ブラジル

堀坂浩太郎:「ブラジル〜跳躍の軌跡〜」、岩波新書、'12を読む。私にとって新興大国BRICsの中で一番遠い国であった。なにしろ地球の反対側である。あるのは断片的な知識だけだ。軍事政権、民主化、人工の新首都ブラジリア、女性大統領、移民、デカセギ、コーヒー農園、バイオガソリン、リオのカーニバル、サッカー、アマゾン河。このHPに「バイオマス」「アマゾン河の博物学者」という記事がある。昔から部分的だが強烈に興味を引くものをもつ国なのだ。クルーズ船の飛鳥Uは昨年の世界一周でブラジル沿岸を北上した。その映像がBS-TVで放送されていた。一度は纏めて勉強しておきたい対象である。
日本の4割ほど多い人口で、23倍の広大な国土。食料輸入が途絶すれば日本人は6-7割が飢え死にせねばならぬと聞いても、ブラジル人は信じられないだろう。それなのに主食の米には800%近い関税をかけ、食料輸入の障壁を下げる自由貿易には背を向けていると聞けば、なぜそんな政府を放置しておくのかと、革命経験豊かなここの国人は思うに違いない。'14年にサッカーW杯、'16年にはリオ五輪。世界の祭典がここで開かれるのは、ブラジルの発展を世界が納得した証である。GDPはまだ日本の1/4強ほどだろうが、1/4世紀以前に債務返済不能に陥った極貧の破綻国家というイメージから、なんとすばらしい発展を遂げたことだろう。史上初の現女性大統領は「自分の就任中に極貧状態(1300万人)を撲滅する」という公約を掲げている。
四半世紀前頃は中南米のラテン系諸国はほとんどが軍事政権であった。ブラジルではそれが21年間続き'85年にいたって文民政権に移る。クーデターで、スタグフレーションにあったブラジル経済が、政府への権限集中の下、ともかく年率10%という成長期を迎え、国民および外国資本の支持を受けたが、やがて経済破綻を迎える。民衆の運動に押されて、次々と譲歩するという形で、流血騒ぎを経ずに民政移管となる。民政前期は失われた10年と云われる。'93年のインフレ年率がなんと2500%に近かったという。超ハイパー・インフレだ。通貨切り下げ、通貨呼称変更がめまぐるしく繰り返されたが効果は薄かった。だがドルとのリンクで国民の信頼を取り戻す。政府は外貨準備とリンクすることを誓ったのである。
ドルという錨の役割は変動為替制に移行後はインフレ目標に切り替えられた。本HPの「円高円安」でも安定成長にインフレ目標は大切と議論していたと思う。市場開放策がとられた。今は最高関税率が35%と云う。日本の800%弱(コメ)に比してなんと低いことか。ブラジルは開発途上国なのに。私は貿易立国でありながらの、この日本の政治家の頑迷さにがっかりしている。官営事業の民営化が行われる。日伯合弁のウジミナス製鉄がその手はじめだった。国際金融との債権問題が合意に達する。ブラジル経済は成長軌道に乗った。四半世紀でGDPは倍になった。健全財政が維持されている。インフレ率は数%を上下している。前大統領の退任時の支持率は89%だったという。野田首相がその1/3であることを考えれば、国民の満足度がうかがい知れる。まだまだ輸入代替内需型の国内産業だが、コモディティ輸出は世界の資源枯渇傾向を反映して強気で行けそうだ。
文民政権になってからは民意を国民投票で問う方式が定着した。共和制か君主制かと言うのもあったそうだ。議院内閣制ではなく強い大統領制を選んだ。連邦制の選択で地方自治が強化された。税収歳出が端的にその結果を示す。前者は連邦が4割、州が5割、残りが市町村で、後者では連邦が5割、州が3割、残りが市町村という。民主化憲法制定には民意吸い上げに膨大なエネルギーが費やされた。人民修正案が122件あったとある。微に入り細にわたった憲法で、我が国で云う各種の基本法も含まれたような姿のようだ。だから憲法修正はしょっちゅうある。軍がシビリアンコントロールを受け入れた背景は、市民の意志を反映させる体制に文句が言えなかった点もあるだろう。今、ブラジル国会は多党制である。与党連合は4党の左派と4党の中道派からなり、左派と中道派は勢力相半ばしている。喧々ガクガクの決まらない国会で、強い大統領が指導力を発揮するといった姿なのであろう。日本では今2大政党体制が崩れかかっている。物事が決められる内閣を作るには、議院内閣制を止めなければならないのではないか。
本書では先住民の影は薄い。ポルトガルが「発見」したころは200万はいたという。今もアマゾン河流域には姿が見れるが、都市や入殖地域で見かけることはない。先住民狩りの嫌な風景を想像するが、歴史にこんな忌むべき記載はないらしい。黒人奴隷系は人口の5割を占める。いくら憲法に詳細に人種平等を謳っても、建国以来の鉱業農業のモノカルチャー的産業がもたらした社会の2極構造は簡単には直らない。だが着実な経済成長を背景に、貧困層の所得引き上げが実を結び始めている。'01年には35%を数えた貧困人口が'09年には21%に減った。'08年には新中間層の割合が初めて5割を超した。政策的に注目すべきは、最低賃金の意欲的な引き上げだ。前大統領は8年で名目2.55倍とした。生活保護(現金給付制度)は1300万所帯を対象としている。ただでは渡さず、きめ細かな条件付きである点は見習わねばならぬ。父親の酒代にならないようにか、母親に渡すのが原則という。我が国ではどうなっているのだろう。
計画都市ブラジリアはこの国の歴史を象徴する。内陸部の新首都建設('60年)は、開発前線を中央高原や、さらに奥地のアマゾン中央部に誘導するための呼び水として、立案実行された。何しろ広大だ。山地と云えるほどの山地は存在せず(0.5%)、70%が山地の日本の実質76倍の耕作可能面積を持つ。それが総じて多雨の熱帯亜熱帯の森林地帯だ。鉄鉱石にボーキサイトを代表とする鉱物資源も豊かだ。インフラ整備さえすれば一次産業だけでも立派に国の経済を支えることが出来る。60万人を見越してブラジリアは計画されたが、急テンポの開発はそれを遙かに超して今や人口は250万に達した。ブラジリアを支える衛星都市の変化は目覚ましい。長らくうかつに旅行者が近づけぬごみだめ的犯罪都市のイメージであったが、ブラジリアがブラジル随一の所得を誇る昨今になると、先進国並の近代都市に変貌しつつある。
貧乏人の子沢山といえるブラジル家庭だったが、家族4人以上はもう5割を切ったし、女性1人当たりの生涯出産数は1.9という。所得は四半期で8倍になり、GDPの上昇率も数%台を維持できている。先進国を目指してtakeoffしたと云える。人口の年齢構成はビヤ樽型になり、働き盛りの占める割合がぐっと大きくなってきた。本HPの「経済大国インドネシア」でも述べたが、当面続くはずの「人口ボーナス」が今後のこの国の経済発展の夢をバラ色にしている。
米自由貿易圏(FTAA)構想は潰れた。石油のOPECのような資源カルテルは鉄鉱石その他に対して結ばなかった。存在感増大に合わせるように、南米隣国との協調が進んでいる。EUタイプの域内貿易自由化を目指す関税同盟が、アルゼンチンほかと結ばれ、順次拡大させている。昨年、全12ヶ国が参加する南米諸国連合が結成された。隣国と結ぶインフラの整備も目覚ましい。ブラジル、アルゼンチン、チリに跨る交易軸は南米一という。ローカル多国籍企業となったブラジル資本が輩出している。本HP「老舗製造業」にあるように、我が国には歴史を誇る企業が多いが、ブラジルでは半世紀以上の歴史がある企業は僅かに1.4%だと云うほどに若い。創業精神に富み、アグレッシブだという。ごく自然に国際プレゼンスを高めているのがブラジルである。
戦前戦後の日本移民は24万を数える。日系コミュニティが存続できるほどの規模であることは大きい。対してブラジル人のデカセギ在留数は'07年がピークで32万という。日本には在日ブラジル商工会議所も設置された。加えて元来が多民族国家で民族の障壁が低いことも、また民主主義路線が安定化したことも、とくに最近の対中国の緊張関係との対比において、今後ますますの親交を期待できる材料である。工業製品や技術の輸出、一次産品の輸入という昔のお付き合いは、すでに企業進出や投資という形で変革されつつある。いつなんどき政府の風向きが変わるかも知れぬ恐れが、中国進出にはついて回る。中国リスクの中心だ。ブラジルではそのリスクはごく低いようだ。「愛国」で焼き打ち暴行に会う中国とは違って、民間ベースの努力が着実に実る相手と思っていいようだ。

('12/10/18)