ベトナム紀行

今回の飛鳥Uのアジア・オータムクルーズではハロン湾、ダナン、ホーチーミンの3ヶ所のベトナム観光の機会があった。
ハロン湾に投錨するとベトナムの入国管理官が乗ってきた。彼らは船の昼食サービスを受けていた。入国許可を取ってから遊覧船に乗る。松島よりは島の大きさも、数もずっと大型の景観である。現地ガイドの日本語はまずは合格点をやれるものだった。3年ほど日本語学校に通い、日本には4日間ほど留学したというだけだから立派だ。TVで最近日本語学校(ただしカンボチャ)に教師として働くボランティアを紹介していた。卒業生が3年の現地教育でガイドとして働いている様子も映っていた。生活をかけて勉強すると、たとえ母語国に行かなくてもそこの国語を征服できる。1/8の読売に、日本人国外留学生の減少が日本の将来に影を落としているという解説記事があった。敗戦から今日までの我ら世代の「勤勉」姿勢だけは継承して欲しいものだ。
飛鳥Uの前後左右に結構多くの貨物船が見える。大型のはしけがその貨物船に通う。積荷は石炭で、ここは有名な無煙炭の産地なのだ。炭鉱は奥地?らしいが、やはり運搬には川運を利用していて、川下の港でさらに積み替えて海に浮かぶ船に運んでいるようだ。飛鳥Uの対岸に大きな近代的なつり橋がある。それをわたったところは近代ホテル街のようだ。世界自然遺産に登録後は観光業が盛んになったという。遊覧船は無数に浮かんでいる。島々の間に水上生活の部落があり、それらも観光資源になっていて、その案内に遊覧船が列をなして通った。
飛鳥Uの乗客は7隻に分乗して見物した。船内にはカシューとか何かの豆がつまみにおいてあり、飲み物もコカコーラとかジュースが無料である。ただビールは有料。船内には専属らしい小売業者がいて、土産を売って歩くが、押し付けがましいところはない。時折小船が近づいてきて、果物などを売る。乗客の1人が3ドルのレイシ?の枝を2ドルに負けさせたと吹聴していた。本当は1ドルぐらいのものじゃないかと思った。ドルは現地通貨並みに通用する。円は交換レートは知らないが少なくとも遊覧船では使えるようだった。小舟は船内業者と押し問答をして離れてゆく。遊覧は約2時間、また出国の確認を取られて船室に戻り、あと風呂で塩気を洗い落とした。
中部ベトナムのダナンに入港。街から離れた寂しい港だ。さて午前のツアーは8:20集合で、戻りが11時ごろだった。バスは1台、ガイドは大学では英語を学んだが、日本語に転向したヒトで、カラオケなどの影響でだんだん日本語に傾斜して行ったという。車窓からバイクの多さに感心する。ベトナムではバイクをホンダというのだそうだ。12-20万円すると言う。6割方が日本製。海岸は埋め立てが進んでいる。リゾートタウン建設などに韓国の進出が目立つ。町はフランス風の区画になっている。バスは公官庁街を通る。黄色が目立った。俗称にわとり大聖堂というダナン大聖堂はさしたる大きさではなかった。
ダナン市博物館1Fの中を見学。建物は昔のフランス商人の館を活用した。ミーソン遺跡出土品を展示している。日本語表示の説明ラベルがあるのは、日本が発掘調査にかかわったからだろう。ベトナム戦争でかなりが破壊されたという。現在復興作業中。いずれもヒンズー教の神像であったが、2体だけ仏像があった。中部ベトナムに勢力があったチャム族王国(チャンパ王国)は日本の弥生の頃に始まり13世紀あたりまで続いたらしい。館内で案内人に「ダラット」を聞いたヒトがいた。林芙美子の「浮雲」に出てくるベトナム中部の避暑地である。高峰秀子主演で映画化された。TVで放映されて後何度もビデオを見直した。その映画撮影にはベトナムロケはなかったので、かえって憧れの地になっていた。2Fが中国文化遺物で、説明は1Fだけであった。
五行山はなんと言うこともない海岸に近いせいぜい高さが100m程度の5峰。「大理石算出で有名だったが、今は観光資源として採掘は禁止されている。」と言う説明があり、次のバスストップは大理石彫像専門店。これも昔の洋館らしい。9割が仏教徒の国である。観音像とか布袋さんとか達磨さんとか、顔立ちは日本で見るのと殆ど同じだ。キリスト教関係のマリア像、天使像、キューピット像なども見事で、数の多さにも驚かされた。店員がしっかり後ろをついてくるので、なんだか見張られているという気分であった。中心街の近くで知り合った夫妻が下車。土地を知っているヒトらしく、午後現地で再会したら、ベトナム料理を食ったといっていた。我々も誘われたが、ベトナム料理はうまくないと知っていたので、やめにした。私は確かハワイで懲りている。この日の飛鳥の5F昼食はそばだった。
午後は自由行動を選んだ。13:45発のシャトルバスで行き15:30で戻った。まずシルクの店に立ち寄る。店員に案内されて鍵つきの部屋に通され一覧したが、たいして品数は多くない。どうもオーダーメードで、仕立てが主らしく既製品で品を選択するには適当な店ではなかった。さっぱり私の英語が通用しなかった。道路は車道と歩道の区別がしてあり、十字路には幾つかおきに信号機があるし、自動車は信号を守る。バイクの数の多さには参った。歩道が駐車場になっているから、通り抜けるのにかなり苦労だった。露台将棋を何箇所かで見た。将棋といっても、われらのとは異なる。丸札に漢字が書かれた駒を使っている。ハン市場を足早に通り抜けた。売り子がうるさいのとなんともいえぬいやな匂い、あとで香辛料の匂いと聞いた、が鼻について困ったからである。
今回世話をしてくれた現地旅行社のリーダーは10年このかたベトナムに住み着いた日本人で、ダナンは1年程といった。気さくないいヒトだった。手洗いはレストランのものを使った。博物館のも同様だったが、水洗式だがえらく背の高い便器で、明らかにフランス人が残したものだ。レストランは満席に近かった。庭にチャムの遺跡建造物を模した廟が作られていた。車窓の中に海軍基地があり、小型の艦船が数隻見えた。又かまぼこ型の倉庫の列があり、旧米軍ヘリコプター基地と分かった。
目に入る看板はローマ字書きだ。しかし英語併記はしてない。ベトナムの文字は複雑で、チャムの象形文字はまだ完全には分かっていない。やがて中国からの民族が南下して漢字に置き換わり、フランス植民地になってローマ字になった。チャム族は次第に僻地に追いやられ、今は山間や南端部の少数民族化していると聞いた。むしろカンボチャに多く住む。王国時代には、遺跡の出土から見て、中央部を中心にベトナム全土の2/3ほどを占めていた。
ホーチミンの港には午前岸壁に半時間ほど遅れて接岸。水先案内人が船首と船尾の方向を予定と逆にしたほうが出港に便利だとRECOMMENDしたので、それに従った結果だと放送された。何しろ川中だから狭いので大きな船は動きにくい。午後のホーチミン市遊覧のバスツアーを予約していた。統一会堂はベトナム苦難の歴史の象徴である。フランス提督官邸として始まりロンノル大統領府が置かれていた。最後はホーチーミン軍に攻め落とされるが、先に降伏したために破壊を免れた。庭には中国製、ロシア製の戦車が各1台づつ展示されていた。中央郵便局は駅舎のような建築物。それもそのはず、フランスのさる駅の設計者がその図面を利用したからという。天井が高く開放感がある。市の中心部はフランスの雰囲気になっている。遊覧バスを途中下車して街中を歩いてみた。といってもシャトルバス発車までの15分間だったが。店々は瀟洒である。幅広の道路が十字に走る。バイクも多いがさすがに自動車の数も多い。交通信号に従うので安心して道路を渡れる。日差しは強かったがそれほど暑くは感じなかった。
エンターテインメントのアオザイショーでは、驚くばかりに背高の美女たちが次々に現れ、古典的なアオザイから現代センスのものまでを見せてくれた。
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ハロン湾遊覧
ダナン市目抜き通り
ホーチーミン市旧総督邸・象足の屑入れ

('13/01/17)