• おんな太閤記(後編)

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  • 秀吉が心からの信頼を口にした相手は、ねねの他では秀長1人である。実直で、徹底して控えめで、しかも有能な補佐役を、中村雅俊が見事に演じる。大竹しのぶがマドンナの「男はつらいよ〜寅次郎頑張れ!〜」は49作の中でも優秀作に数えられる1作だが、成功のかなりはマドンナの相手を演じた彼のおかげである。彼は愚鈍なまでに実直という雰囲気を備えている。ドラマでは毎回助演するが、彼が主役の回もある。「第15回 秀長の恋」があり、時間が過ぎて、「第20回 秀長の祝言」で田中好子演じるしのと云う足軽の娘と結婚する。結婚の時は盲いていたとある。
    私の書棚に堺屋太一:「豊臣秀長〜ある補佐役の生涯〜」、PHP文庫、'88がある。秀長は側室を置かず女は正室1人であったとある。地味で誠実な人柄であったのだろう。秀吉は一族郎党の中で秀長を段違いに優待した。長浜12万石の時には1.2万石を与え、播磨1国を加えて50余万石となった時は4万石、但馬全域を秀長軍だけで攻略したときは12万石と出石城(官兵衛でも1万石だった、そのときの秀吉は120万石を支配していた)、大和郡山で没したときは114万石であった。秀吉は羽柴家所領の1割を秀長に与えた。秀長は人前では主従の礼を取っていたとある。「おんな太閤記」ではそう詳細には描かれていないが、鳥取城干乾し作戦の米買い付け資金は、出石の秀長が、生野銀山の銀でお城の貯蔵米まで高値で買い上げたと堺屋は書いている。ちなみにねねの化粧料(隠居料)は1.6万石程度で、徳川幕府からも安堵された。係累外とは云え、あの春日局も3千石程度であるから、ねねの重みがわかる。
    ドラマにときおり木下家定が出てくる。そう重要な役割ではない。ねねは杉原(木下)家から浅野家の養女になった。家定は実兄だ。秀吉の出世により取り立てられていった。秀吉の血族は完全に絶えたが、ねねの血族は徳川期をしぶとく生き残った。その代表が木下家である。足守藩2.5万石の小大名として明治までその地で続いた。私は現役でまだ四国にいたころに、足守観光に出かけたことがある。現在は岡山県指定の町並保存地区になり、観光にも積極的になっているのだろうが、当時はそれほどでもなかったと思う。近水園という池泉回遊式の大名庭園があった。手入れが行き届かず荒れていた。古い町並みの記憶がある。代々の家老職であった杉原家邸宅は、町に不似合いなほどに大きかった。秀吉の高松城水攻めは有名な事件だが、その史跡は近くにあり、足守川の水が使われたはずである。
    浅野長政(尾藤イサオ)は妹やや(浅茅陽子)の婿である。ややとねねは血は繋がっていない。秀吉が臨終直前に選んだ五奉行の中に、縁者としても尾張以来の家臣としても唯一人入っている。信頼の厚さがわかる。文武両道に秀でていたのであろう。鬼平犯科帳の「一本眉」で、大盗賊「一本眉」(芦田伸介)の子分を演じて以来、私は尾藤イサオの幾分諧謔味を載せた軽快な演技に曳かれるようになっている。ややは言いたい放題の勝ち気な女である。ねねがあまりに良妻賢母型に徹底しているものだから、その本音の代弁役になっている。浅茅陽子は、私が持っていた印象そのままの演技で得な役を貰ったものだ。
    長政が実際にはどうであったにせよ、秀吉政権でも家康政権でも生き残った理由を、演技で何となく解らせてくれる。秀吉没後の家康の専横にたいしても、骨のある姿勢を持ち続けながらの結果だから、家康のねねへの遠慮を考慮に入れても、たいした才覚の持ち主であったと云えそうだ。子孫は広島の大大名として命脈を保った。支藩のあった赤穂は何度か見学した。広島にも何度か行ったが、06年の旅行はクルーズ船でだったので、見物にたっぷり時間を掛けることが出来た(本Webサイト:「にっぽん丸春クルーズ」)。足守は陣屋だけだが、広島には師団がいたほどの壮大なお城がある。日清戦役の広島大本営もここに置かれたはずだ。大名庭園(近水園vs縮景園)の差も歴然としていた。
    ねねを演じた佐久間良子の映画での代表作は市川崑監督の「細雪」での次女・幸子役であったろう。大阪船場の旧家の4姉妹の中で、本家に拘る姉、行き遅れの三女、奔放な四女の間に立って姉妹を纏める、損な役割の女を好演した。文芸作品としてはもっともTV放映の多い映画ではないか。デジタルで甦る永遠の名作という触れ込みの「第2回 新・午前十時の映画祭」に、初めて日本映画が登場するが、その初っ端がこの細雪である。私も大画面の細雪を今一度味わってみたいと思っている。おんな太閤記後編に入ると、天下人秀吉の暴走の歯止め役として、ねねは苦労を強いられるようになる。秀長が逝き、千利休が切腹するとますますこの傾向が強まる。秀吉はねねの貢献を重く見ているものの、秀頼誕生後は正室としての影響力も薄れて行く。秀吉の心の中の位置が淀殿と逆転した。しばしば秀吉殿の心が読めなくなったとこぼすようになる。ねねは、一貫して、忠実に誠実に、疑われることないように身を処した。細雪の幸子となにか通じる雰囲気がある。
    家康の狸ぶりは堂に入ったもので、もう結果が分かっているから振り回される周辺にイライラさせられる。この狸をフランキー堺が演じる。喜劇系の大物俳優だ。毎回鬼平犯科帳が出てきて恐縮であるが、あの吉右衛門主演の長いシリースものが繰り返し繰り返しTV放映される、いまでも再々・・・・放映中だ。しかも萬屋錦之介主演のシリーズや丹波哲郎主演のシリーズまでかり出されるようになり、私は時代劇の標準にしてしまっている。フランキー堺はついこの間の「盗法秘伝」に客演していた。鬼平を手下に採用して大泥棒をやってのける滑稽な老盗賊をやった。劇の中身を知らなくても彼が出てくると安心して見ておれるという名優である。家康はたいがいは憎まれ役で損な立場だが、それを感じさせないほどだ。腹心と悪巧みの計画を練る。本多正信の神山繁の持つ雰囲気がひねくれた悪役であるので、だいぶ助かっている。家康とねねの会見の場は再々出るが、あくまでも北政所を立て、神妙に秀頼大事という姿は、政治家の真骨頂とはそんなところだろうと思わせる。征夷大将軍拝命で、はっきりと区切りを付けた。彼は秀吉に下ってから25年目に天下人となった。「鳴くまで待とうホトトギス」が家康だとはよく言ったものだ。
    お茶々−淀殿役の池上季実子は、声に男を惹きつける特徴のある女優である。与謝野晶子を題材にした映画:「華の乱」('88)では、松田優作の有島武郎と心中する有夫の美人記者を演じた。それ以来彼女は私の記憶に残っている。「おんな太閤記」から2年後のNHK大河ドラマ「徳川家康」(当Webサイトに同名の記事あり)では、家康の最初の正室「築山殿」を演じた。築山殿も誇り高い女性で、悲劇的な最後を遂げた。そんな役割にふさわしい雰囲気がある。淀殿は史上最もよく知られた女性の一人だ。NHK大河ドラマ:「江?姫たちの戦国?」でも準主役だった。母お市の方から受け継いだ美貌、激しい気性、気位の高さなどがキー・ワードになって様々に物語が紡がれた。時代の流れに逆らわない正室ねねとは対称的に、女の城と徳川側に揶揄られながら、徳川の20万の包囲軍に対して、実質の守将として冬の陣夏の陣を戦った。
    城内をどれほどコントール出来ていたかには疑問が残る。だが夏の陣ともなればすでに滅びを覚悟して、徳川に臣従するような屈辱を断固排除するのだから、女丈夫も極まれりである。家康はそのため逆臣になり、忠が道徳の中心にあった明治以後昭和の中頃までの長い間不人気であった。歴史に「もしも」はないが、「ねねに秀頼が生まれていたら」、「秀吉の晩年の暴走がなければ」などとは誰しもおもうであろう。「側室の腹であっても、秀吉が正室に世嗣として育てさせる配慮をしていたら」はもっと現実的な話で、秀吉の死後恩顧の侍が真っ二つに割れるような事態は避けられただろう。半ば自滅に近い形で、秀吉の血族が消滅するのも防げただろう。ねねは数多くの養子、人質、小姓を育成して、譜代の臣など全くいない手薄な秀吉の周囲を補強した。秀頼までの、若死にした世嗣と目された人物も皆ねねに養育されている。秀頼だけが例外になったのがおそらく致命傷となったのではないか。もっと遡れば、秀吉に子種が少なかったのが、豊臣家不幸の最大原因である。
    前田利家を滝田栄が演じた。ねねの初恋の人で、秀吉との友情に厚く誠実な人柄をうまく出している。立場が変わって秀吉に臣従せねばならなくなり、娘を人質に取られ側室にされても、秀吉は臨終間際には秀頼の守り役を頼むのだから、乱世にもっとも価値の高い信頼できる人物であったのだろう。「徳川家康」では彼が主演である。彼は信長に対しても同様の信頼感を売り込む。加賀百万石が、今日に、江戸期の日本文化を豊に伝えているのも、開祖の人柄が影響しているのだろう。病床に見舞いに来たねねに「豊臣を取るか、天下の平和を取るか、迫られるときがいずれ来るだろう」と死後の見通しを云う。ねねはその後両立を願うが、平和を優先させる。妻まつも晩年にいたって徳川の人質となって江戸に下るのだから、波瀾万丈に生きなければならなかった一人である。音無美紀子が利家とのオシドリぶりを披瀝する。

    ('14/4/21)