国鉄技術陣−新幹線
- 近頃読書欲をそそるような本が書店に出てこない。棚積みの中から選んで、内橋克人:「新版 匠の時代4〜国鉄技術陣「0標識からの長い旅」〜」、岩波現代文庫、'11の「第T章 「新幹線」前夜」を読む。すでに1から3までの分冊は読み終えている。「匠の時代」に紹介される華々しかった時代の日本の技術者像を、ドキュメンタリー・タッチで描写してくれるという意味でも面白い著作だ。本HP:「四月の梗概」に、新日鉄が、自社OB採用により極秘技術を盗用したとして、韓国の鉄鋼会社を告訴した報道を紹介した。類似の技術盗用問題が、「追いつき追い越せ」の中国、韓国の特にIT関連のゥ社に、多く見られるとも書いている。このOBの姿勢は、終身雇用時代に働いた我々には、全く理解の出来ぬ別世界を感じさせる。技術は先輩同僚との共同成果だし、年金を払ってくれる後輩への貴重な遺産だのに。裏切り行為だとは思わないのだろうか。
- 緒言は岩波現代文庫版のために書き改められた。既読の各分冊に対する読後感の中で、すでに引用している部分もあるが、重複を恐れず再掲してみよう。「投資立国論」「金融立国論」が官界経済界に優勢になり、「日本製アジア製品」が激増する。安上がりの労賃が引き金だ。国内では非正規雇用が激増する。国内産業では「技術・技能の継承」が怪しくなる。上記OBの姿勢はこれらと裏腹の関係にあるのだろう。所得収支の黒が貿易赤字を大幅に上回っている間はまだいいが、「実の経済」がこれ以上疲弊すると、いずれため込んだ資産を食いつぶし、再生の効かない貧乏国に落ち込むだろう。資産を減らさぬためには、ものづくりの空洞化を防ぐ以外にない。現場の技能が技術を進め、鍛えられた技術が科学を進める。そのルートがやせ細ってきた。「匠の時代」よ、再びとある。私も金融工学的労働だけで1.2億人を食わせることは出来ないと確信している。一歩ゆずってそれだけの収入があったとしても、関与できるのはほんの一握りの人材で、日本はその割合が何10%と言う恐ろしい失業者社会になるだろう。
- 国鉄第1の革新技術は新幹線である。新幹線は弾丸列車計画から始まった。小学生のころ夢の弾丸列車の計画を新聞で見た記憶がある。東京から満州の首都・新京(今の長春)までに、弾丸列車と称する超高速鉄道を通す。軌道は広軌(当時は、本書にもあるが、狭軌より広いゲージをすべて広軌と云った。本当は今に云う標準軌だった。私も広軌が頭にこびり付いていて、いつかうっかり新幹線の駅員に広軌と云ったら標準軌ですと訂正されれた。)にする。対馬海峡には壮大な海底トンネルを用意する。ということであとはうら覚えだが、トンネル工事も一部開始(新丹那トンネル)された。計画は戦況悪化とともに棚上げになり、敗戦の'45/8/15を迎えた。
- 焼け野原で満足に食うことも出来ない状況なのに、偉かったのは海軍航空技術廠技術者を国鉄技術研究所が迎え入れたことだ。チームとして引き抜いている。航空関係以外の陸海軍技術者を含め、1100名ほども集めた。元の国鉄技術研究所技術者が400名と云うから、桁外れの人材戦略であった。国鉄は、れっきとした中央官庁であったからこそ出来たのだろう。一旦解散してしまえば、営々として培ってきた軍の技術は取り戻せなくなる。人こそ宝だと判っていても、実行できないのが普通だのに、時のオエラさんは本当に偉かった。
- 高速車体問題で早速に彼らがお役に立つ。フラッタ(バタバタ)現象の発見と解決である。零戦を急降下させる実機実験で空中分解が起こり、試験飛行士が殉職した。同じ現象をレールの上を走る車体に見出したのである。当時の最速の特急でも95km/hだったから、レール屋には自動振動など思いつかなかった。私は機械屋でないからうっすらとしか判らないが、この現象はどうも複合共振運動のことのようだ。飛行機屋にとって風洞実験はお手のものだが、彼らはレール屋を納得させるために、軌道模擬実験装置を作る。近頃はTVなどにときおり出てくるから知っているが、車体は動かさず、それを載せているローラーまたはドラムを高速で回転させるあの装置のことらしい。それが風洞実験の代わりになると直感した彼らは偉い。偉大な発明発見には独創的な実験設備の開発が伴うことが多いが、これもその範疇に入るようだ。
- 自転車の最高時速は単独で走るのなら46kmだが、風よけの後ろを走らせると172kmの記録が出た。同荷重同速で比較すると、50kmまでなら船が断然経済的だが、それ以上では列車が有利だという。長細くなるだけで量が稼げるから、大量輸送になるほどこの点は強調できるだろう。彼らは高速化のために風洞実験も行った。その成果をいち早く取り入れたのが小田急で、国鉄との共同研究の成果の軽量流線型SE実車テストを、国鉄東海道線の直線部分を利用して行ったと云うから面白い。145km/hは当時の狭軌での世界記録だった。両者のトップ間に人のつながりがあったから出来たと示唆する。それが学閥か国鉄閥か知らないが、確かに技術の進歩には1枚の契約書だけでは無理がある。所属の違う技術者の交流には信頼関係が何よりも大切で、上辺だけの水臭い関係では互いに無駄な苦労が積み重なる結果に終わる。
- 私が就職した民間会社もそうであったが、鉄道技術研究所も、長い間、木造の空き家を改造した実験室にぎゅうぎゅう詰めと云った現場であったらしい。それが'57年に欧米並みの近代建屋の研究所に生まれ変わる。民間に中央研究所ブームが到来したのが、'60年代だったと思う。会社の研究は、生産実務の支援部隊とかお飾りとかお添え物とかに見られがちだったが、そのころから社運を担う重要部門と期待が変わりつつあったと思う。その先端を行ったのだから、タクトを振った十河総裁は傑物であったのだろう。だが1500名に膨れあがっていた研究員は700名に減少していた。進駐軍令による旧軍務者のパージと定員法による締め付けなどで、員数を絞られていたのである。でも廠員の受け入れからパージまでに3−4年あったから、軍事技術の継承は出来ていたのであろう。
- 東海道線の過飽和を見越して広軌の別路線を構築する。ちびちび投資なら政府も乗ってこようが、国家的大事業に決心が付くか。NHK「さかのぼり日本史 明治 「官僚国家」への道 第1回 帝国憲法・権力の源泉」は、帝大出身エリート官僚の能力が日本の効率の良い近代化を導いたと説く。その余韻が新幹線決定当時は生きていただろう。弾丸列車のために部分的に敷地所得が終わってた事も幸いしたようだ。東京オリンピックの時に、東京−大阪を3時間の列車でつなぐという十河総裁のスローガンも効いたであろう。鉄道斜陽化が世界の傾向と言う中で、世界に例のない高速車両を走らせる決心は見事であった。
- 採用技術の中からロングレールとPC枕木が取り上げられている。幼い頃の住まいが阪急電車の線路の近くだったから、ガタンゴトンの音は身に浸みている。レール(25m?)とレールはI型の端面が付き合わせられ、それを矩形の側板(継目板)で両側からボルトナットで固定する。冬には間隔が開くからだろう、埋め板が挟んであるときもあった。でもそれがガタンゴトンの原因であることには変わりはない。最近の在来線のうち、本線ではレールが斜め切りにされ、幅広の継目板(伸縮継目)で接続してある。レールがロングレールになったからだ。これは新幹線から始まった。新幹線では1.5kmのロングレールだそうだ。ロングレールでは夏冬の温度差によるレールの伸張収縮が大問題だ。レールの自由な伸縮をバラストと枕木でがっちり押さえ込まねばならぬ。PC枕木のPCはPrestressed Concreteの省略だ。コンクリートは圧縮に強いが引っ張りに弱い。鋼材は逆だ。だから予め引張り応力をかけたピアノ線をコンクリートに埋め込んだ複合資材は枕木に最適だ。私が家庭教師のアルバイトをしていた相手のお父さんは、PC事業にかかわっていた。今となっては懐かしい記憶である。
('12/05/02)