
- 招魂社のちの靖国神社護国神社は京都に無念の屍をさらした尊皇志士を篤志家が八坂神社に小祠を造り祀ったのが始まりである。京都護国神社近くの霊山山中には坂本龍馬、中岡慎太郎ら500余人の墓がある。
- 相国寺脇に薩摩藩士之墓がある。これは鳥羽伏見戦役の戦死者の墓であろう。大分の展望台のある小高い公園の片隅に墓地があった。西南戦役で戦死した官軍兵士のお墓である。九州では西南戦役戦死者のまとまったお墓の群を他でも見ている。局地戦闘ごとに墓を纏めたようだ。戦が国外になってからは、死後は家族の住む場所に戻って行った。宮崎の護国神社には妹宛に死後はおまえの側に住みたいと遺言した若き兵士の手紙が展示されていた。田舎を歩く。寺ごと部落ごとの墓地に目立つ先の尖った兵隊墓の多さよ。特攻で散った兄を持つ世代だからかもしれぬが、戦士たちの墓が訴えていると思わぬほど私は無機質ではない。
- 横死非業の死は昔は祟りの理由である。だからお社を造りお祀りする。御霊神社という社をご存じの方もいらっしゃるだろう。上御霊と下御霊の二社がある。平安朝の幕開けの頃の政争で倒された皇族を祀る。死後に祟りを暗示する事件が続き文字通り御霊を安んじるために建立された社である。今でこそ学問の神様だが、天神様が祟り神であることはよく知られている。厚くお祀りする故にどうか鎮まりたまえと森光子の老婆が死んだ猪の祟り神に祈るのがただ今ロングラン中の映画「もののけ姫」の冒頭のシーンだった。
- 戦没無名兵士の墓が丘一帯を占める軍人墓地のひときわ見晴らしの良い位置にあって訪問した外国元首は花輪を捧げる。記念日にはその国の元首が参拝する。私はこんなシーンを日本にも欲しいと思う。この国の文化では屍と霊とは切り離して祀ることができた。外国の軍人墓地に相当する場所はないが、霊魂を合祀する場所を設けている。それが招魂社である。戦没者はことに敗色が濃くなった後は意味のない死に恨みを抱いて逝ったであろう。伝統を承継して公式にお祀りしたい。あのころは死ぬときは天皇陛下万歳と云えと断末魔の叫び方まで規定された。小学生だった私もである。まず陛下が公式参拝されるべきである。
- 靖国神社は神道の教会である。よって政府高官の公式参拝は憲法の第20条信教の自由に低触する。というのが仏教キリスト教の言い分であろう。でも祟り神への怖れは第20条対象とは考えにくい。靖国神社はあとで理論武装しただろうが元来自然宗教なのである。明治以来の政府が二次大戦に敗れるまで政策的に日本古来からのむしろいい風習を自身のご都合に合わせて利用したためにせっかくの招魂の意味が薄れたが、もうそんな悪夢から足を抜こう。
- 敗れた神々は神殿を打ち壊されるか良くて征服民の主神の守護神として片隅に追いやられる。キリスト教軍に負けて神体が壊されるのを虚ろな目で眺めるゲルマン首長を描いた絵を見たことがある。バーミヤーンの顔の欠けた大仏もいい証拠である。宗教の争いは醜いものである。
- しかし我が国の仏教は過去には神仏混淆という希有の平和的共存関係を樹立したことがあった。八十八カ所をお遍路すると全部ではないにせよほとんどの寺がそうであったことが判る。キリスト教関連でも共生に意を用い始めている。アフリカでは徐々に土地の自然神との融和が布教に取り入れられつつあるという。これは百何十年以前に書かれた本だが、「アマゾン河の博物学者」に原住民が土地の神を新しい神キリストの聖人と並べて祀る姿が記録されている。
- 日本文化の精神的基盤を今更解析しても始まらぬ。発祥は異国の神であった世界宗教は産土神との共生に異文化との今後の共存共栄を計るべきである。靖国の神々は最後の産土神である。我が陣営にないからと憲法論争を仕掛けるなどは宗教家として恥ずべき行為と思う。日本では靖国に参る以外に公式参拝の方法があろうか。宗教家はオーム真理教が容易に入り込むような精神の空白を埋めることにこそ注力すべきである。
('97/08/29)