しもつけ風土記の丘


空模様は雨であったが、決心してしもつけ風土記の丘を目指した。柏の次のICから国道129号線を北上する。益子の手前の町で西に折れ国分寺町に行くとその風土記の丘がある。いつ頃風土記の丘として整備されたのであろうか。以前関東に住んでいた頃に既にあったという記憶はない。
水海道市から下館市までの294号線にはバイパスが完成して自動車専用道に近く交通渋滞はなかった。昔益子に行ったときに一部だけできていた道で、その頃は旧街道を走った覚えがある。同様に地図だけの知識だが新4号線も開通している。途中の守谷SAが時間的にはちょうど中間点で、そこで休憩した。売店で煎餅のいくつかを往路で戻りに名物らしい団子を土産と思って買い入れた。
しもつけ風土記の丘は国府跡、国分寺跡、国分尼寺跡とそれらを取り囲むように点在する大小の古墳をまとめた公園である。中心に資料館がある。あいにくの雨で結局国分尼寺跡の整備跡を間近に見た以外は自動車で周辺を通るだけの見学であった。資料館では館長らしい人物が説明してくれた。あまり人影はなかった。
関東に多い前方後方墳は東海地方の影響らしいといっていた。東海の覇者と近畿の覇者が並立していた時代に地理的に近い東海の影響として前方後方墳が流れて来、後大和政権になってからは前方後円となった。前者より後者の方が内容的にリッチだそうである。女性の古墳がホタテ貝式であるのは面白かった。大型古墳が武人の副葬品であるのに対し、こちらは女性らしい副葬品だったそうである。
国分寺にはやっぱり高さ60mを越す7重の塔があり国分尼寺には塔がないのも上総の遺跡と同じだった。東大寺も創建時7重だったし備前も多分そうだったから当時の塔は全部7重だったらしい。
薬師寺の遺跡のコーナーがあった。ある時期は国分寺以上に重要な地位を占めていたらしい。国分寺は今すっかり小型になってそれでも公園の一角に残っている。薬師寺の面影はその中の薬師堂がわずかに伝えているのだろう。尼寺の行方は判らなかった。消滅したのであろう。それでも信仰とは偉大な力を持つものだと思う。時の豪族はそろって姿も形も絶えて無くなっているのだから。

('97/08/12)