アンコール遺跡U

アンコール遺跡観光の後半を纏める。
第3日になっている。そろそろ和食が恋しくなるころ。うまく計画してある。昼食は「たけその」なる日本料理店での焼き魚、茶碗蒸しなどの入った飯だった。いまいち味付けが飛鳥と違っていて、なじめない味であった。そのレストランのあるホテルのプールは白人系で賑わっていた。昼食前に日本人経営の天然ラテックスによるフォーム寝具の店に入り、弾性に優れた寝具の宣伝を受けた。何人かがその場で契約したようだった。前日のお土産店はクッキーの店だった。現地産業育成に力を入れる日本人NPOの店で、アンコールワットの文字が入ったクッキーを現地で製造し販売している。日本国内のクッキーよりもだいぶ高価だと家内が言う。でも土産には手頃だから皆さんは大量に買っていた。
ジャングルのガジュマル系の樹木が遺跡を崩壊しようとしている有名な寺院遺跡タ・プローム遺跡を真近まで見学して歩いた。大きなクレーン車が入っていて崩壊した石組みを元に戻そうとしていた。バス駐車場は物売りの列がうるさい。ここだったか忘れたが傷痍軍人と称する手足の障害者の楽団が演奏していた。義援物資を売っているようだった。我が国敗戦直後の闇市の軍帽と白衣のアコーデオン引きを思い出させ、何か切ない心痛む風景であった。何か今回の観光が楽しめないのはこんな風景が作用しているためと思う。ホテルの義援のぬいぐるみに、メッセージを入れて買った人もわれらのグループにいたようだ。
夕食は外のレストランにおけるフランス料理だった。特別の印象は無かった。投宿ホテル内のアンティークを売る店で、家内がお気に入りの古い指輪を見つけて買っていた。ホテルにおける為替相場は93.6円/ドルと時の日本における82円に比べて相当割高になっていた。ベトナムでは90円で計算していたように思う。
4日目、4時ごろには目覚めて準備に取り掛かっていた。5時過ぎにビュッフェ風の朝食、ホテルを6時半に出発。シェムリアップ国際空港出国手続きは割りと楽だった。シェムリアップとはシャム族追い出しという意味だそうだ。アンコールの土地が一時シャムに占領されていたが、それを追放した記念の土地名らしい。東南アジアの民族抗争史は複雑で簡単には理解できない。イヤホンは預け入れ荷物に入れてはならぬといわれていたが、そのまま別段とがめられなかったし、ヅボンのバンドをはずせとも言わなかった。出国は入国よりも簡単にしている。ヴェトナム航空の手違いでバンコックへの直行便にはならず、ホーチミン市経由となったから早朝出発になったのだ。恐らくこの空港であったろう、荷物を載せたキャリアーを小学1年生ほどの背丈の子供が押していた。寝足り無いのか押しながら居眠りしていた。こんな少年に労働をさせるのかとやりきれなかった。でも、ボーイでも物売りでも生きる意欲がある子どもにはまだ救いを感じる。アンコール・ワットの、柱に寄りかかったまま、虚ろげに物乞いすらしなかった姉妹らしい少女の姿が、再び目に浮かんだ。
窓越しに農村が見え縦横に蛇行する河川が見える。湖沼も豊富だった。流路が変わって置いてきぼりになったため出来たと思われる弓形の池もある。ベトナム戦争の時代にバンコックから香港に飛んだときは、迂回したか高々度だったかで農業地帯を見た記憶がない。大河川の河口に近い農業地帯とはこんなものかと見とれていた。ホーチミン市の近くには大きな河砂採取用凹み地が幾つも見られる。ホーチーミン市の発展と共に建築資材として砂が必要になったのだろう。メコンデルタの豊富な堆積砂が役立っているらしい。
ホーチミン市ではいったん空港待合室へ下ろされ、改めて1時間ほど後に乗り継ぎのために乗換えをする。やってきた飛行機はシェムリープで乗った元の航空機だった。機長だけは替わったという。乗務員に日本人がいてアナウンス全てを担当していた。ホーチミンからバンコックへの途中で軽い昼食が出た。ベトナム風の麺だったが、パン付きコーヒー付であった。ホテルで覚えたのだが、東南アジア風の麺類は例外的に私の舌にマッチしてなかなかうまい。11時過ぎにバンコックに到着。6年ほど前に新たに建設したという壮大な国際空港で、ホーチミンのそれよりもなお立派であった。入国審査窓口にASEAN LANEがあった。そこはASEAN人優先らしい。
空港近くのホテル、これも壮大だった、の1Fのビュッフェスタイルのレストランで昼食。1時半頃。インドカレーから寿司まで何でもありの国際色豊かなレストランであった。寿司は我々のためにたちまちにして姿を消した。外気温度は32℃でしかも高湿度のために、それからのバスの1時間ほどは途中にトイレ休憩を挟んだものの、大変苦しかった。レムチャバン港に到着したら店が出ていた。家内はタイ絹?の民族衣装を35ドルで買った。
船の夕食は和食、ほっとする、エンターテイメントは王立タイ舞踊学校の若い踊り手10数名の古典から現代風までのタイ舞踊であった。カンボジア舞踊と基本的には似ている。
ここらで東南アジア料理を総括しよう。何か調味料に工夫が足りない気がする。おおぶりの肉厚の野菜が少ない。麺類は良かった。パンやケーキはなかなかのものであった。バンコックのインドカレーも良かった。でもいずれもオリジンは中国であり、フランスであり、インドである。冒頭に触れたただ一度のシェムリアップでの和食は、仲間内では評判が悪かった。味噌汁の味が悪い、米は外米でないか、焼き魚に茶碗蒸しとは取り合わせを考えていないなどなど。
次の日14:00からデッキでアジアンフルーツビュッフェが行われた。マンゴーにパイナップル、バナナにレイシなどは我々に馴染みがあるが、もっともっと種類が豊富である。ASUKA DAILYにはドラゴンフルーツ、ボメロ、竜眼ロンガン、バンレイシ(釈迦頭)の紹介がしてあった。でも何かそのままでは癖があって食ってもうまくない。リンゴにしろミカンにしろその他数々のインターナショナルな果物は人間が品種改良を重ねて現在の姿になっている。東南アジアフルーツの各種もいずれそうなって世界に羽ばたくことになるのだろう。ドリアンはくさいくさいと喧伝されているが、意外と実は美味しい。ココナットだったか椰子だったかの実から取り出した白っぽいジュースは癖が少なくてうまかった。
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日本NPOアンコールクッキー店
タ・プローム遺跡1
タ・プローム遺跡2
タ・プローム遺跡3
バンコク空港入国審査風景
バンコク空港建屋

('13/01/22)