ワインの女王


何マルクか支払って会場に入る。ここはドイツのワイン作りの本場。会場周囲は見渡す限りブドウ畑の農村である。新聞に女王選びの会があると出ていたから一人で汽車を乗り継いでやって来た。新酒の瓶が一人一本渡される。1/5ほど飲めばもう酔っぱらってしまった。私は下戸である。
そんな陽気な雰囲気の中で、(もっとも周囲は酒に強い奴ばっかりで酔っぱらった雰囲気のものは全く居らなかった。彼らは子供の頃から飲みつけているのである。それから少なくとも私の周辺は野郎ばかりだった。)女王選びが進み終わった。ぼちぼち人々は引き揚げ始めた。舞台では記念写真を撮っている。それではと、とことこ上がって女王様副女王様のこぼれるような笑顔をキャノン・ダイヤルのハーフサイズフィルムに収める。さすがに女王と並んでカメラに収まる勇気はなかった。
若かりし頃の思い出である。この村の女王選びの進行過程で一番印象的だったのはミスワインの候補者が一人づつ原稿なしでスピーチをやったことである。中身はさっぱり判らなかったが、堂々たる態度で聴衆を沸かせた。同じ敗戦国の、よく似た社会と思っていたドイツ国民が違う文化土台の人たちであることを印象づけられた出来事であった。彼女らは自己主張できるし周囲がそれを聞き分けるのである。
そのころの私の国は情緒的気配りを重んじる国であった。我が国が国際社会の荒波を被ることの少ない間は、この気配りは世界に類い希な道徳的社会を維持し得た。今でも世界の片隅の小さな孤立的社会には類似の社会が見られるが、我が国のような大人口の国では例のない誇りうる事実である。でも反面、自己主張する前に両脇前後縦横左右を振り返る癖は禁句ばかり多くして、挙げ句の果てが人前では原稿の棒読みである。物言わぬ人を低く見るアメリカをはじめとする世界の潮流から見れば、非常に不利である。
次の週こんどは町のワイン祭に出かけた。周辺の醸造所あるいは村が行列を繰り出す。お揃いの民族衣装である。模様まで揃えた制服に近い衣装である。ドイツ人は制服がよく似合うとは誰かの悪口であるが、そのときはそう思った。日本でも近頃の阿波踊りは揃いで踊るが、あんまり制服といった印象ではない。何故なんだろう。
馬車が新酒の樽を何本も積んでいる。グループごとに馬車は一台である。例の制服のFraeuleinが道行く人ににこやかにグラスを渡す。樽からなみなみと注ぐのである。私は大下戸だから弱ったが見物の日本人は私一人、日本代表がよう飲まなかったら悪い気がして目をつむって飲み干す。次々車が回ってくる角に立っていたのが悪かった。こりゃ危ないと大慌てで宿に帰ってベッドに入り一晩唸っていた。一気のみなんて言葉はまだ無かったが、そのとき頓死して居れば何年か早くこの言葉がアル中警醒として世に出ていたかも知れない。
なおFraeuleinは普通はお嬢さんという意味だが、給仕サービスをしてくれる女性には年齢結婚に無関係にこう声を掛けることになっている。私をぐてんぐてんにしたFraeuleinたちは、だが、妙齢のお嬢さんがたであった。
日本の新酒祭りにも出かけた。でもけちくさい。お猪口に一杯程度では下戸でも雰囲気すら出ない。新酒はどうせまずいのである。味で飲むのではなく酔い心地を楽しむために飲む。好きなら何杯でもというのかも知れぬが、教養が意地汚いことを許さない。買って飲めなら祭りでない。

('97/08/23)