
- 伊達博物館で朝鮮通信使の接待覚え書を見たのが契機になって朝鮮植民地化の歴史を勉強する気になった。
- 藩の財政が傾くほどの饗応を受けた朝鮮通信使のご一行は詳細な見聞録を残している。鎖国を国是としている国から例外中の例外で日本に旅行したのであるから当然である。彼らの日本評論の一部を古田博司「朝鮮民族を読み解く」ちくま新書, 1995 に見ることができた。
- 「婚姻は同姓を避けることなく、同祖の兄妹が互いに嫁入り、嫁取りをする。兄嫁や弟の嫁も寡婦になれば、ひきいて養う。淫穢の行いは、すなわち禽獣と同じである(海遊録)」。海遊録は平凡社の世界大百科辞典によると合計23冊に及ぶ日本紀行記中の白眉だそうである。その他別人の5件ほどの引用も似たようなもので日本人はその風習から見て野蛮人そのもので犬猫の類だそうである。「きりがない(ほど罵倒の引用ができる)」とあった。
- 古田先生によるとこれは国学に朱子学を採用し徹底させた当然の帰結だそうで、それに元々日本は倭の国だからでもある。朝鮮人は東夷つまり中華から見て東の夷だと自称する。倭はやっぱり野蛮人の意味だから野蛮人どうしでどう違うんだいと思った。野蛮人にもグレードがあって倭の方が夷よりもっと野蛮なのだという説明だった。野蛮人にも階級があるとは初めて知った。
- ついでながら沖縄は朝鮮よりも中国明王朝での順位が高かった。彼らはそれを小中華といえる自分らに比べて沖縄の後塵を受けることに切歯扼腕するのである。やはり倭の女真族の末裔の国清は宗主国でありながら彼らの内心では朝鮮の下に見られている。
- 死後の世界はあの世である。それは我々の場合で彼らのネオ儒教朱子学の場合は違う。死霊はこの世にとどまるのである。死霊と共にある人々つまり祭祀を行える人たち堂内(チバンというそうな)は鉄壁の団結と秩序を誇る。婚姻にまつわる秩序などは序の口である。江戸時代の我が国は今に比べたらすばらしく道徳的な社会だった。しかし通信使の目では日本人はご指摘に関しては確かに豚か鶏である。
- 「人民の念願を輝かしく実現して下さったことにより、我が人民は首領様を慈父として限りなく尊敬し、高く仰ぎ奉り、首領様に忠誠と孝養を尽くすのです。」堂内を祭祀の起点とする集団、宗族の首領は今は北では金正日閣下である。一般家庭での祖先の祭りは廃れ国家がその位置に来るように指導されている。韓国大統領も発言録に宗族の民族への拡大に心を配っている様子が示されている。坊主を賤民に落とし、埋葬に手落ちがあると百叩き、下手すると打ち首にまでして朱子の礼を徹底さした国なので人心の改革帰還は大変である。
- 百二十年前抜きがたい一方的な日本侮蔑感の下で新しい関係が始まった。日本側の朝鮮侮蔑感は植民地化の過程で生まれたあまり歴史のない感覚であった。一読してつき合うのに実に困難な民族だと思う。しかし著者は、'92年に韓国を訪問したとき、レストランで一人で飯を食っている人間(もちろん韓国人)を発見したと云ってびっくりする。その意味の説明が長々と続くのだが、要は将来の日韓関係に明るい日差しを感じさせる挿話なのである。訳を知りたい方はどうぞこの本をお読み下さい。古田氏のこの著書は多くを示唆してくれるいい本である。
('97/09/12)