民主党政権失敗の検証

日本再建イニシアティブ:「民主党政権失敗の検証」、中公新書、'13を読む。著者グループは元朝日新聞主筆を理事長とするシンクタンクという。民主党政権は3年3ヶ月であった。結党してから政権交代までに13年ある。合わせて16年あまり。そろそろ過去を忘れ掛かっているから、本書は将来への反省材料として好適な時期に出版されたと思う。
私にとってマニフェストは新鮮であった。選挙公約は各党から選挙ごとに発表されてきたが、定性的に過ぎて政権獲得後の検証などほとんど不可能だったから、あまり重視しないで選挙に出掛けた。その中で現れた民主党のマニフェストは、政策の数値目標があり、達成のための工程表があり、財源まで明記してあった。選挙では都会民の多分所得が中以下の浮動票が多いことも特徴になっている。要するに政権党の自民党からちょっと距離を置く連中である。橋下市長率いる維新の会もそうだが、閉塞感が覆っている社会の不満の受け皿には、斬新さは重要因子である。だがマニフェストは批判評論で飯を食っている人間にとっては格好の攻撃目標だ。世界は日本だけで動いているのではない。どんな学者も予想できない政治経済の変調変革を前に、知ったかぶりで数字を並び立てるなど危ない話ではあった。
マニフェストと財源の問題が真っ先に出ている。'09年の税収は世界の景気後退で9兆円も予定を下回った。事業仕分けによる削減額が予定の3兆円を大きく下回る7千億円だった。毎年1兆円を超える社会保障費自然増を全く見込んでいなかった。初年度こそ埋蔵金6.4兆円が出たが、後は続かず、16.8兆円予定にたいし'12年には4.4兆円しかマニフェスト実現予算に回すことが出来なかった。'03年のマニフェストでは2.5兆円で済んだのに、16.8兆円に膨張したのは、子供手当、農業戸別所得保障、高校無償化、暫定税率廃止と次々に重点政策を加えたからである。いずれも支持層への選挙対策である。小沢−鳩山時代、財政健全化と消費増税は後退した。消費増税を伴う財政健全化を進めたのは、菅政権とそれに続く野田政権の時代である。「カネは財務省を締め上げれば何とかなる」という思想を、小沢氏はしばしば口にしていたという。締め上げるとは国債が増えることを意味する。景気低迷で東日本大震災という時代も禍した。菅さんの民主党は参院選で、野田さんの民主党は衆院選で大敗した。ねじれ国会でマニフェスト遂行どころではなくなったことが、逆風を強めた。
官僚主導から政党主導に政治を転換したいと言う願望は、多かれ少なかれどの政党にもある。でも考えてもみよ、官僚の持つ厚みを。民主党の政治主導「五原則」「五策」に対して、世慣れた者は、風車に突進するドン・キホーテにならなければいいがと、危惧しただろう。例えば人の質。先日TVで英国のさる機関の発表した世界大学ランクに、日本からは東大と京大しかベスト100に入ってないと知った。中央省庁のお役人の出身大学はほぼ100%近くがその東大だそうだ。出身大学だけが能力を現すわけではないが、我が国では有力な物指しとなっているのは事実だ。恐れながら民主党議員諸氏の学歴は、ほとんどがベスト100に入らない大学である。丸められるのを恐れて、意図的に官との接触を避けた政務三役もいたという。
お役人出身の議員も少数ながらいた。でもその役人崩れは、元の職場に受け入れられる路線を主張してきたとは云えない。議員の大半は官僚実務についてはド素人に近く、批判力不足で専門委員発想の丸呑みだった。「五原則」「五策」と顕示した意欲を、国民がこぞって高く評価した。第五策に入る「事業仕分け」は少なくとも初年度には喝采を浴びた。透明性を高めて癒着を自然と防止する。安倍政権になっても、襟を正して事業に当たる姿勢を担保するレビュー体制に繋がった。私は政治主導路線には賛成である。結果論ではあるが、功を焦らず、綿密に政官のすり合わせを行う姿勢で臨んでいたなら、たとえ次期選挙で後退することがあっても、党の再生可能な敗北になったのではないかと思う。惜しいことだ。
カナダは'90年代に財政再建に成功したという。その手法は「プログラム・レビュー」で、最初に各省庁別に歳出の削減目標をトップダウンで決めてしまう。削減の具体策は各省庁に委ねられる。各省の大臣が「査定大臣」をやる。鳩山内閣のとき首相の指示に従って国交省では公共事業費に対しそれを行った。大臣は前原氏、副大臣は馬淵氏。省全体で15%カットした。だが査定大臣を実質実行できたのは彼らだけであったらしい。項目に浮き沈みはあるが全体の歳出は減らず、税収は景気低迷を受けて減少傾向を続けた。デフレ退治景気回復に日銀の出動はあったが、目標の1%インフレ率は、これからという頃に、民主党政権は終わった。
民主党内には、人口減少社会での経済成長は困難、福祉拡大による成長と言う思想があるという。どちらも負け犬発想で現役政治家が言う話ではないと思う。金看板と云える国家戦略局構想は前段階の国家戦略室で終わった。戦略室の担当範囲が定まらぬまま、従来の内閣官房・財務省のラインで進められる。政治主導の鍵となるべき「予算編成に関する閣僚委員会」は野田内閣の頃には形骸化した。今の安倍内閣の予算は旧来型へ逆戻りしている。一度民主党に政権を取られた反省からだろう、党側の予算分捕り行動には自制力が働いているようには感じるが、中長期の方向付けに対する曖昧さは将来に警鐘を鳴らす。
いくらマニフェストに「米軍との関係見直し」を取り上げたからと云って、沖縄で鳩山首相が「(米軍基地を)最低でも県外」と言ったときは我が耳を疑った。それまでの自民党政権が根回しに根回しを重ねた結果、多大の沖縄援助と引き替えに普天間基地の辺野古移設を、県民は不承不承ながら受け入れていた矢先であった。本Webサイトの'09−'11あたりの月々のまとめには、ひっきりなしに鳩山首相の軽率行為による国益損失を指摘している。米国に与えた不信感は重大で、外交の要であるアメリカとの協調が、菅、野田時代にかなり繕われたものの揺らいでしまった。
尖閣諸島領海域での中国漁船の巡視船体当たり事件が起こり、それを契機に中国の領土欲が鮮明になり、米軍の存在感が唯一と云っていいほどの中国抑止力になると、鳩山さんの失敗の大きさが分かる。石原都知事が沖縄の頭越しに尖閣諸島購入を打ち出し、野田政権がそれを受けて国有化したことも、要らざるお節介が日中関係悪化の火を煽る結果になった。領土問題、基地問題、原発問題などの国政に、再々、寄託したおぼえのない他所の知事が嘴を入れて混乱させる事態が最近目に付くが、その嚆矢が石原さんである。知事は分をわきまえて行動発言すべきである。
10/3のNHKクローズアップ現代は「出産・育児は“迷惑”? 〜職場のマタニティー・ハラスメント〜」であった。現在日本の将来に垂れ込める暗雲は、全て人口減少傾向から発していると云って差し支えない。少子化阻止に国民全てが注力せねばならないのに、一部企業の近視的利己的姿勢は誠に嘆かわしいと思ってみていた。国家予算についても同様だ。票になるからと云って、老人福祉へのバラマキばかりを指向していては未来が萎んでしまう。「子ども手当」は正当だ。所得水準と無関係に、一律支給する普遍主義で、子どもを社会全体で育てるという原理を打ち立てる。所得水準で控除額に色を付けるという思想では、階層の損得勘定議論を呼び起こし、原理の共通認識にまで発展しない。政権が終わった時点で見ると、「子ども手当」は「改正児童手当法」という自民党以来の手当法に吸収され、主要財源と見なされてきた配偶者控除はそのまま生き残っていた。
日本は唯一、子どものいる所帯と共働きの所帯で、相対的貧困率が上昇する国になっている。その重要因子が、所得控除の種類と規模が大きいことで、再分配機能が逆に作用しているためと書いてある。見かけの累進課税とは裏腹に、配偶者控除は高所得者に有利に働くとも書いてある。本Webサイトの「タックス・ヘイブン」「七月の大要」に、所得税率は所得が1億円を超すと急に減少するというデータを引用している。どの話も私には良くは理解できないが、専門家の話だから本当なのだろう。振興策とかバラマキとかいろいろ理由を付けては税金逃れのルートを作る。控除ではなく、例外のない手当にせよというのは、本筋の話だ。
小沢チルドレンとか小沢ガールスと言う言葉が新聞を賑わした時期があった。小沢幹事長の凄腕で当選したと擬せられた一回生議員のことである。昨年の逆風下での改選でベテランたちが議席を守ったのに対し、チルドレンたちを含む一回生二回生の大半が落選した。国民が厳しい選別をした理由を挙げている。私の目には、彼らのフォロワーシップの欠如が最大の理由に思える。それは幹部のリーダーシップの欠如でもある。政府決定の政策に反対意見を公開討論でまくし立てるような平議員が、たとえ同意見であっても国民から見て好ましいと思えるはずがない。党首脳は除籍などの厳格処分をするでもない。民主党政権は徹底して当選回数重視のポスト登用を行った。人材発掘機能に欠けていたと言える。ただの陣笠で、政策立案などにおよびでない状況では、疎外感が鬱積した状態になる。自民党の野中氏の幹事長時代が引用してある。政権維持に泥まみれになって調整に当たったという。民主党では、リーダーがフォロワーたちを守り育てる姿勢が薄かったという。族議員や派閥がないための欠陥を補う意欲に欠けていた。
本Webサイトの「七月の大要」「九月の大要」にネット選挙に関する民主党・田嶋要議員の活動を紹介している。民主党議員ことに新人議員は、個人的な後援会とか出身労組など以外に、ほとんど選挙民個々とコミュニケーションの手立てを持たなかったのではないか。固定した支持団体の少ない民主党にとって、ネット選挙の普及は願ってもない方向であるはずだ。これからはおいおいと個の判断が所属利益組織の締め付けよりも重要になって行く。大勝して大敗した民主党の軌跡は、従来型選挙の長所欠陥を遺憾なく白日の下に晒している。大敗したと云っても自民党の支持者数が増加したのではない。民主党議員に対する不信任なのだ。それも不信任と云えるかどうか。ねじれを起こす根本原因となった'10年の参院選挙は、獲得票数は民主党が比例代表でも選挙区でも勝っているのに、議員数では敗れている。票の重みが、農村区が都市区よりも極端なところでは5倍と違っていて、民論を反映しない選挙であるからだ。大勝は、この農村区を靡かせるバラマキ公約を小沢幹事長が華々しくやったからという説もあるが、ある程度は頷ける話だ。
政権交代前の、改革を看板にする姿勢は好ましかった。しかしいざ交代が行われると、有象無象の議員がてんで勝手に走り回り、党が党にならなかった。内閣の中でさえフォロワーシップに欠ける大臣が出てくる。野党で理論闘争を挑んでいる時代は良かったが、与党になったら落としどころを考え、実務を担い具体的細論に強くならねばならないのに、人材不足というか経験不足というか、尻の青さだけが目立った。本書には中間管理職相当の人が少なすぎたと表現してある。風頼みの支持基盤の弱さも大ブレの原因だった。次の政権担当があるとすれば、これらの欠陥を修正してからになる。

('13/10/12)