リンパの科学

加藤征治:「リンパの科学〜第二の体液循環系の不思議〜」、講談社BLUE BACKS、'13を読む。私のリンパの知識は至ってお粗末だ。中学生のころ大学の解剖学教室見学に連れて行って貰った。血管は見たがリンパ管など見た覚えがない。風邪でも引くと扁桃腺が腫れる。この現象だけは子供の頃から知っていた。扁桃腺はリンパ節だとは知らなかった。高専奉職時代にエイズ騒動が持ち上がり、急いで免疫不全を勉強してリンパ球の役割を知った。チェルノブイリ原発事故における子供の首回りリンパ節のむくみは、ニュースで知った。これらは、専門外の知識になると、どうしても断片的受動的になるいい証拠だ。
リンパ系という血液に次ぐ第2の循環系があることが解ったのは、血液より遅れること1世紀だったそうだ。リンパ液は心臓から毛細血管までは動脈を血液と共用し、毛細血管から細胞組織へ漏れ出す。細胞外の組織液のリンパ液が毛細リンパ管から吸収され、静脈のように、漸次太いパイプに集められて最後は静脈へ流入する。毛細リンパ管には盲端がある。だから血管のような閉鎖循環系にはなっていない。リンパ管には一定間隔に静脈そっくりの逆流防止弁がついている。バルブとバルブのあいだを分節と云うらしい。分節を平滑筋が取り巻いている。自律神経と繋がっており、伸縮の自律運動を繰り返す。リンパ心臓とも筋ポンプとも書いてある。血液は40秒で1回体内を循環するというのに、リンパ液は12時間かかる。リンパ半循環系の起源は硬骨魚類からとされている。進化論でお馴染みの半端者ヤツメウナギでは、まだリンパ管は静脈からの分化途上にあるとされている。
心臓を出たときは血液と一緒だった。だからリンパ液は静脈血漿とよく似た組成になる。ただ生体膜が物質分離を行うから、血漿とは幾分組成が浸透圧とともに変わる。高分子量分子ほどリンパへは通りにくくなる。だから血液よりはさらさらしている。血液凝固はフィブリノーゲンのおかげだが、リンパにも少量ながらそれが含まれていて、やっぱり凝結作用の理由になる。コラムに脳内の関所というのがある。19世紀のドイツの細菌学者エールリッヒは、血管に入れたある色素がほとんどの組織を染めるのに、脳が染まらないことを発見した。血液脳関門は20世紀後半に電顕で確かめられた。脳を有害物質から守っている。でも万能ではなく、アルコールやカフェイン、ニコチン、抗うつ剤などを通してしまう。この関門も生体膜だろうが、きちっとした知識を持ちたいものだ。
「血管の分布していない組織にはリンパ管は存在しない」とある。血管系の組織との物質交換における欠点を補うのがリンパ管系であるとすれば当然だ。だが血管は分布しているが、リンパ管が存在しないというのが脳脊髄である。脳血管から漏出した特別のリンパ液の髄液はクモ膜下腔や脳室に溜まる。リンパ管網はクモ膜の上の硬膜に来ている。リンパ液の1つの大きな任務は老廃物の運搬だ。人の消費エネルギーの2-3割は脳が行うとどこかで読んだ。老廃物が脳に溜まって困るのではないか。
脳のエネルギー源は他の組織と違ってブドウ糖一本槍である。脳細胞は再生されないから、アミノ酸不要だ。本書には老廃物に関する化学的記述はないが、老廃物の主力と想像されるN-化合物は作られないのだろう。そう考えると、脳内にリンパ管が発達せねばならない理由はない、廃棄物処理は血管系だけで十分だ。本当かな? 甲状腺ホルモンの搬送は血管系が普通は担っているが、一部をリンパ管が分担しているという。高分子量のサイログロブリン(66万)である。脳内産生ホルモンにも高分子量物質があるのではないか。卵胞刺激ホルモンの分子量は万のオーダー。エンドルフィン、ドーパミンいずれも分子量小。少し捜してみたが、何10万という高分子量物質はまだ見あたらない。
皮膚のリンパ管ネットワークの模式図は発生学的に興味深い。毛細リンパ管から前集合リンパ管へ、次に集合リンパ管に集まり、さらに集まってリンパ本幹となり、静脈に注がれるが、皮膚を離れる直前の集合リンパ管が、筋膜を挟んで、相互の連絡支流を持った2重になっている。皮膚は表皮、真皮、皮下組織、筋膜、筋層から成る。先端の毛細リンパ管は毛細血管と同じく真皮から始まる。1次元的な血管系と違い、3次元的な網目構造になっているのが面白い。本幹に近い部分は胎児期の静脈から発芽するが、末梢遠位のリンパ管はその位置の組織間隙から生じるように見える。熱帯魚ゼブラフィッシュでは遠位のリンパ管の前駆細胞が、静脈起源だという実験が紹介されている。元を辿ればどちらも造血幹細胞からということらしい。小腸の模式図はさらに複雑だ。何しろ7段に分かれて分布しているのだから。
エコノミークラス症候群の話が出てくる。これは静脈血栓とその血栓の飛び火の話だから、リンパと直接の関係はないはずだ。でも同じ姿勢で長時間じっとしていると下肢にむくみができるが、静脈血管とリンパ管は似た構造だから、リンパ浮腫もその一役を担っていますという説明にはなっている。女の方がリンパ浮腫を起こしやすい。筋ポンプが弱いのだ。母が出産前に足をむくませていたことを思い出す。乳がんや子宮がんの手術で、転移の畏れから、大幅にリンパ節を取り除く場合がある。それが浮腫の原因になることもある。
浮腫はfatalではないがquality of lifeに影響する。治療方法は一般には所謂もみ治療のようで、複合的理学療法ともっともらしい名がついている。リンパ分水嶺があるので、むやみやたらに揉んではいけない。浮腫の構造が固定化する前に、つまり早期に治療に掛かると直りやすいものらしい。診断には造影剤法、MRI法、X線CTスキャン法、超音波エコー法、放射線同位元素法、色素・ICG蛍光法などが上がっている。ICG蛍光法とはインドシアニングリーン(ICG)成る蛍光物質を注射して、赤外線カメラで撮影する近赤外蛍光リンパ管造影検査法だと説明がついていた。
リンパ球出生の場は骨髄である。骨髄にはリンパ管は来ていないので、細胞性のTは未分化未成熟のまま血管を通って胸腺に達し、そこで免疫機能能力を得るまで教育されて、体内に散って行く。胸腺はヒトの場合成人に成長すると退化してしまう。退化後の成熟教育担当については書いてない。体液性免疫を担うB細胞は出生の場で成熟する。冒頭の風邪を引いたときの喉のぐりぐりは、呼吸器系で増殖した抗原ウィルスがそこの末梢性リンパ組織でリンパ球に捕らえられ、そんなリンパ球が集まったリンパ節である。リンパ節には動脈から援軍リンパ球がどんどん送り込まれる。輸出リンパ管内濃度は輸入リンパ管内の100倍になると云う。不思議なのは血液中の赤血球はリンパに漏れ込まないのに、リンパ球が漏れ込めることだろう。本書にはあまりはっきり書いてないが、リンパ球はアメーバのように身体を無定型に引き延ばして、ある特定細胞(HEV内皮細胞)の間隙あるいは内部を通り抜けるようなものらしい。リンパ節ではTとBは棲み分けている。
がんがリンパ節に転移する話はよく聞く。リンパ管だけでなく血管経由もあるし直接組織に転移する場合だってあるが、リンパ節転移は「著名」な転移である。がん細胞がリンパ管を好むのか、リンパ管が誘い出すのか、は研究の最先端の問題らしい。漂着付着したがん細胞はリンパ球の免疫反応に出会う。リンパ球は自己と非自己を区別する。がん細胞のもともとは自己だのに、がん化すると非自己になるのだから面白い。本書にはその機構には一切触れてない。がん組織が転移した最初のリンパ節(センチネルリンパ節)は、がん切除手術の目安として大切だ。リンパ管を安全のためと称して深く切り取りすぎると、患者の手術後のQOLを下げてしまう。リンパ管経由の転移が必ずしもセンチネルリンパ節で終わらず、その先まで「跳躍転移」している場合だってあるそうだ。泣き所はあるが、センチネルリンパ節の検査手段の進歩に、研究者は努力を重ねている。
著者は解剖学、リンパ学を専門とするとある。解剖学的記述に詳しいのはそのためだろう。その分不慣れな学術用語が多くなるが、索引に助けられた。

('13/07/14)