
- 博覧強記を強いる教育から創造性重視の教育を、というのは今のマスコミ全般の論調である。外国からの導入できるものはもうとっくに仕入れてしまった後では日本オリジナルが今後を左右するのは明らかであるから。
- しかし百年前マスコミも入れて日本は折角芽を出し掛かった創造性重視教育をよってたかって潰してしまった。数少ないノーベル賞フィールズ賞の受賞者の大半がその大学関係者であることにわずかにその教育の余香を嗅ぐことができる。「京都帝国大学の挑戦」とはそんな内容の本である。京都帝国大学の法科大学の話、今の京大法学部である。著者は名大教授である。
- 当時の法科大学卒業生はまずは高文合格を目指す。今の国家公務員一種である。だから博覧強記が当たり前で週30時間4年間与えられたとおりのカリキュラムで必死に講義ノートを取り、丸暗記して試験に臨む。試験では師説どおりに記述せず私説を論じたりするとまず合格はおぼつかないと言う教授もままおったとある。東大に関する記述である。
- 新設される京大の教授に任命されたのは東大を優秀な成績で卒業しそろってドイツに留学した若手が大半を占めていた。ドイツは当時学術のメッカで世界から留学生が集まる場所であった。日本留学生はドイツ学術の隆盛の神髄を大学の制度の中に次のように見いだす。
- 大学に十分の自治を許せるごとき、教授方法を自治に任ずるごとき、学生に科目選択の自由を与えるごとき、試験制度をもって学生を束縛せざるがごとき、教授の選任を教授会の投票に委任するごとき、学生に自由転学を許すごとき、生気ある学問研究を重んじる精神の発動に出たるものにあらざるはなし。けだしドイツ人は・・・・・学問の進歩、人物の養成は拘束を脱せしめ、自治自修自制の精神を発揮するにありとなせるもののごとし。
- 学生どもをできるだけ自由にさせる代わりにゼミナールと卒業論文でばっちり締め上げる。世間はおおむねこの新進気鋭の学者たちの理想を好意的に受け止めた。何だそんなこと今では当たり前だ、と思うのだがその内容は東大とは全くかけ離れた方式だったのである。
- しかし卒業生たちの高文試験の結果は東大に比べてさんざんだった。ほとんど合格ゼロなのである。官吏登用試験目標と学問人物目標では当然かも知れぬが、ちょっと差があり過ぎるというので著者は原因を追及する。
- 学生の質が悪いのではないか。そこで同じ高校からの学生の高校時代の成績を比較する。あまり変わらぬ。結局行き当たるのは選考委員が全部東大教授ないし卒業生と言うことである。今でも同種の問題が時折表に出るが、「師説でなければ落第」式の評価をする場合に限らず、東大生は試験官が教える予備校生だから全く有利と云うことになる。これはこの東大出の著者が云っていることである。
- 高文の結果は京大の首を絞めた。東大、政府、議会それから新聞に叩かれて創造性重視教育法は幕を下ろし総長学長教授は辞任、京大は第二東大の道をたどり始める。高校生の人気はがた落ちとなり一時は定員を満たさぬ大学になった。
- もったいないことをしたものである。教育法の評価に高文合格者数しか頭になかったためか、とことん純粋宗族(この場合は東大100%)でないとおさまらぬためか、あれほどドイツに傾倒しながら大学の自由だけは許せぬ神国であったためか、とにかく日本は100年経って臍を噛む結果になった。以前に云ったことだが、5%の共産党(少数派のこと)は脱線転覆を防ぎ場合によっては救世主になる可能性を残すという意味で必要である。
- 京大はそれ以後も大学自治について何度か文部省といざこざを起こした。鳩山一郎との確執は滝川事件として有名である。彼も大学の自由を肯定できなかった。いま彼の孫たちが同じ大学を出て政治家になっている。彼らの滝川事件論を聞いてみたいものである。
- 進学の相談を受けたときには話題にして欲しい一冊である。
('97/10/02)