銃の科学
- かのよしのり:「銃の科学〜知られざるファイア・アームズの秘密〜」、サイエンス・アイ新書、'12を読む。幼い頃父が空気銃を使う姿を見ていた。でも小火器としての銃は身近に置かれていたことはない。'09年の海フェスタよこはま(同名のHP記事あり)で、自衛艦の見学をした時、機関銃やら自動小銃やらが並べられていた。火薬で弾が発射される銃を手の届く距離に見たのはこれが初めてだった。もう引退してから10年以上経っていた。平和日本なればこそ、兵器に無関係でおれる。きな臭い行動を取る周辺に対し、弱腰外交と罵る輩は多い。追っ払うのに兵力を使えと言うのか。平和日本でよいのだ。内憂への目を反らさせるために、あえて対外摩擦と緊張を作らねばならぬ国の国民に比し、我々は幸福である。でも彼らのちょっかいに対抗出来るだけの知識は持たねばならぬ。本書を買ったのは、その姿勢の一環である。
- イントロにアメリカが数々の悲劇を生んでいるのにもかかわらず、銃社会を維持している理由を書いている。民主主義を国民の銃が担保しているからだと。欧米の民主主義は専制独裁の打倒に血の代償を支払った歴史がある。「治にあって乱を忘れず」を地で行く姿が銃社会という形に出ているのだ。日本には自前で民主主義を勝ち取った歴史がないから、銃社会の不合理ばかりに目を向ける。基本が判っておらぬ。まあこんな調子だが、秀吉以来の刀狩りの思想が、何百年の国内平和をもたらしたことも事実で、どちらが幸福かは運営次第と云える。私は銃社会のもう1つの根源が、ヨーロッパ民族が近々まで肉食人種、狩猟民族であったことから来ていると思う。猟が出来なければ飢えが来る。ドイツがまだ敗戦国のイメージの強かったころだったが、さほど大きな町でもないのに、立派な銃器店が店を構えていたのに驚いたことがあった。欧米と日本では銃文化が違う。
- 最前線からの旧日本軍兵士の生き残りは、異口同音に自動小銃〜カービン銃〜は怖かったと云った。現在の自衛隊は89式5.56mm銃を装備している。弾倉は自由圏諸国と互換性がある。中国やロシアではサイズが違うので相手の弾は使えない。脚を地につけて発射すると300m先でも人体のどこかに命中するという。歩兵銃は口径が7.62mmで、1kmも2kmも先を狙えるように作った長くて重い銃だったが、全長1m弱、重量3.5kgの自動小銃に進化した歴史が、中国で火竜鎗が発明されたころから説き起こしてある。銃身内部には深さが0.1mm程度のライフルが刻まれてある。施条のことだ。弾倉から先端までで1回転するぐらいと云う。弾丸には予め溝を滑らせるための突起が作られているわけではない。発射薬が破裂すると弾丸が溝部分では膨張し、自然とレールに乗って回転しながら発射されて行く。なお発射薬の手前には雷管が入っていて、頭を叩かれると雷管が着火しそれが発射薬に伝わる。火縄銃だと、火が到達してから発射まで感覚的に判るほどのタイムラグを生じるから、動く標的などには命中しにくいだろう。雷管は化学の大発明であった。
- NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲 第10回 日本海海戦」のビデオを見直した。バルチック艦隊の大砲が発射後もうもうと黒煙を吐く。東郷艦隊のは黒煙のあとに白煙を伴う。ただ煙全体の量はバルチック艦隊のより少なめである。バルチック艦隊が伝統的な黒色火薬を使ったのに対し、東郷艦隊は無煙火薬を使ったという。黒色火薬は無煙火薬の数倍を使わないと同じ効果が得られない。私は火縄銃の実演を2度ほど見ている。1度は歴博で、2度目は種子島に寄港した時の、地元の観光サービスでであった。もうもうと黒煙を上げるので驚いた。余談だが、見るからに重そうなので、持たせてくれと云ったら、銃火器取締法では、免許のないものが持つことは許されていないと、断られた。維新までは、黒色火薬が唯一の火薬であった。原料の内、硝石は日本に産出しないから人工的に拵えた。本HPに「五箇山定期観光バス」という記事がある。合掌造りで有名な五箇山は、加賀藩御用の「塩硝土」製造部落であった。たい肥作りに似た方法で、硝化バクテリアの働きを生かして硝酸カリを作ったとある。
- 無煙火薬はニトロセルローズで、綿火薬などとも同じだ。なにしろ火薬で、不安定な代物だ。昔の映画フィルムはニトロセルローズだった。同じニトロセルローズでも火薬用よりはずっとニトロ化の程度が低いはずだが、それでもよく事故を起こした。忘れられない事故は国立のフィルム保存事業体で起こった。ようやく映画が文化に含まれるようになって、逸散を防ぐためにフィルム保存事業が出発したのだが、保存室の冷房を電気料節約のために停めてしまったら、自然発火して蒐集フィルムがお釈迦になった。これには後日談がある。焼失を知った先進国事業団体から、早速に、新プリント寄贈の申し出があったのだ。文化に対するお役人ひいては国民の姿勢の違いが、如実に表れた事件であった。映画フィルムはその後、燃えにくい酢酸セルローズにされていったと記憶する。自然劣化では酸が副生する。酸は劣化を促進する。アルカリ性物質を安定剤に添加しているという。
- TNT、ニトログリセリン(ダイナマイト)、ピクリン酸(日露戦争の下瀬火薬)などの爆薬は発射薬にはならない。爆速が1桁以上違うので、発射薬にしたら銃が破裂してしまう。ニトロセルローズは燃焼速度が速い爆燃だが、TNTなどは衝撃波による爆轟だ。火を付けるだけではだめで、雷管による衝撃がなければ爆発しない。本書には衝撃波により分子構造が揺さぶられて反応するとある。爆轟の勉強はやったことがない。現象は単純だが科学的な説明は難しそうだ。
- 鉄砲の弾にも大きさ形でいろいろある。発射速度も目的次第でいろいろ変わってくる。銃身の中の燃焼速度や燃焼量はそれに合わさねばならない。ちょっと青い火が銃口から噴き出すぐらいが丁度良いらしい。ちなみにこの火は一酸化炭素が燃える色だそうだ。発射薬の大半は水と炭酸ガスに分解して大きなエネルギーをつくるが、酸化しきれずに一酸化炭素で出てくるガスもある。発射薬の微調節はそれこそK/Hなのだろう、粒形状が一つの要素らしいことは書いてある。案外に薬莢の発射薬の量は少ないのに驚く。ピストルなど半グラム以下だ。雷管にはトリニトロレゾルシン鉛を使う。学校で学んだ雷汞は使われなくなって久しいらしい。運動会のスタートピストル。あの紙火薬はひょっとしてまだ雷汞なのかも知れない。
- 鉄砲鍛冶は種子島から始まる。本HPの「春のクルーズW」に島の鉄砲館について触れている。「歴史のなかの鉄砲伝来」は歴博で行われた企画展の見聞録で、国友鉄砲研究会の実演も載せている。鉄棒に鉄の帯板を巻き付けて銃身をつくる技術と、ねじ切りが、技術開発の鍵を握っていた。ことに後者が難しかったらしい。国友村では、戦国末期には、何百人もの鍛冶職人を擁するマニュファクチャー経営が成り立っていた。でも平和期を迎えると技術開発は頓挫してしまう。再開は黒船からあとになる。近代化の歴史で最も興味を引くのは、カタカタカタカタタンタンタンの銃の自動発射化である。現在の軍用小火器はほとんどが自動化されている。
- 西部劇で著名な拳銃は6発回転式弾倉のリボルバー装?式だ。1回ごとに引き金を起こして撃つ。小銃ではレバーアクションの手動式連発銃が有名だ。打つごとにレバーを往復させて、空薬莢をはね飛ばし次の実包を籠める。この派手な動作が映画に向いていた。でも軍用にならなかった。派手だから狙われやすいのと、弾倉の構造上殺傷力の強い尖頭弾が使えないからだ。手動でやるところを自動化するには、弾丸発射の時の反作用を使えばよい。黒色火薬では煤で詰まり、機械機構が動かなくなる可能性があるが、無煙火薬だとその恐れが少ないから自動化出来る。あとは弾に合わせて構造を調節すればよい。
- 弾道を考える。真空中なら放物線を描いて落下する。水平撃ちでは1秒後に9.8m落ちるとあるが、4.9mが正解だ。銃構造や弾にもよりけりだが、1kmも離れた標的だと、現実にはこの程度の落下距離を狙いに考慮せねばならない。もう1つ難儀な事実は弾の旋回の影響だ。直進性を担保するのがこの旋回だが、空気の粘性のために、進行方向とは直角方向の力を受ける。時計回りの回転の方が少しはこの力が低いはずだから、弾は必ず進行方向に対し右回転にしてある。とにかく弾は宿命的に狙いに対し右に反れようとする。1kmで1mもある。命中しない理由のもう1つは、銃身の踊りである。連続発射の時などことに揺れ動いて、狙いが定まらず、散弾を撃っているような状態になる。脚をつけて打つと驚くほどに命中率が上がるという。腰だめ撃ちなど支点が自身だけのときは、銃身と直角方向の慣性能率が物を言うだろう。重くて長い銃の方が命中率が上がると云うことだ。先述の通り、旧日本軍の歩兵銃は、弾も大きかったが銃も大きかった。歩兵の戦術が現在とは違っていたからだ。
- オリンピックが始まるとときおりクレー射撃の画面がTVに出る。鳥の代わりにかわらけを飛ばして散弾銃で仕留める競技だ。競技法は2種類で、距離は15mと19.2mだとある。散弾は最大300mも飛ぶのがあるらしいが、鳥打ちの常識としては、そんなに遠くからは撃たないと云うことだろう。散弾銃の銃身は、銃口側が少し絞ってあるとは知らなかった。あんまり広く散弾をばらまくと当たっても逃げられる。クマ、イノシシやシカなどの大型獣に出くわした時は、小銃弾に似た弾1個のスラグ弾というのがある。散弾銃にはライフリングがないから短距離しか有効でない。しかし散弾銃のくせに半分をライフリングした銃もあるという。スズメだと直径が1mmあまりの散弾、ガンほどの大形の鳥に対しては4mmもある散弾を使うそうだ。
- NHKの「さかのぼり日本史」で「生類あわれみの令」を解説していた。あれは犬公方の動物保護令ではなくて、農民保護令だそうだ。令を発しなくても、農耕民族であり仏教徒である日本民族は、むやみに動物の命を取らない。何しろ脂肪摂取量は、縄文期から江戸期まで、欧米人の1/6〜1/3であるとこの間知ったばかりだ。この脂肪が動物食に主に依存していることは明らかだ。しかし狩猟民族で肉食を基本にしてきたヨーロッパ人は、食えるいきもののハンティングを、ついにはスポーツに昇格させるほどに重視した。軍用が狩猟用と相携えて発達してきた。それと反捕鯨運動とのつながりを思うと複雑な気持ちにさせられる。太平洋のクジラは、あらかたをアメリカの捕鯨船が取り尽くしてしまった歴史がある。クジラからは鯨油を採取し肉は食用にしなかったから、欧米人にとってクジラは動く資源であり、愛すべきハンティング対象ではなかったということか。ベトナム。イラン、アフガン。自国文化思想の押し売り姿勢が反捕鯨運動にも見られる。
('12/02/04)