新日本風土記いろいろ
- 「新日本風土記 「別府」」を見たとき、私は長い間、「新日本風土記」を「新日本紀行」と混同していることに気がついた。「新日本紀行」は昨冬にアーカイブスやオンデマンドから引き出して楽しませて貰った。このHPに「新日本紀行いろいろ」という題で、各番組への私なりの寸評を書いている。日本文化記録保存の意図を持って、次々に民俗資料がいろんな題名の下にNHKに蓄えられてゆく。結構なことだ。ただし、「新日本風土記」に関してはNHKオンデマンドに載っている番組は少ないのが残念だ。でも「新日本風土記ミニ」というエッセンス版がなんと250編近くあるのを見つけた。時にはそれを参照しながら、以下に順不同で番組への感想文を入れる。
- 「新日本風土記 「別府」」には懐かしい画面が繋がっている。何しろ1ヶ年大分で過ごした。クルーズでも立ち寄った(本HPの「冬の別府」)。湧出量は抜群、源泉数とともに日本一の温泉地である。会社の施設、健保の宿、ちょっと見つけにくい共同風呂などが記憶に残っている。でも紹介された「貸間旅館」とか「砂湯」は経験しなかった。声の出演 : 松たか子、語り(語り手) : 高橋美鈴 、黒沢保裕、歌手 : 朝崎郁恵とある。それぞれが落ち着いた雰囲気を醸し出す。朝崎の唱う「あはがり」は奄美の民謡で、聞くものをなにか心懐かしい気持ちに駆り立てる。本年2月の放送。
- 「新日本風土記 ふぐ」は'11年12月放送の作品である。今年に入ってアンコール再放送された。私の一番好きなふぐ料理はザクだが、放送には出てこなかった。どうも愛媛県の郷土料理らしい。ザクは刺身のバリエーションで、酢橘(すだち)を薬味の一つに使うところに特徴がある。小刻みにしたふぐ皮を魚肉に混ぜる。こりこりとした歯ごたえが魚肉よりもさらに強くてうまい。家内は昔は肝を少量入れて食ったという。今は禁止。フグ毒(主にテトロドトキシン)が舌の痺れを起こして、云うに云われぬ旨味をもたらすそうだ。危険覚悟で醍醐味に浸るわけ。ほかにも郷土料理であって世に知られていないものがあるかも知れない。フグ毒に当たったら土中に患者を首だけ出させて埋めると回復するという民間療法があったとかは、この放送でも取り上げていた。
- ふぐの身が硬いのは、筋内のコラーゲンが強いからだ。厚すぎてはうまくない。刺身で楽しむために職人が編み出したギリギリまで薄く引く技を大写しで見せてくれる。大皿に薄身を広げて鶴や花に似せた飾り盛りにして(「鶴盛り」、「孔雀盛り」、「牡丹盛り」、「菊盛り」などがあるという)、目を楽しませながら賞味する。ふぐは絞めてから半日-2日ぐらいが食べ頃と云った。ふぐ引き包丁を造る堺の職人技の紹介もあった。彦島に日本唯一のフグ専門市場がある。真夜中から仕事が始まり、職員が引き上げるときはおはようございますと云っている。市場での取引はいろんな仕掛けがある。独特の袋セリは極端な競争を防ぐ意味があるらしい。特大ふぐ2匹で3万円!には驚いた。市場の仕分け職人は秤無しだ(100g単位で4段階、最大が1000g)。ふぐ漁師(瀬戸内)は出漁すると生け簀一杯になるまで戻らない。1週間という。ふぐをつり上げたら直ぐ牙をペンチで折る、生け簀で傷つけあわないようにするためという。ふぐは貝やヒトデを食うから鋭く堅い歯を持っている。トラフグはイワシを好むからそれを餌に延縄漁方式で釣るが、釣り針接続部は食いちぎられないように針金である。
- 日本人はフグ毒には振り回されてきた。江戸時代、侍はフグ食を禁じられていたが、長州では食っていたことが日記などで判っている。近年では歌舞伎役者・板東三津五郎が中毒死している。時代劇にもフグ毒がよく出てくる。書棚に清水潮:「フグ毒のなぞを追って」、裳華房ポピュラーサイエンス、'89がある。古い本だが、フグ毒はフグが体内で産生するものではなく、外部から取り入れるもので、フグ自身はこの毒に抵抗力抜群だとある。長崎の養殖フグには毒がない。毒はフグの食餌(海底に住む巻貝(オオナルトボラ、ボウシュウボラら)とかヒトデ(トゲモミジガイら))からくると判っているから、無毒人工食餌で育てている。貝やヒトデもバクテリア起源の毒を食物連鎖で濃縮しているに過ぎない。
- 白子は精巣でトラフグなどのは無毒。珍品だそうだ。酒に旨味を抽出させて飲む。ひれ酒だけでない、ふぐ酒ほかいろいろある。鍋にするときは昆布だしとする。フグのイノシン酸と昆布のグルタミン酸が単独よりも8倍のうま味を感じさせる。名人料理人の三代目の修行の様子が面白かった。店では刺身まではやらせてもらえないから、専門市場でのフグ捌きに出かけるのだ。若手が料理研究会を開いて技術向上に努め、下関をふぐ料理で人を集められる町にした。フグ毒が最も多い卵巣を糠漬けで発酵させ、3年も寝かせると毒が分解されている。石川(白山)に伝わる名物だ。フグ禁止令で危うく製造禁止になりかかったことがあると言った。
- NHKオンデマンドの「新日本風土記 城 戦の跡 夢の跡」は、信州の松本城から始まる。石川数正に、秀吉が関東に追いやった家康への睨みとして築城させた。堀には無数の先の尖った杭が打ち込まれている。敵の侵入への備えである。幅60mの堀は当時の火縄銃の射程距離が55mであったことから来た。天守閣にはむき出しの銃眼が数多くある。彦根城は、関ヶ原の後に井伊家に家康が造らせた対豊臣おさえの城。銃眼は外からは見えないが、内側から壁を破れば直ぐに造れるように準備してある。秀吉時代の大坂城の堀が発掘された。底面には凹凸があり、凹みの泥にはまると危険になるように造られている。熊本城は加藤清正による関ヶ原後の築城である。松山城も同様に関ヶ原後に加藤嘉明により造られた。
- 高知城は山内一豊の築城。城主夫妻が住み、政務も執り行った本丸御殿が残っているのは珍しい。二条城は徳川将軍の京都陣所。豪壮で伺候する大名を圧倒した。宇和島城(藤堂高虎、関ヶ原あと)、姫路城(池田輝正、関ヶ原あと)、会津の鶴ヶ城に、竹田城(関ヶ原で敗れた赤松広秀の城、石垣がすばらしかった。)跡と復元された首里城(おせんみこじゃ(祈祷の間)がある。沖縄御嶽信仰(琉球神道)の中心らしい。)等々の城を歴史と共に紹介した。石垣作りの技を今に伝える石工集団の穴太衆(あのうしゅう:発祥の地・滋賀県坂本では叡山の宿坊すら堂々たる石垣を持っていた。)や先人の技を引き継いで修復を進める左官職人の話もあった。奈良県の高取城址は私が訪れなかった唯一の城である。何度か計画はしたが果たせなかった心残りのお城だ。映像の中で全く知らないのはここだけであった。
- このHPに「中世の城」がある。千葉の成東にある城址公園を訪れたときの印象などを書いている。番組に紹介された威風堂々の堅固なお城とは違い、土塁だけの、我々感覚で云えばお城と言うにはお粗末すぎる、砦ほどでしかない陣屋だった。これでもかなり近世に近い時代のものだ。越前の朝倉氏居城跡は戦国時代のものとは云え、城の元始の姿を留めていた。元始は鎌倉時代のお館にある。佐倉の歴博にゆくと、そのジオラマを見ることができる。インターネットで「千葉のお城一覧」を見たら、なんと67件も登録されていた。そのうち10城ほどは自分の目で確かめている。多分整備されているもの全部だと思う。あとは地名に残ったり、文献的に確かであったりするものばかりだ。お城巡りには辺鄙な場所に行かねばならぬ場合がある。車の運転ができる年齢の間に、実行されることをお勧めする。
- 「新日本風土記 越前の冬」が放映された。冬の味覚「越前ガニ」が最盛期を迎える福井県北部を訪ねる。私は越前旅行はかなりした方だが、現地での越前ガニには縁がなかった。旅の出発点は、「木ノ芽峠」だった。「越ノ国」と若狭の国境である。古代大和政権の初期はここからは異境だった。標高600mを越す峠で、幅2mほどの古道の山道を辿らなければならない。箱根峠や妻籠から馬籠に至る道のような石畳の舗装が見えた。明治までは幹線道路であった。山頂には、今もじいさん1人の「峠の番人(江戸時代は藩境だった、じいさんは代々続く関守の家系だ。)」が暮らし、歴史ある番所の冬支度に忙しい。川沿いを下ると冬の風物詩が次々と出迎える。今庄の山里では我が好物の「つるし柿」が並ぶ。燻製で甘味を増加せしめるという。日干しよりも甘味が強くなるという。この話は知らなかった。
- 谷あいの五箇地区では女性たちが白い息を吐きながら冷たい水で「越前和紙」を漉いている。今もかなりの和紙工房が実働している。ここらへんは別番組でも紹介されたように思う。歌い継がれてきた労働歌「紙漉きの唄」が歌詞と共に披露された。越前大野には一度行った。湧水豊富な土地である。紙は特にそうだが日本酒もいい水が必要だから醸造が盛んなようだ。旬の里芋を甘辛く煮た「ころ煮」を肴に雪景色を見ながらの燗酒とは、どんな味なのだろう。カニ漁の解禁で活気づく街にはカニゆでの名人がいる。彼らの講釈を聞いているとなかなか奥が深いものだと知る。漁港三国港が映る。北前船の風待湊として有名であった。そこへえちぜん鉄道に乗って旅したことがあった。本HPの「福井と三国湊」に印象を載せている。ほか「街道をゆく」にも記事がある。番組は寒い冬ならではの越前の魅力をたっぷりと伝える。
- 「新日本風土記 うどん」は少し前にも見た。新日本風土記ミニに「さぬきうどん」があった。隣の愛媛県に住み自動車で簡単に来れたから、「うどん県」香川県のうどんはなじみ深い。でもそれほど深くは知らなかった。私の香川県での印象の1つは、琴平金比羅さん門前のうどん屋合戦であり、1つは薬味にショウガの入った冷やしうどんであり、1つは醤油ぶっかけうどんである。いずれも私のHPのどこかに記事となって保存されているはずだ。関東に引っ越して以来こちらのうどんは、特に出汁が、口に合わぬので敬遠していたが、本場のうどんチェーン店が店を出すようになると、またうどんを日常的に食うようになった。
- 香川県にはなんと900軒のうどん屋がある。県内は八十八ヶ所巡礼の時普通は訪れない場所まで回ったが、うどんの普及はたしかに天下一だ。さぬきうどん特徴のこしの引き出し方は面白い。まずボウルの中で小麦粉と塩と水を混ぜる。このHPの「B級グルメが地方を救う」に、「うどんもラーメンも麺製造に油を使うが、温麺は油を含まない。ヘルシーなのである。」と記載している。この記事の出所は、新幹線の白石蔵王駅にある温麺(うーめん)の館だった。インターネットで調べてみると、製麺に油を使わないことを強調した製品があるから、油は普通は使うのであろう。次に生地を足踏みで練る。この番組だったかどうか忘れたが、生地の足踏みには昔一悶着あった。不衛生だというので、県のきもいりで製麺機械が開発された。でもうどんには普及しなかった。足裏に伝わる微妙な感覚が練りの命だという。
- さて一晩寝かせたのち薄くのし状に伸ばして細く切る。こしが出る理由のグルテンが増加している。今の高松ではセルフサービスのうどん店が割にポピュラーだそうだ。それはそれは徹底していて、丼鉢加温、うどんの玉ゆで、トッピング選びから出汁薬味まで全部セルフである。3軒ある千葉のうどん店の2軒までがこの方式に近いが、こちらはトッピング選びと薬味の選択だけがセルフであとはお店でやってくれる。まだこちらのお客はうどんに関しては素人さんだからだろう。僧侶の修行中(京都の禅寺・相国寺)の「うどん供養」は面白かった。このときばかりはズルズル音を立てても許される。ところが何事も修業だからと、腹一杯でも全部綺麗に平らげねばならぬ。トッピング無しの素うどんだったと記憶する。
- 私にはうどんは大阪だった。でも落語の「時うどん」が出た程度でほとんど出てこなかった。この「時うどん」の一言、うどんは出汁というのが利いていた。出汁で食うのであった。でも全国版になった讃岐うどんは、大阪うどんの出汁の良さをきっちり取り入れているという。昔々新聞記事で読んだ知識である。同感である。
('13/02/27)