再びの「あ・うん」

再びを入れたのはすでに本HPに一度「あ・うん」を書いているからだ。NHKオンデマンドにより「ドラマ人間模様 あ・うん」を見た。向田邦子原作で'80年に放映された。そのときも見ているし、BS11での再放送('01年)も見た。今度で3回目だ。前にも書いたが、同じ題名の映画があって、これもビデオで見ている。'89年の東宝作品、監督は降旗康男で、高倉健が門倉修造をやり、水田仙吉を板東英二、たみを富司純子、さと子を富田靖子だった。高倉のお座敷遊び、宮本信子の芸者ぶりがことに光った作品だった。TVドラマの方を見ながら、映画ももう一度見直してみようと思った。オンデマンドにはないが、「続あ・うん」があって、それまで通して見ると一層時代がはっきり判る仕立てになっている。喜劇風に始まるが、だんだんと戦争の影が濃くなって行く話の運び方が絶妙な、珠玉の向田作品である。
「第1回 こま犬」の最後のセリフはおじいちゃんの「夫婦相和シ、朋友相信シ」である。教育勅語の一節だ。忠犬ハチ公が死んだ年だから昭和10年に、東京の山手に松山から栄転してくる一家と、主人同士が無二の親友という関係の、鋳物会社社長一家との物語である。前者水田家の構成は、主人仙吉(フランキー堺)、妻たみ(吉村実子)、さと子(岸本加世子)、おじいちゃんの初太郎(志村喬)。後者門倉家は主人修造(杉浦直樹)、妻君子(岸田今日子)で、修造が通うバーに馴染みの礼子(池波志乃)がいる。こま犬とは、たみの流産で悲嘆に暮れる仙吉と修造の並ぶ姿を、おじいちゃんが冷静に評した言葉である。
とにかくこの2人は互いに異常なほどの親友ぶりで、18年ぶりのたみの妊娠に、生まれた子が女児なら養女に門倉家が貰い受けるという約束までしていた。君子抜きの約束だから全く面白いというか、亭主関白時代を知らねば判らないエピソードである。異常とは書いたが、人と人の距離は、今日では想像もつかぬほどに、互いに接近していたことは事実である。時代は私の幼少年期だから、綿密な時代考証が郷愁を呼ぶ。家の構造、朝日というたばこ、風呂のたき付け、出前のいろいろ、町を売り歩く豆腐屋とラッパ、真新しい表札に照れるシーンなどなど、私を惹きつけてやまなかった。
「第2回 蝶々」は度外れの親友関係が生み出す喜劇である。金魚売りの声、お宮の境内に遊ぶ子どもたちの缶蹴り、威張り散らす父親、紙芝居、新聞小説の「宮本武蔵」など覚えのある昭和初期の背景が次々に出てくる。メインのエピソードは3つで、1つがおじいちゃんの山師騒動、1つがさと子の肺病疑惑騒動、もう1つは門倉の妾の妊娠騒動だ。おじいちゃんの仲間に金歯(殿山泰司)とイタチ(田武謙三)が出てくるが、山師とはこんなものと納得させる見事な演技である。さと子を連れた門倉とたみが病院で見せるぎこちなさは、2人の微妙な好意関係を匂わせて絶妙だ。妾の妊娠で門倉が大喜びし、水田夫妻はその世話に大わらわでまさに過ぎた友人関係である。君子の自殺未遂に繋がって、両家は危ない橋を右往左往する。君子が大きなカステラを下げて水田家を訪れ、持って回った挨拶をするところは、岸田今日子でこその場面である。自殺用毒薬として昇汞水(塩化第2水銀水溶液)1瓶が出てくる。懐かしいお薬だ。有毒と習ったのは高校時代だから、もう何10年も昔だ。全く一時も退屈させないドラマだ。
「第3回 青りんご」の青りんごは、水田家の食卓にはじめて出た新種林檎である。この回の中心話題はさと子のお見合いだ。君子が取り持つ縁談相手は帝大生の辻本だ。でも学歴のないたたき上げの仙吉は気が重く、さと子にはお構いなしに、断ってしまう。あのころの良家の子女は異性との交際は極端に制限されていたから、異性は針穴から覗く風景のようなものだったらしい。さと子は雨の日曇った窓ガラスに水田さと子を消して辻本さと子と書く。それも右から左へである。断られた辻本は、琴のお稽古帰りを狙ってさと子をコーヒー店に誘う。さと子はコーヒーを飲むのは初めてだった。私もコーヒーを飲んだのは大学生になってからだったから、さと子とほぼ同じ年だ。さと子が飲めなかったのは、親が頭が悪くなると信じていたからだが、私は敗戦後長い間コーヒーなんて贅沢品だったからだ。理由は違っても初めての喫茶店で初めて目にするコーヒーへの感覚は同じだろう、判る気がする。辻本は自由恋愛という言葉を吐く。コーヒーも自由恋愛も青りんごも、新時代の暗示である。
「第4回(最終回) 弥次郎兵衛」の見所は、何と云ってたっておじいちゃん志村喬の脳溢血死である。イタチが使い込んだかしくじったかで、仲違いしている仙吉のボーナスから盗むようにして借り出した虎の子の100円を、パーにしてしまったことに対するショック死に近かった。その演技の旨いこと。これは元々の顔だが、死に顔さえも演技力の部分に入れていた。弥次郎兵衛の意味は、たみを挟んで仙吉は夫として、修造はプラトニックラブの相手としてほどよいバランスの元に、いつまでも親しい関係にある3人を象徴する。この関係から外れている君子が、離婚の相談に水田夫妻を訪ねる。仙吉は将棋の積み駒倒し(駒を任意に積み重ねて山を作り、交互に1枚ずつ抜いて行き、全体を潰したものが負けとなる子どもの遊技)を例に、おかしな形でも1枚抜いたために全体が崩れるのではと諭す。おかしな説法で嗤える。恋人を得たさと子が、これまた絶妙にうまい演技を見せる。母の中の女を嗅ぎ取るセリフが憎らしい。最終回出だしの売り声、「いまー出来ました玄米パンのほやほや」を聞いた覚えはない。でも軽トラにスピーカーとは違って、節回しを入れた地声だけの行商はどれも味なものだった。お妾が男の子を産む。お宮参りのシーンにラジオが軍事衝突事件を流している。まだ誰もそれに注目しないでいる。
人の繋がりが現在よりははるかに濃かったとはよく言われる。だがこんなドラマほどに濃かったのは希の希だろう。向田邦子の大人のおとぎ話と思ってみると、まことに楽しいドラマである。

('12/05/23)