世界の山岳鉄道
- 「BSアーカイブス ハイビジョンスペシャル 世界の山岳鉄道〜列車は天空を目指す〜 アンデス越えてインカの都へ〜ペルー南部鉄道850km〜」は、最高到達点が4319mHというアレキパからマチュピチュまでの鉄道の話だ。列車には酸素ボンベが積んである。高山病対策だ。日本からの旅人は車中にあるだけで軽い高山病を訴えた。私も経験がある。課長時代は富士山の頂上までなんということがなかったのに、その後、家族で登ったときは何合目かの宿泊所で高山病に罹った。また引退後の大町から黒部ダムを経てアルペンルートを通るバスツアーではホテル立山で1泊したが、そのときも2300mHほどしかないのに高山病に罹った。
- 途中にティティカカ湖とクスコがある。列車は2度乗り換える。低地はともかく荒涼たる風景が続く。'01年放映時すでに自動車に押されて列車は衰勢だった。今はどうなっているのか。途中駅が廃駅になると民家が無くなって行く。本数は極端に少なく、保線状態は悪い。列車車両もお世辞にも立派と言えない。客数も少ない。最後のクスコからマチュピチュまではことに難工事であったらしい。アマゾンに向かって流れる川の畔の断崖を人の手で切り開いた。少しでも面積を少なくできるようにと、この路線だけは狭軌になっている。でもクスコからマチュピチュまでは観光ルートである。6両編成で乗客数も多い。時には予約無しでは乗れないという。マチュピチュの遺跡は有名だが、そこに至るまでのインカの宿舎遺跡や段々畑の遺跡の紹介があった。畑はトウモロコシを植えていたらしい。
- 「BSアーカイブス ハイビジョンスペシャル 世界の山岳鉄道〜列車は天空を目指す〜」の2つめは中国の成昆鉄道であった。「走れ 大峡谷を縫って ?中国・成昆鉄道1100キロ?」という題だった。四川省省都の成都から雲南省省都の昆明までの1100kmである。毛沢東のお声掛かりで'60年頃に着工し、10何年もかけて開通させた。今では全線が電化されている。標高が最高2300mとか云った。高山病対策は要らないようだった。中国のもう1つの山岳鉄道青蔵鉄道は最高到着点が4000m級になるので、さすがに列車全体が気密構造になっていると紹介された。山また山の路線だ。大きくループを描きつつ3回行き来し、だんだん標高を上げる場所は見応えがあった。スイッチバックはやらないのだ。四川省側はことにトンネルと橋梁の連続だ。昆明に近づくと複線になるが山間では単線である。切り立った崖を見ると難工事のほどが偲ばれる。万を超える犠牲者を出した。工事模様の古いフィルムがちょっと出た。急流に杭を打ち込んでいた。犠牲者の墓群はしかし草ぼうぼうで荒れ果てていた。門柱の賛は「人民のために生き、人民のために死んだ」と読めた。何か虚しさを覚えた。
- アンデスの鉄道と違って、保線状態が良く車両は大揺れしない。鉄路は標準軌のようだった。枕木は日本に似たコンクリート製で、枕木とレールの固定法も日本と同じボルトによる締め付けだった。ただレールとレールの接続は直角切断面をあて板とボルトナットでつなぐ方法だった。日本でも引っ込み線などには今でも見ることができるが、車両通行数の多い本線では、溶接によるロングレール方式や斜め切断レールのボルトナット接合方式になっていて、ガタンゴトンを極力避けている。
- 中国はどこも人口が多い。成都が1100万以上、昆明が400万以上と聞いた。途中の中都市でも何10万であった。峨眉山を途中駅から訪れることが出来る。鉄鉱山の開発に続いてレールを得意とする製鋼所が生まれ、わずか4軒しかなかった部落が大都会に成長した場所がある。チタンの埋蔵量が世界一と紹介された。中国の電化は急速に広がったが、その前に使用されていた蒸気機関車が産業用として今も現役で活用されている。石窟寺院の大仏像。でも信仰が受け継がれているという風ではなかった。大型恐竜化石で一躍有名になった場所もある。何百体もの化石が集中的に埋まっているという。ペルーでも同じだが、鉄路は生活道路でもある。線路を歩く人々の群れ、各停列車に乗ってくる物売り買い出しの人々など、私が若かった頃の日本の風景だ。
- 列車は長い。特急など機関車入れて17台を数えた。雲南省に入ると急に気温が上昇するらしい。野菜の栽培地が増え、その行商の女性がたくさん乗ってくる。少数民族イ族の祭りの取材があった。正装の女性は美しかった。特急でターミナルからターミナルに乗って、遅延が無くても21時間ほどかかるようだ。硬座席(普通席)で3000円という。車内販売の朝がゆが80円、夕食が350円ほどと云った。なんと安いことか。
- 「インド ヒマラヤ トイトレイン3つの旅」は3つ目だ。トイとは玩具のこと。紹介される3路線の鉄路は幅が60〜80cmの狭軌、超狭軌で、外観は遊園地の列車を少し大きくしたようなものだ。ヒマラヤの東側、紅茶で有名なダージリン地方を走る「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」は以前にも放映された。標高2143mまでのカーブだらけの道路に線路が一体になって走っている。鉄路は大回りだから、警笛を鳴らしっぱなしで何度も何度も道路を横切る。それで事故がないというから慣習とはたいしたものだ。自転車並みの速度だから、地元の小学生まで飛び乗り飛び降りだ。イギリス統治時代からの鉄道で、130年ほど経っている。スイッチバックの場所がある。ジーゼル機関車で引いていたが、途中からSLになった。SL先端に砂撒き専門の乗務員ががんばっている。世界文化遺産に登録されている。ネパール風の餃子が珍しかった。
- 次のカルカ・シムラ鉄道も世界文化遺産だ。110年ほど経っている。ジーゼル機関車が動かす。終点シムラはイギリス統治時代に夏の首府が置かれた場所という。そのために建設された鉄道だという。グリーン車の切符は普通車の10倍は取られるという。それでも安い。標高が2076mと出た。イギリス王室の紋章のある旧インド総督官邸など、植民地時代を偲ばせる遺跡が多い。途中下車で紹介される町々を含めどこも薄汚れているが、植民地庁舎関連の一角だけは町並みが美しい。インド人はどんな感慨を覚えるのであろうか。
- 3つ目はカングラ渓谷鉄道だ。高地側ターミナルのジョギンダルナグルは標高が1139mである。164km走ってパタンコートに至る。直通列車数は日に2本だ。ジーゼル機関車が牽く。雪を抱いたヒマラヤ山脈の遠景が美しい。渓谷に掛かる煉瓦橋は美しいシルエットをつくる。ダラムサラにある、ダライ・ラマ14世が亡命してからの拠点寺院が紹介され、信者の五体倒地、僧侶の読経修行の様子、ダライ・ラマが民衆と交流する姿をとらえている。ネパールからも修業者が来るという。シバ神を祀るヒンズー寺院の内部映像も紹介された。標高300mほどの終着駅に近づくと、線路はやっぱり生活道路になり、列車は大きな行商荷物を抱えたヒトで超満員になる。窓の外に手摺りを掴んではみ出している。同じ乗降口に3人が重なってはみ出しているのには驚いた。敗戦直後の京都市電もぎゅうぎゅう詰めの時があったが、こんなに重なってはみ出ていた姿は記憶にない。中国同様に食い物の値段は安い。旅人の大鶴さんが途中下車して、何の飾りもないテーブルと椅子だけの食堂に入り、インディカ米の豆入りカレーライスをスプーンで食ってみて、幾分塩味が強いてなことを言う。隣のインド人は同じ飯を手づかみで食っていた。
- 世界の山岳鉄道の4つ目、「白夜のフィヨルドを走る ?ノルウェー・ベルゲン線とフロム線?」は、オスロからフロムを経てベルゲンに至る汽車の旅である。往復と観光船込みで2万円と云うから日本よりは2割ほど安い。ベルゲン線全長465kmを走る急行列車の速度計は瞬間速度105km/hを示す。山地ではぐっと速度が落ちる。白夜の季節には1日に急行が4列車走る。もう1列車、夜行があるという。観光シーズンで外国人乗客が多い。全線電化された単線だった。列車には1等もあるが、親子用コンパートメント+子供用遊技区画のある1両も付いている。若年者への配慮だ。国連統計による'05−'10年のノルウェーの合計特殊出生率は1.89で、日本のそれは1.27だ。1.27では国が保てないと言われて久しい。だのに国家予算での将来を担う層への配慮が少なすぎる。国家予算は国民の将来計画の物指しと言える。年金とか介護費とかの直接的な予算のほかに、高齢者比率の高い農漁村への手厚い予算配分を加えると、アンバランスも甚だしい。高齢者は少しは遠慮すべきである。国鉄だから出来ることとは云いたくない。あらゆる面で、若年層に希望が持てる将来のための体制を作らねばならぬ。
- オスローから当分は牧歌的風景だが、1000mHあたりが森林限界標高で、岩肌がごつごつした積雪景色となり、平地とよいコントラストをなす。平地では半袖でも高地では冬の服装に換わる。旅人は四季が味わえる列車だと云った。最高標高は1222.2mという。そこには鉄道博物館が昔の難工事を偲ばせる。冬の大敵は4mになる雪だそうだ。フィヨルド観光で有名なフロムには865mHの駅から支線が出ている。前後に4500HPの電気機関車が付く。何しろ勾配が1:18(55‰)なのだ。平均30km/hで20kmを走る。鉄道は次々とトンネル掘削で迂回軌道を直線軌道に改良している。今や線路の1/3がトンネルの中という。氷河期には1000mからの氷に覆われていたから、氷の融解につれて大地が圧縮変形から解放され、盛り上がったのが現在のノルウェーの地形で、フィヨルドは氷河がその大地を削り削り消失していった跡である。
- 急峻な崖の上から、大量の水が流れ落ちる滝は勇壮そのものだ。フィヨルドにへばりついた小部落は、バイキング時代には1000名からの人口を数えたという。一度チブスで全滅し、今は一握りのヒトしかいないが、伝統の山羊チーズを守っている。本線に戻りベルゲンに下ってゆく途中に旧路線を活用した子どものお遊びや、鉄道クラブが運営する汽車運行なども見せた。100年昔に製造されたベルゲン線開通時代のSLが牽いている。今人口22万のベルゲンは、ハンザ同盟の有力都市として開けた。風格のある建築が並ぶ。グリークの故郷としても名高い。ベルゲン線が全線開通したのは、彼の死後2年のちであった。市場にはクジラ、トナカイ、ヘラシカなどの肉やソーセージが売られていた。
- '01年の放映。町風景も列車風景も、クルーズ船番組などで紹介された内容と部分部分が重複する、まあいわばTVでお馴染みのコースだ。これまでの山岳鉄道に比べれば、安心して乗れるという意味ではここが一番だろう。家族同伴なら尚更であろう。鉄道の映像が主だが、ノルウェー人が、自分たちの文化遺産を大切にする姿勢も滲み出ていた。
('12/03/05)