新幹線の運行

川辺謙一:「図解 新幹線運行のメカニズム〜ダイヤ作成から、出発準備、保守点検まで〜」、Blue Backs、'12を読む。本HPでは、この著者とは「新世代鉄道の技術」でお馴染みである。すでに新幹線に関しては、本HPに「国鉄技術陣−新幹線」の題で、ドキュメンタリー風のレポートである内橋克人:「新版 匠の時代4」の一部を紹介している。鉄道斜陽時代と云われていた中で新幹線が世界に与えた衝撃は大きい。諸外国に新幹線モドキを輩出した。
「電子立国日本」の凋落が意外と早かったのは、心臓部の技術さえ捕まえれば、IT産業は底が知れていたからである。しかもその心臓部が精密光学器械で、他所から買える品だったからなおさらだ。世界に冠たる技術というのは、宇宙産業や航空機産業のように広い裾野を持ち、しかもその一つ一つが容易にマネを許さないものでなければならない。新幹線に関しても同様で、運行に関するノウハウもその一つであるはずだ。消費税増税が通ったとたんに、羽田国交相は3兆円を超す整備新幹線にGoサインを出した。鉛筆を嘗めて(政治的修正を加えて)も赤字すれすれの、これぞ箱もの形バラマキという、地方出身議員らしい決断だったと新聞では評判が悪い。だが私は、在来線との融合という意味で、更なる新技術開発が行われ、技術の裾野が拡大することには期待している。本書にはほとんど出てこないようだが、フリーゲージトレインがその目玉だ。
現役のころは主に東海道と山陽新幹線だったが、引退後はJR東日本の新幹線に乗る機会の方が増えた。前者の総合指令所を支えるコンピュータ・システムをCOMTRACと言い、後者のはCOSMOSという。ときおりTV画面に出てくるからお馴染みだ。セキュリティ保持のために正確な設置場所は公表していない。東京駅だけで東海道新幹線に1日8.3万人の乗客がある。この数字は羽田空港の乗客数8.7万にほぼ近い。10分おきぐらいに発車する列車、折り返し運転最短間隔11分で全整備を終えるための裏方さん。9500(正社員)+アルファ(協力会社社員)の東海道新幹線職員。どれを取り上げてもとてつもない運輸システムだ。そのすごさはマン・マシン・インターフェースにあると思う。運転手が事故で間に合わなかったらどうする、乗客が車内で発症したらどうする。
私は'06年のにっぽん丸で桐島洋子さんのびっくり体験を聞いたことがある(本HP「にっぽん丸春クルーズ」)。ヨーロッパから船で帰国した。彼女は妊娠していて、船内で産気づいたときの話だった。船医は産婆の経験など無く、さりとて大洋洋上のため臨時寄港地もなく、船内は大騒ぎだったらしい。外国船だったという。近頃は長い船旅には医師の健康診断などかなり喧しいが、船会社はこんな事件に懲りているのだ。新幹線ではいちいち医師診断書を出さないと乗車できないわけではないから、似たような事件が車内で起こることもあるだろう。最寄りの駅で降ろすだろう。余裕がない人数でも駅員は対処するだろう。でもそれからが大変だ。新幹線ダイヤだけではなく接続在来線のダイヤまで狂ってしまう。JRのコンピュータ・システムはあらゆるトラブルを旨く吸収している。
初期の新幹線先頭車は運転席の下が回転楕円体になっていて美しかった。今のはカモの嘴に似ていてあまりいい形と云えない。高速になると無視できぬ大きさの風圧を風の流れに沿って引き起こす。すれ違いざまにぐらりと来る理由である。トンネルでも同じ。風圧は上方に逃がすに限るということで今の形になったらしい。風切り音が耳障りだと苦情が絶えない。開業時に比べると車窓の風景が防音壁のためにさっぱりになった。後発のヨーロッパの新幹線が320km/hを実現しているのに、我が国のは騒音が理由で300に抑えられている。
地方でも75ホーンにせねばならぬと云う。パンタの形状改良、車両間全周ホロの設置など涙ぐましい努力で近く320km/h区間が可能になるらしい。先日東北に行った。新青森と八戸間ぐらいなら、2−3軒の民家は見えるが、何もそこまで制限をする必要もない、と私は思う。私が今もその見識の低さに腹が立つのは、地方自治体が進出工場の排水にたいして、水銀ゼロを譲らなかった態度である。土の中に有限量含まれるのにそれを無視してゼロにせよと言いつのった。研究陣に(はじめから徒労に近い)重箱の隅をつつかせてばかりでは、世界の中の技術開発競争に後れを取る。学術論文引用数比較で日本が退勢にあることを、野依氏が8/26読売の「地球を読む」に強く警告していた。競争相手の航空機は空港周辺では騒音をまき散らす。上空でもコース下はたまらないとクレームを付けても、これが国際標準でございと云われればどうしようもないと諦める。云いやすいところにだけ無茶を言うのでは、日本を遅らせてしまう。ヨーロッパの新幹線が320km/hを実現している区間はごく僅かのはずだ。それでも320は320で対外的には日本を凌いだと喧伝できる。世界の中の日本だ。沿線地方民は国家としての損得をよく考えて貰いたい。
急ブレーキをかけても3kmは停まらない。自動列車制御装置ATCは危険回避に必須だ。アナログATCがデジタルATCに代わって運転がスムースになり、空走時間が短縮され、その分ブレーキ時間が短くなって平均速度を上げるのに貢献した。東海道新幹線では最短3分間隔で列車が走る。超過密ダイヤだ。運転士の持つ時刻表は15秒単位になっているという。それでも平均遅延時間が0.6分とはCOMTRACを中心とする総合システムの勝利であろう。
ハードから見た新幹線の開発から維持管理保守点検業務を1つの章に概括してある。壮大で複雑なシステムである。中国高速鉄道の追突事件のような事例が、今日まで全く発生していないのは、総合技術の相違であろう。中国は本章のような裏方さんを軽視したのではないか。これだけやっても使えるのは20年ほどという。明治村に行くとチン電が走っている。京都駅から北野天満宮まで堀川端を通っていた日本最古の市電だ。もう100年以上経ているのにと感心したことがあった。自転車ほどの速度しかなかった。車両の寿命は速度との相関が強い。
東海道新幹線は在来線と完全に独立したシステムとして出発した。あれは成功だった。今東海道第2新幹線としてリニアモーター方式が採用され実現しようとしている。総合技術開発に現今より数段高い目標を掲げることは、国家100年の計としてまことに好ましい。太平洋戦争で三菱の航空機技術者がいち早く高水準の零戦後継機を提案していたのに、緒戦の勝利に驕った海軍の技官が、零戦のエンジンにスーパーチャージャーを付けるぐらいで誤魔化す部分改造路線を選択したために、基本設計から改めた米軍に制空権を奪われ、惨めな敗戦に繋がった。
東北大震災では、福島原発とは対照的に、新幹線は無事故で「男」を上げた。あの地震は三陸沖130km海底24kmマグニチュード9.0の海溝型地震だった。東海大地震を想定したデータがある。沖合い100kmで発生、P波検知後18秒後に本揺れのS波がやってくる。そのときにはすでに緊急ブレーキがかかっていて、列車の走行エネルギーは8割以下になっている。三陸沖に換算すると、23秒後だから初めの3/4ほどに下がっていただろう。阪神淡路大地震のように直下型だったら自慢の検知警報システム・ユレダスもあまり役には立つまい。しかし直下では地震のエネルギー規模が何桁も小さいからそんなに怖くはない。災害のもう一つは雪害だ。関ヶ原あたりは散水雪質改良法だから今でも徐行だが、豪雪地帯では融雪法を用いているから雪に強いという。
東北旅行が多くなってからミニ新幹線が面白くなった。標準軌でも在来線と並行だから130km/h以上は出さない。新庄から秋田までの在来線は狭軌のままだが、大曲から盛岡の在来線は標準軌になった。3本レールの処もあって「はてな」と思わせる。このHPでは何度も同じ問題を書いている。最新ではまたまた飽きもせずに「大人の休日倶楽部パス(東北スペシャル)V」に載せた。電力は新幹線が25千V交流なのに対し、ミニ新幹線は在来線に合わせて20千V交流にしてあるという。また在来線はATSで、新幹線がATCだ。切り替えと接続といろいろ苦労なことだ。そう言えば盛岡や福島駅でのカップラー操作は運転手と車掌だけでやっていた。ヘルメット姿の作業員が不要になった分だけかってよりは進歩しているのだ。

('12/08/28)