Kimono Beauty展

千葉市美術館の「Kimono Beauty−シックでモダンな装いの美 江戸から昭和−」展を見に行った。ボストン美術館のビゲロー・コレクションの里帰りが売りだった。18世紀から明治時代の女着物17着と小袖雛形本7冊である。ビゲローが選りすぐった着物だけあって、見事だった。明治の1着(唐織)以外は全て刺繍入りだった。織物は300年が保存の限度で、400年以上経った太閤時代のものに例外的に残っているものもあるが、正倉院御物などに見られるようにそれ以上のものはせいぜい布切れである。ビゲローは美術館に寄贈したとき、(生地や染料の劣化を嫌って)展示しないことを条件にしたそうで、大量の稼集品(1000点?)のうち年に展示される数はごく少数だそうだ。そのためもあってか、展示品の状態はきわめて良かった。
ビゲロー・コレクション以外に330点ほどの展示品があった。そのうち着物は前後期で展示を替えている。前期も見ておけばよかったと後悔するが、先に立たずだ。後援の共立女子大学からは纏まった数の優れた作品が出品されていた。京都の一角にしか平素はいなかった公家女性の小袖などよくぞ稼集出来たものだ、富の変遷と共に美術的価値の高い着物の所有者購入者が武家から富裕町人へ移ってゆく。あのように凝った刺繍の着物は今時だったらとても手の届かぬ高価な品だ。明治から大正昭和と時代が下がるにつけ刺繍は廃れて化学染料による染め物が主流になる。図柄も江戸期の日本画風景から幾何学的模様、洋風図案などに変遷する。歴史の変遷期は面白い。
明治に入ると時代を反映して、色調色彩図柄がパッと華やかになると思いきや、逆に黒色ねずみ色の落ち着いた色彩の、しかも全面ではなく裾部分当たりに、さりげなく絵模様を入れるという地味指向に転じた。なんとも理解しがたい傾向−流行?−を生んだものだ。ただ展示の同時代の浮世絵には、江戸時代からの華やかな色彩の着物姿の女性が描かれてある。ギャリートークの先生は、その絵は写実ではなく、あるいは花街のあるいは貴人令嬢の姿を観念的に描き込んだものと云った。着物は地味になったが、締める帯は派手になって、着姿はコンストラストが美しかったろう。締め方が江戸時代よりも簡素になった分だけ、帯の強調が必要になったから、こんな傾向を作ったと云えないか。須坂クラシック美術館は銘仙着物に関して纏まった出品をしていた。着物用語は展示に合わせて解説が掲示されているが、読んでも漠然としていている。家族の着物姿をもう数年来見ていないのだから、私の年齢層でも、伝統の着物文化からかなり遠ざかった位置にいると思わざるを得なかった。皆さん、銘仙を他からきっちり区別できますか。帯になるともっと難しい。
描かれた着物も展示してあった。江戸期の浮世絵は千葉市美術館所蔵のものばかりだが、なかなかの厚みのある展示であった。高畠華宵を主とする大正時代の絵画は弥生美術館の出品である。髪飾りの出品は澤乃井櫛かんざし美術館からで、紅板を見るのは初めてであった。紅板とは手持ちの紅で、外出の時などのお化粧直しに用いたものらしい。弥生も澤乃井も私は知らなかった。前者は東大本郷キャンパスの弥生門あたりに竹久夢二美術館と併設されているらしい。後者は玉堂美術館と同様、奥多摩の清酒「澤乃井」の系列である。ごく最近に開館したらしい。
高島屋史料館から図案が出品されていた。ギャラリートークの先生によると、百貨店の中では松阪屋に豊富に残っているという。戦災の偶然が影響しているらしい。誰でも呉服と云えば越後屋今の三越と思うがそうではないのだ。偶然だったが、2/2の読売夕刊のトップ記事に、「越後屋」世界初の量販店という見出しの記事が載った。脱線ついでに紹介すると、売り上げ年100億円、店員数300人で18世紀世界最大だったそうだ。先物買いが世界初だったことは知っていたが、量販店方式も日本の発明だったとは知らなかった。奈良県立美術館からはあったが、「着倒れ」の京都からの出品はなかった。それでもこれだけの収集品を展示できるのは、心強い。
着物文化には関心を抱き続けている。歴博の野村コレクション(本HP「歴博企画展「江戸モード大図鑑」」)はすばらしかった。商社丸紅の「丸紅コレクション」の「淀君の小袖」は復元品だが、高島屋にわざわざ見に行ったと本HPに載っている。本HP「打敷から小袖へ」には京博の「花洛(みやこ)モード」展にも触れている。着物は絵や彫刻とは違う。生の女性が着こなして見せて初めて評価できるものだ。それに着物は帯や足袋、髪型から下着まで含めての全体美の一角を占めるに過ぎぬ。生きた服装文化として鑑賞できる機会を考えて欲しい。今はどうか知らないが、かっては常設であった西陣織会館の着物ショーを思い出す。本展覧会の観客にはたいそう着物姿の女性が多かった。着物割引があって観覧料が2割割り引かれるという。じろじろ見渡したわけではないが、生きた服装文化をという私の趣旨には沿っている。この美術館は展示テーマの選択にも鑑賞者への働きかけにもいろいろ斬新な手法を見せてくれる。
「文人画再発見!」のコーナーに、ビッグネームの作品が並んでいた。池大雅、渡辺崋山、田能村竹田らの書画である。大半がこの美術館に寄贈された西谷コレクションに属していた。コレクターの西谷彦四郎氏については全く知見がない。先月は新潟の敦井美術館に行った。そこも個人(敦井栄吉氏)蒐集美術品を基礎としていた。財力に余裕を持った鑑識眼のある人材が文化に貢献する。格差論争は華やかだ。格差に囚われたヒトなら、所得は公平にせよ、美術品は公的資金で公的機関に蒐集したらよいと云うであろうが、立派なハコを先行させたが、それに見合う芸術品は公立機関ではなかなか集まらぬ例をいくつも見ている。県議会や市議会がコレクションを先行させた例は皆無だろう。良い美術館はたいていコレクションがまずあって、それにハコをつけた形だ。

('13/02/03)