十字軍物語V-3

第5章は聖王ルイ九世が、第7次十字軍を率いてエジプトに遠征する物語である。法王から見ると彼は理想の君主であった。フランスを中心に集められた2.5万の大軍をダミエッタに上陸させ、カイロに向かう。だが途中のナイル河川縁の湿地湖畔で阻まれ、撤退作戦中に、全軍が捕虜となるという未曾有の敗北を喫する。王妃以下は身代金調達に奔走、まずは王、王子を釈放して貰う。2年をかけて4800人が釈放された。帰国できたのは5-7千人という。トータル100万ビザンチン金貨という釈放金であった。金貨1枚の現代価値が10万円なら1000億円である。この10万円は当てずっぽうなのだが、金貨は多分偶然だろうが、だいたいどの国でもこの程度の価値にしてある。日本でも江戸中期なら1両10万円だ。のこりは戦死、戦場処理(兵士は身ぐるみ剥がれて生死にかかわらずナイルに捨てられる)、奴隷、改宗などだった。
真っ先に挙げられている敗戦の要因は、海軍力の軽視である。ルイのフランスは陸軍国であった。今回は海上輸送と海戦をジェノヴァに請け負わせた。だがルイは、かっての獅子心王のような緊密な陸海共同作戦を実施できなかった。ジェノヴァにも他の海運都市国家との競合で全力を集中できなかった。敗戦は中近東キリスト教諸国の防衛力を一挙に低下させた。騎士団が壊滅に近い痛手を被ったからである。諸国は今後一層に北イタリアの海運都市国家の海軍に依存せねばならなくなる。一方、戦勝はスルタン側にも異変を生じさせた。戦勝をもたらしたのが元奴隷などの戦闘専門兵士の集まり、つまり傭兵集団だったからだ。それまでは下級兵士待遇であった彼らの下克上が始まる。彼らはスルタンの地位を乗っ取り、奴隷王朝を開く。
第6章はモンゴル軍の西進から始まる。チグリス・ユーフラテス河畔の沃野はたちまちに征服され、北側回廊を通ってモンゴル軍が、ダマスカスを初めとする東地中海沿岸の要所を次々と攻め落とす。もうイスラム圏は十字軍対策どころでない、まさに存続の危機だ。奴隷王朝軍3.5万は彼らをエルサレム北方60kmの会戦で破る。不敗のモンゴル軍という神話が崩れた瞬間だった。戦勝により奴隷王朝はイスラム圏に盤石の基盤を作った。聖戦に命をかけていた聖王ルイであったが、さすがに奴隷王朝と正面戦闘は出来なかった。第8次十字軍はカルタゴに上陸し、チュニジア太守の軍を破る。だがこれはイスラムの記録にも留められないローカル・バトルだった。引き上げる際に暴風に遭い4千の兵を失ったとある。
中近東キリスト教圏には第7次第8次を経て、もう大がかりな遠征軍はヨーロッパからは期待できないという認識が生まれていた。そこを奴隷王朝が突くのである。前王朝と異なり奴隷王朝は異教徒とは力関係が全てであった。キリスト教圏の相次ぐ譲歩も、さらなる要求をかさ上げするだけと言う姿勢で、ついに首都アッコンの攻防戦に突入する。前王朝は政教分離主義だった。奴隷王朝は権威付けもあって、カリフの教えをスローガンに代えた。「キリスト教徒の最後の一人まで、地中海に突き落としてやる」。この聖戦宣言に呼称22万の軍勢を集める。
アッコン守備軍は1.4万。不思議なことに常設軍は宗教騎士団なのだ。聖堂騎士団、病院騎士団、チュートン騎士団の3大騎士団、とは云っても300名を越す騎士団はなかったそうだ、と聖トーマス騎士団および聖ラザロ騎士団。騎士団とはヨーロッパからの寄付金で運営される独立愚連隊で、聖堂はフランス系、病院はヨーロッパ各地の貴族系、チュートンはドイツ系、聖トーマスはイギリス系、聖ラザロは元らいびょう患者という色分けだった。彼らは今回ばかりは共闘するのである。エルサレム王はキプロス王を兼ねていた。そこそこの軍勢をアッコンに派遣する。
1年間持ちこたえれば救援軍がヨーロッパから来るかも知れないという淡い希望と、今まで通り制海権がキリスト教側にあるため、いざというときの退路は確保されているという強みで、戦いを継続する。1291年の4月上旬から5月の中旬までの1ヶ月あまりの戦いで勝敗が決まった。スルタンは余勢を駆って残った中近東の都市を手に入れ、ついに聖戦を完了させ、第1次十字軍以来200年近く続いた十字軍国家は消滅する。
最終の第7章は騎士団のその後を伝える。聖ラザロはアッコンで壊滅した。聖トーマスはイギリスに帰った。チュートンは、北ヨーロッパのキリスト教未教化圏に新たな使命を見出し、帰国して行く。病院騎士団はビザンチン帝国領のロードス島に本拠を移し、海賊化して、トルコ帝国と戦いつつ最後はマルタ島に退く。だが聖堂騎士団の最後は悲惨だった。フランスに帰国したが、そこにはフランス王の奸計が待ち構えていた。形式的には教会の異端裁判だった。標的は騎士だった。
拷問に次ぐ拷問で「罪状」を「告白」させ、大半を牢死に追い込み、団長は火あぶりにした。神の意思を伝達した法王と聖王を出したフランス王は、東地中海沿岸での失敗の責任を問われることはなかった。フランス王は遠征のために莫大な借金を聖堂騎士団に背負っていたが、その壊滅と資産没収で、大いに潤った。聖堂騎士団には膨大な資産があったのである。騎士団の指揮権は法王にありフランス王にはない。フランス統治上これは目の上のたんこぶを意味した。これも壊滅させねばならぬ理由であったろう。法王は擁護する立場のはずだが、当時はアヴィニョン捕囚であったから、フランス王の言いなりになった。累計2万の犠牲を払ったという騎士団なのに、最後は無残であった。
全3巻を振り返ってみる。十字軍を通じて、法王を頂点とする聖職者の過剰な権威がゆらいで行く経過がよく見えた。第4次十字軍はヴェネツィア共和国の国益に奉仕した結果になった。第6次十字軍を率いたフリードリッヒを破門した法王は、2度目の「カノッサの屈辱」を想定したのであろうが、法王は挙げた拳を下ろすのに苦労させられた結果となった。「アヴィニョン捕囚」になって法王は俗権に逆らえなくなる。十字軍の終結頃からヨーロッパにはルネッサンスの萌芽が始まる。神権への疑問とそれからの自由解放が、文芸復興の形で民衆の心を捉える。十字軍活動が世界史に残した足跡は大きい。

('12/07/15)