内分泌細胞の働きが悪くなったのだ。分泌不全性低身長症というのだそうだ。環境因子の影響を如実に見せる映像だった。
プロローグ2つ目のCGは血管を走る赤血球だった。'66年のアメリカ映画「ミクロの決死圏」はよく出来たSF映画だった。今回は毛細血管を走る赤血球の実写まで見せるから疑いの余地がない。太い血管の中の血球は早かった。ミクロの決死圏でも、太い血管の中では猛烈速度で血球が移動し、危険な雰囲気だったと記憶する。赤血球は核を失った細胞で、役割を酸素交換に特化されている。人体には60兆個の細胞があるが、その1/3が赤血球だという。太い血管の中では球状をしているが、毛細血管の中では円盤状でしかも折れ曲がってゆっくり走っている。毛細血管は直径が5ミクロンほどなのに、赤血球は8ミクロンもあるからそうならざるを得ない。肺胞は5億個あるという。その表面には毛細血管が張り付いている。感心して見ていた。生命の進化が選んだ構造機構という説明であった。
アメリカでは日常的に実施されている若返り治療を実映像で見せた。老齢と共に線維芽細胞が減少し、コラーゲンとかヒアルロン酸とかエスチランの分泌が減る。そこで自分の元気な線維芽細胞を培養し、直接皺の多い皮膚部分に注射する。目尻の小皺とか鼻脇の深い溝状の皺が改善されている映像だった。
第1回は、胎児に母体からの栄養を運ぶメカニズムの解説から始まる。臍の緒を通すぐらいは誰でも知っているが、胎盤の構造は初めて見た。珊瑚礁のような胎児の毛細血管を張り巡らせたコチルド(1cmほどの高さ)が母の血液の中に浸っている。栄養は膜交換だ。大切なのは栄養のもつ高度なメッセージも運ばれることである。妊娠中に母がダイエットで栄養を十分に取らないと、胎児の間葉系幹細胞は、外界が饑餓状態と判断する。
この幹細胞は骨細胞、心筋細胞、軟骨細胞、腱細胞、脂肪細胞などに分化するが、饑餓状態だと脂肪細胞化率が大きくなる。妊娠女性の食生活が胎児の将来の肥満体質に影響するのである。今回の番組では現在のより科学的なデータで解説されているが、二次大戦ドイツ軍占領下のオランダで胎児時代を送った成人の肥満体質は有名である。占領下ではろくに食うことが出来なかった(当Webサイト:「エピゲノムと生命U」)。
皮膚のメラミン細胞は紫外線によりメラミンを産生し、それを皮膚の核上に送って核の紫外線による破壊を防ぐ。マラソン選手は高地トレーニングで赤血球を増量させる。心臓が酸素不足でエリスロポエチン産生細胞を働かせた結果である。小腸の絨毛表面の上皮細胞は寿命が短いが、絨毛が脱ぎ捨てるときに有毒物質を掃除して行く。糞に占める腸細胞の死骸の割合は大きい(本Webサイト:「腸のふしぎU」)。
神経細胞の生理学的研究の進歩には驚かされた。ヒトには800億個の神経細胞がある。神経細胞には1本に付き約1万本のスパイン(枝)が付いている。その先端は丸く太い。この先端が結ばれると神経は有機的に結合したことになり、しかも電気信号が流れる度に強固に繋がって所謂記憶になる。神経細胞は心臓細胞と同じく再生が効かない。活動が過ぎると寿命が早く尽きてしまう。細胞には寿命を延ばす戦略を持っている。聴覚とか視覚の体性感覚、運動、言語、判断とか計画と云った順にスパインの結合能力を閉じて行く。聴覚は生後8ヶ月ほどに、判断計画は20歳ぐらいで終わる。スパインの動きを不活発にする物質Lynx1が同定された。なんと毒蛇の毒性分とほとんど同じ構造だという。Lynx1の産生を停められたマウスの脳は、やがてアルツハイマー症患者のように死せる神経で埋まってしまった。幼児の聴覚は、誕生後8ヶ月ぐらいまででは、ヒンズー語の2種の「タ」が聞き分けられるが、10ヶ月以上になると2割ほどしか区別できなくなるという実験は、目からウロコだった。
スパインが働かなくなったあとの細胞の戦略がまた実に面白い。結合の数は増えないが、出来上がった回路のパイプを太く高速化するのだという。DTI(画像技術)とか共焦点顕微鏡がもたらした知見という。どちらも私は知らない。最新鋭の科学機器なのだろう。脳内の非神経細胞オリゴデンドロサイトが、神経を脂肪で巻くミエリン化すると、脂肪部分を電気信号が飛び越す現象が起こる。このスキップ&ワープの機構についてはさすがに何の解説もなかった。ハレムの貧しい少年少女にハーモニー・プロジェクトという無償器楽教育が行われている。驚くべきことに、この地域の少年少女は普通には高校さえ満足に卒業できないのに、受講者は大半が大学に進学するという。10歳以上では学習の脳内の変化は、器楽のような複雑な作業に必要な脳内各分野間の信号交換に必要な回路をミエリン化することに対応するのだという。
第1回の最後に、対談者のテーブルにメモが入った。老いてもなにかに夢中になっているとスパインの再活性が行われることが判りつつあるという。第2回第3回の紹介は「生命の行方を握る細胞活動U」で行う。

('14/4/7)