日独文化比較論

川口マーン惠美:「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」、講談社+α新書、'13を読む。本Webサイト最新の記事「アジア力の世紀」の元本は、ドイツの政経面での堅実な歩みを好意的に眺めていた。目くじらを立てることでアイデンティティを主張する我らの周辺に比して、小異を捨て、大同につくヨーロッパの傾向は羨ましい限りである。その方向付けに資したドイツは確かに立派だ。私は会社の技術導入でドイツに1ヶ月弱滞在したことがある。ドイツ人について、ドイツ社会について多少は体感できたと思う。それはしかしもう半世紀近い昔のことだ。東京オリンピックの白黒映像を毎日ホテルのTVで見ていた。本書の著者はドイツ在住で、時事問題を得意とするノンフィクション作家らしい。題名からは辛口の文化評論のように感じる。日本には明治以来、ヒットラーは別だが、概してドイツを持ち上げる識者が多い。少々鼻につく。本書がどんな内容か楽しみである。
領土問題は実効支配が全てである。それには対立国と対抗出来る軍事力が必要だ。北方領土も竹島も戻ってくる機会はない。尖閣列島など危ないものだ。頼みは米軍だが、朝鮮戦役時代に比べれば格段に増強された中国軍に「いざ鎌倉」となって駆けつけるだろうか。日本人にしても、「軍事基地は出て行け、だが尖閣は守れ」の沖縄県民を真面目に相手する気になれるはずがない。そこまでは書いてないが、ドイツの厳しい領土問題は、日本人の辿るべき道を強く示唆している。本Webサイトにもある、アルザス地方領有権に関する「ストラスブールの歴史」は、好適な具体例である。ドイツはついこの間まで徴兵制が敷かれていた。いまやかなりの軍事大国になっている。心配論だけで国防意識の低い国民が、領有権を争うなど馬鹿げているのだ。ドイツ語版Wikipediaの尖閣諸島に関する既述は、中国領有権を正当化するものだという。これには少なからず驚かされた。中国側の投稿だろう。Wikipediaは誰が投稿しても良いのだから、日本側も発言せねばならない。
脱原発を標榜するグループから見ればドイツは理想の国家であろう。だがドイツの脱原発計画はいま難渋している。日本と違い原発は半分以上がまだ稼働している。主たる再生可能エネルギーは風力発電だが、洋上発電が進まない。高い買い取り価格は企業が疲弊することを避けようとしているから、結局は消費者が被らねばならない。バッファー用の火力発電所を増強し、国産の褐炭を焚く羽目に陥る。送電線を網の目のように張り巡らさねばならぬ。背高の高圧送電線塔建設も止む無しとしていたのに、現実問題化すると賛成は30%に墜ちたという話が出ている。周辺諸国には原発増設に積極的な国が多い。欧州には電力相互融通のネットワークが作られている。原発をちょっと離れた国に持って行き、いいマージンを支払って電気を購入するというザマになるらしい。
東日本大震災とそれに伴うフクシマ原発事故に関するドイツ有力紙特派員の報道ぶりは、日本人として非常に気になる内容であったようだ。はじめは震災地住民の相互援助ぶりを褒めていたが、やがて日本文化の解析に入り、「神風特攻隊」「ハラキリ」「フジヤマ」「ゲイシャ」「赤穗浪士」「小野田少尉」から「菊と刀」(本Webサイトに同名の書評がある。ほかにも引用いろいろ)まで引用があったと云うから、まあ論調は推して知るべしだ。「南京事件」の中国側発言まで出ているという。彼らは東北にはほとんど出向かなかったというから、培ってきた観念で東京か大阪のデスクから発信したもののようだ。ヨーロッパの中でもドイツは、親日的な日本理解が進んでいる國だなどと思うのは、お人好し「識者」の独りよがりである。日独伊三国同盟などは間違いだったと思っていると考える方が正しい。私は冒頭の訪独時「ドイツが先に降伏して済まなかった」などと云われて、親日を確信したが、今思えば欧米人独特のリップサービスであったのかも知れない。
'64年のドイツでの宿泊先Europa Hotelのルーム・メイドはギリシャ人だった。'60年にドイツはギリシャと労働者受け入れ協定を結んだ。技術導入先の会社にも単純労働者が多数入っていた。彼らは失職してもほとんどがドイツに居ついてしまう。そして家族を呼ぶ。労働不安の源だ。在日と類似の立場にあるのだろう。介護はドイツでも低賃金で重労働の職種になっている。そのうちにドイツ人介護者はいなくなるとある。現在の看護師の賃金比較が出ている。ポーランドが580ユーロ/月なのにドイツでは2050という。人の往来就職が自由なのがEUの原則だ。豊かなドイツはヒトを吸い上げるが、3Kからではあるが、次々とドイツ人の職場が失われて行く。日本では日系ブラジル人以外の外国人労働者は数がしれている。介護人不足を海外労働力で補おうとしているが、日本語の壁は簡単ではない。
私が外国人労働者自由化について危惧する最大の問題点は、本書に出てこない。それは日本人の体格が世界の中では小さい方だと云うことだ。歴博に行くと、弥生人がすでに朝鮮半島同時代人より1-2cm身長が低いと説明されている。現在の大陸人と日本人の身長差は昔と変わらない。東南アジア人とは多分同じである。まあ東アジア人なら大差がないとして良かろうが、インド・アーリア人種やアフリカ人種は我らとは格段の体格差がある。ゲルマン人はインド・アーリア人種の中でも体格の優れた方だから、体力差による社会の逆転現象は考えなくても良かろうが、我々には深刻だ。
半日本人の娘さんが東京のドイツ系会社でインターンシップの勤務を行う。周囲の社員は日本人だ。勤務に対する姿勢、休暇に対する姿勢などころっと違うと驚く。ドイツ化した会社でもこうだ。私の勤務した会社が外国の会社と交渉を持ちだした頃、突然相手が有給で不在になったと駐在員がこぼしてきたことがあった。聞けば1ヶ月ほどの優雅なバカンスであるらしい。決められた労働時間をたとえ1分でも超過するなどもってのほかで、だらだらとサービス残業するような我らの習慣を聞いたら、ドイツ人は卒倒するだろう。短時間労働で、高賃金、そのためには極限までの高能率という職場では、だれもかれもが不機嫌でストレスと闘っている。教師の労働実情が書いてある。私も現役最後を教師で過ごしたから、思い当たるところが多い。私は職業人としてはあのころが一番充実した幸福な時代だった。現在はもう少し能率を追求されているのだろうか。だが、あのころでも今でも、同じ姿勢でドイツに乗り込んだら、3日と持たないだろうと思う。
'64年の技術導入先の会社は社長も部長も課長も皆Dr.で、研究にすらDr.は数えるほどしかいない我が社とはえらい違いを感じた。その後の我が社ではDr.数はじわじわと増えたが、Dr.は扱いにくいと評判が悪かった。Dr.とは仕事にoriginalityを発揮したという証明である。経営の神様・松下幸之助を市井(主に理系)では「まねしたさん」と陰口をたたいていたが、2番手3番手の類似品で確実な利益を上げることが尊ばれた、そんな時代の話である。我らがKY(空気を読んで決める)族で、彼らがdebate(議論で決める)族であることは、成長とともにはっきり解ってきた。本書に指摘の通りである。極端な例として選考試験が出ている。日本の会社の面接試験で、何が出来ますかと問われて、ダンス部の学生はタンゴを踊って見せた。つまり隠し芸のうまさで評価してもらえる。ドイツでは有力会社におけるインターン(6ヶ月以上という!しかも複数!)のキャリアを並べたて、ときにはグループ討論で1段勝った論理を理路整然と述べて相手を説得する力を見せねばならない。
エリートは磨きに磨かれて行くようになっている。だがその制度は小学校時代から格差発生システムになっている。小学校は4年間だ。原則午前だけの授業で、給食はない。授業間隔は5分程度で遊ぶ時間はない。放課後の部活は一切無い。小学校同級生と云っても一つのコミュニティにならない。「二十四の瞳」を見直したばかりだが、教え子を二昔に渉って案じ続ける大石先生なんて、ドイツではあり得ない。私はそろそろ周辺を整理する年になって外して行くようになったが、まだまだ学校時代の同窓会へのお誘いはやってくる。彼らは、義務教育時代の絆を味あうことが出来ないシステムになっている。
彼らは5年生相当になると、3方向のいずれかの進路を選ばねばならぬ。私がいた頃はドイツのMeister(親方)制度は確たるもので、社会の中の1つのステータスとして、尊敬も集めていた。今はそれが形骸化している。この職人コースが1つ、大学進学コースが1つ、それと中間の実業コース。会社の技術系では、それぞれの卒業者に対応してMeister、Dr.またはDipl.-Ing.、Ing.と敬称が決まっていた。イギリスもそうだったが、ドイツも階級社会であると認識したものだった。10歳の子供が自分の将来の可能性をどれほど自覚しているか、周囲が把握しているか。データは教室の成績だけである。共働きで昼間両親不在という家庭が多くなった。大石先生ほどに理想的でなくても、全人格的に対応する義務教育制度を持つ日本は幸福である。
若者の「あかんたれ」時代に入った。行動に言辞に幼さが目に付く。覇気がない。まともな議論を避ける。私が高専の先生であった頃、同僚の教授は「指示待ち世代」と云って嘆いていた。つまりもうずいぶん昔からこの傾向は出ていた。何よりも留学生の数と質が物語る。政治家の「あほたれ」時代に入った。ノーベル賞の山中教授が研究員人件費稼ぎに寄付募りのマラソンをやる。ドイツ人は絶句するだろう。iPS基礎研究時代に、その貴重な財源だった戦略的創造研究推進事業費を、民主党は政権を取ったとたんに予算削減対象にした。有名な「二番手ではダメですか」発言も民主党議員からであった。
さすがにドイツを理想郷のように云うヒトは少なくなった。訪独のとき私は週日でも夜になると店は直ぐ閉まってしまい、土曜日は午前だけ、日曜日は完全に閉店という町に驚いた。閉店時間法という法律が生きていた時代だった。さすがにこの法律は少しゆるめられたそうだが、安息日思想は厳として存在する。消費者への利便提供サービスなど全くやる気がない。閉店10分前に買い物に入ろうものなら、店員の仏頂面と戦わねばならぬ。24時間営業などない。ATMなど置こうともしない。従業員の質の悪さは、鉄道を見れば解る。列車の前後が逆になって入ってくる、指定席券の号車が繋いでない、列車連絡など宛にすると大変だ、脱線しても何の手当もしてくれない、日本の駅員なら事細かに事故の際の次善策の相談に乗ってくれ、てきぱきと回答を出すのにドイツはまるでダメetc。
EUの現状はTPPへの警告だ。ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルからひょっとするとフランスまで、まあフランスはまだだが、だらしのない放漫財政の尻ぬぐいがドイツの義務であるように非難され続けて、ドイツ人はさすがにもう我慢が出来なくなり掛かっている。EUには脱退の規定がない。苦悩の原因だ。日本は抜けられない共同体に入ってはいけない。ドイツも日本も、「永遠の加害者」で、たくさんお金を出しても、たいして感謝されていないところも、とてもよく似ているとある。笑ってしまった。私はTPP交渉賛成論だ。交渉すら反対の人はとうてい理解出来ない。だがTPP協定交渉が米国のスケジュール通りに進むなどとは少しも思っていない。悪くすると空中分解だと思っている。筆者はどうも私に近い意見のようだ。

('13/08/26)