花神

NHKオンデマンドで大河ドラマ「花神 総集編」('77)を見た。このころの画像は保存の余裕が無くて総集編だけが残されているという。映像としても歴史的な作品なのに惜しいことだ。本棚に原作の司馬遼太郎:「花神(一)、(二)」、司馬遼太郎全集第30巻&第31巻、文藝春秋、'74が埃を被っている。何しろ昔々読んだ小説だ。出版時の評判に釣られて読んだという記憶しか残っていないが、本が残っていたので、ときおりは参照しながらドラマを追っかけてみよう。総集編だから紹介もなしにいきなり現れるシーンや人物がある。こんな時には本が役立った。
「第1回 革命幻想」は、村田蔵六(中村梅之助)のちの大村益次郎を中心に、幕末立役者たちの群像を紹介して行く。村医の蔵六は適塾の塾頭になるほどの俊才でかつたいへんな努力家だった。医術に留まらず欧米技術全般に関心を持った。宇和島藩に招かれて蒸気船と大砲を作り、兵書の知識を深める。シーボルトの娘イネ(浅丘ルリ子:初対面の時の印象として紅毛碧眼と蔵六が呟くが、「紅毛碧眼」ではないにせよ彼女は日本人離れの面立ちで、いい配役である。)やシーボルトの弟子の二宮敬作との交流があった。宇和島藩から江戸の蕃書調所に勤めるようになり、安政の大獄で吉田松陰が打ち首になるころに女刑死者の腑分けを行う。佐久間象山、長州藩の高杉晋作(中村雅俊)、木戸考允(米倉斉加年)、伊藤博文などの維新の立役者たちの、黒船以来の激しい動向が描かれている。思想、政治、軍事の流れとは違った技術系の蔵六の描写は、維新を多角的に眺めるのに役立つ。花神とは中国語で花咲か爺のことだという。自らを技術家という蔵六にはぴったりだ。
「第2回 攘夷の嵐」は、まず刑死した松蔭の遺骨の改葬と後継者としての高杉の自覚を伝える。急進派に固められた長州であったが、馬関戦役で欧米軍艦の戦力を知る。焼き払われる村の娘に大竹しのぶが出ている。長州の人斬り、天堂晋助(架空の人)と出会うのはこのときである。長州は攘夷を唱えながらもイギリスに留学生5名を密かに横浜から出航させる。留学費用は5千両という。江戸で緒方洪庵が客死し、その葬儀の席で、行動はしない批判だけの傍観姿勢の諭吉に出会い、闘う姿勢がなければ清国と同じ侮りを欧米から受けると激しく罵る。蔵六は江戸に設けた鳩居堂の100名の門人を相手に、別れの最終講義を行うが、馬関の教訓を頭に置いて、大局判断のstrategyの大切さを訴える。技術を我が身の私欲栄達のために使ってはならぬとも。
「第3回 崩れゆく長州」では蛤御門の変で敗れた長州が、17隻の英米仏ほかの連合艦隊に大敗し、政権は攘夷派が佐幕派と交替する。京都に集まった松下村塾の英才のほとんどは、池田屋事件と長州軍対幕軍の戦争で討ち死にする。その中で奇兵隊は逼塞状況に陥るが、九州より帰国した高杉晋作が少数で行動を起こし、引きずられて隊内の大部分を占めた慎重派が1千何百の藩軍勢と開戦し、勝利を収める。奇兵隊は2百そこそこだったと記憶する。蔵六は村医者に戻っていたが、再び次の戦つまり長州征伐軍との戦いに備える準備に出動する。山県有朋を西田敏行が演じる。まだ桂小五郎の木戸考允が松下村塾生でなくまあシンパ程度であったことは、長州にとっての救いであった。思想よりも現実を重視した。蔵六の、百姓出身の単純でヒステリックな妻の役を加賀まりこが旨く演じていた。時代を動かしたのは男だったから当然かも知れないが、女は断片的なエピソードのお飾り的な記述に出てくるばかりである。
「第4回 徳川を討て」は晋作の死までである。奇兵隊の後事を蔵六に頼む。付き従うおうのは京言葉で話すから、京都の遊郭にいた女らしい。第2回であったか、まず白粉首の女として出てきた。生来の楽天家だが少し足りないらしい、傍若無人に近い行動の人であった晋作だったが、死期を悟ったとき自分の死後の彼女を心配する。尼になって菩提を弔うなら、家の者も放ってはおかないだろうという。秋吉久美子のあの風貌にはぴったりの役柄に思えた。二次長州征伐は、蔵六改め益次郎(桂の推挙がやっと実って100石で召し抱えられ、改名した)の近代戦法により長州の勝ちとなった。西洋の新知見を携えたイネが蔵六を訪ねてくる。イネの慕情を知りながら、蔵六は頑なに拒み続ける。妻・琴の病のために祖父の代から大切にしてきた朝鮮人参を煎じるシーンがある。彼は家庭に対して律儀であった。
長州には龍馬の海援隊からの3500丁を入れたら4500丁ほどの新式鉄砲があった。薩長同盟が成立した。幕軍の軍備も劣るものではなかったが、戦法が戦国時代からの伝統を受け継ぐ旧式であった。晋作の海軍は幕軍よりは相当劣っていたが、夜襲を含め果敢な戦闘ぶりで、ついには小倉に攻め入り、城を占拠しさらに幕軍の上陸用舟艇を焼き払うという奮闘ぶりであった。晋作28歳、ほか紹介される維新の志士たち戦士たちの若さに驚く。
「第5回 維新回天」は勲功により永世1500石下賜を受けた、従4位下兵部大輔:益次郎が京都で襲撃され重傷を負い、結局は大阪の病院(のちの大阪大学病院)で命を落とすまでの話である。1500石は勲功の公的評価を物語る数値として重要である。小説「花神」には、彼を越えるものは僅かに西郷隆盛(2000石)、木戸考允と大久保利通(ともに1800石)があるのみだと記されている。このHPに「平太の戊辰戦争」と「獅子の時代」がある。前者は会津の志願兵の辿った史実であり、後者は云わずと知れた大河ドラマである。花神はこの2つに接続して終わる。蔵六は中央から離れなかったが、山県有朋は越後で平太と闘っている。高橋英樹演じる長岡藩家老:河井継之助が初期の機関銃:ガットリング銃で奮戦する。会津攻防戦は総集編には出てこないが、五稜郭での土方歳三の最後は出ている。
前後するが、彰義隊3千との戦いには益次郎が指揮を執った。このときの戦略を巡り、薩摩の参謀海江田との激論があった。3千を囲むには兵法通り2万がいるという海江田に、3千で十分と益次郎は云った。議論に破れた海江田は、後に益次郎暗殺の黒幕になる。益次郎のマジックは佐賀藩のアームストロング砲2門であった。イギリスを除けば、この砲を所持していたのは当時は世界で佐賀藩だけだった。その破壊力はすざましかったのである。「獅子の時代 第9回」の表題はアームストロング砲だ。会津城攻略にも威力を発揮するのである。施条後装砲で砲弾回転により命中精度が高くなり、長距離を飛ばせた。彰義隊の逃げ場を儲けて、敗兵の放火による大火事の危険の回避を初めから計画に入れていた。これらは益次郎の優れた軍略を物語る。
維新回天成功後、蔵六は新政府に大阪を中心とした兵学寮、兵器工廠、火薬庫などの設置と港湾整備を進言する。京阪出張はその調査だった。私は先日宇治の火薬庫あとを見学したばかりだ。益次郎以来の歴史があるとは知らなかった。大阪立地は西郷の「第二の幕府」運動を警戒したためというが、事実歴史はその通りになった。暗殺の現場は凄惨に描かれている。私は時代劇好きで、立ち回りを多く見るが、たいていは一太刀多くは二太刀で敵役が血を吹いて絶命するように描かれている。だが実際はそうでは無かろう。動けないほどの重傷を与えて初めて相手のとどめを刺せるのだから、死を悟った相手の破れかぶれの撃剣を躱しつつ、少しづつ膾切りにするのが本当だろう。まして殺せばいいという暗殺だから、作法も何もあったものではない。太刀を使った人殺しのリアルな画像に大いに感服した。最後は敗血症だったそうである、足の切断手術にもかかわらず2ヶ月足らずで死去する。仏の枕元に女が並ぶ。看病に寝食を忘れたイネと娘、臨終に間に合わなかった琴。琴はイネの存在を知っていた。「行くものかと思ったが」といって夫の死に顔に対面するシーンは印象的だった。加賀まりこが演技力を発揮する。彼女は長州の田舎の墓地に遺骸を運ばねばならぬのである。

('12/05/20)