放射光の応用U

尾嶋正治ほか:「放射光が解き明かす驚異のナノ世界〜魔法の光が拓く物質世界の可能性〜」、日本放射光学会編、講談社Blue Backs、'11の後半を読む。ナノテクの話から始まる。現役のころフォトレジに興味を持った時代があった。その頃の本、野々垣三郎:「微細加工とレジスト」、高分子学会編、共立出版、'87には、LSIが4MDRAMの時代に入ったが、光源としてg線(438nm)は限界で、次の16Mに対しては、i(365nm)線あるいはエキシマレーザー(249nm)光が使われるであろうと予言してある。ムーアの法則がある。経験則で、3年で集積度が4倍に上がるとしている。だったら今のLSIは256GBほどのはずだ。余りよく知らないが、そろそろT単位の超々LSIの情報が出ているようだ。
本書ではエキシマはエキシマでも今は193nmが主流だとある。24年の間に世界は変わった。でも微細加工の技術:リソグラフィーの基本はまだ同じだ。戦艦大和で鍛え上げた測距離器の伝統を受け継ぐと云えば時代劇がかるが、要するに光学器械なのである。次世代はさらに波長が短い光を利用することは確実だが、いよいよ従来光学の限界、レンズの限界に至る。こんな短波長の光を屈折出来る材料がない。そのためコーヒーレントな放射光を使う。コヒーレント性を生かして回折格子干渉による微細なパターンを描かせる。13.5nmの放射光により、幅10nmの微細な線をウエファー上に描けるとある。LSIは電極を挟む酸化被膜の原子数個が命だ。界面にある原子は電極側も微妙で、荷電状態が放射光の光電子分析法で解析された。結果とトランジスターの劣化との関連が明らかにされている。
とうとう我が家にもブルーディスクが入った。テレビがデジタル放送になって、DVDでは容量的に記録が追っつかなくなったためである。もちろん今までのアナログ式の機械は使えなくなった。デジタル信号は、結晶のディスク面にレーザー線による高温溶融の結果としての非晶部が対応する。再生は、今度は溶解を起こさない程度のレーザー光の反射率の相違を検出することで行う。ブルーディスクもDVDも原理は同じだが、レーザーの波長が違う。前者はブルーの光だ。材料が結晶と非晶の間を瞬間的に変化する様は、パルス放射光を使って証明された。
ハードディスクの容量もどんどん上がって、量販店を見ても今ではT単位のものが当たり前になっている。その大立役者が磁気ヘッドに関する2007年ノーベル物理学賞学者だという。ノーベル賞受賞対象研究はいずれ人類に実用面でも貢献するのだが、多分受賞前から貢献したのは珍しい。巨大磁気抵抗効果だ。鉄銅の多層膜は僅かな環境の磁気変化を鋭敏にキャッチ出来る。これも界面の問題であることが、X線磁気円二色性を応用した測定で明確になった。
日本では新・新幹線のリニアモーターカー(本HPでは「新世代鉄道の技術」など)で有名な超伝導物質には3種類がある。1つは金属、次が銅酸化物系、最後が'08年の東工大細野教授による鉄化合物系だ。銅酸化物系に超伝導物質が発見された時私はまだ現役であった。企業の研究陣は色めき立った。たまたま私の知っている電気会社では、それこそ5万という物質特許を出願したと聞いた。鉄化合物系も世界的な研究フィーバーを巻き起こしたと本書に出ている。フィーバーが起こる理由は、高温超伝導体が得られたからだ。高温と云ってもまだ最高で-113℃で、低温だが、液体ヘリウムを使わずとも済むなら、工業的には大進歩だ。
超伝導機構の解析には放射光利用の分析が欠かせない。その最も基本となるのが、放射光では、あらゆる波長の単色光X線が、ビーム状に得られるところにある。私が学校を出たころのX線管は、例えばWに電子線を当てて、示性X線を放出させるものだった。標的金属の示性X線以外の波長は取り出せず、強い方向性を持たせることも不可能だった。電子の持つエネルギー、運動量、磁性の状態、電子同士をくっつける格子運動の詳細な様子を、原子レベル、電子レベルで観察出来る。超伝導状態では電子はペアを組んで運動する。互いに反発するのだが、格子振動と相互作用することによって引き付け合うという。これを角度分解光電子分光法で追跡する。角度分解とは運動量の方向性の解析を云う。
昨年、中国の輸出規制と値上がりで希土類元素が世の注目を浴びた。世界希土類元素産出量の9割を中国が占めている。Nd(ネオジム)はその一つで、強力永久磁石(ネオジム磁石)に欠かせぬ原料だ。ハイブリッドカーや電気自動車あるいはハードディスク駆動のモーターなどに使われている。Ndは磁気異方性を持ち、鉄の電子スピンによる磁気モーメントを、1方向に強く向かわせる働きをする。元素ごとの放射X線で、元素の働きを分離して観測することが出来た。
タイヤの加硫ゴムに含まれるカーボンブラックは、走行により分散状態を変える。これは20年以上昔に発見された顕微鏡的知見である。顕微鏡で見るために、ゴムを低温でガラス状にし、薄く試料を切り取って観察した。加硫で3次元構造になったゴムのネットワークの中で、混練により細かく分散していたブラック粒子が、団子状態へと集合する傾向を見せるのである。幾分眉唾にも思いながら、斬新な知見として記憶に残った。分散状態の変形によるゆらぎ方は、タイヤ特性に大きな影響を持つ。今は放射光X線散乱実験でこのゆらぎをin situで観察出来る。
本HPの「マグマの地球科学」に、地震波の伝わり方から得られた地球内部構造を解説してある。地震の縦波(P波)速度と横波(S波)速度の深さに対するパターンから、内部構造を推論することができる。不連続点が相転移層を示す。本書はさらに、模擬実験として地球内部構造物質と考えられる物質の高温高圧実験を紹介する。この目的に合った最先端装置はレーザー加熱式ダイヤモンドアンビル装置だ。試料はごく少量だが、強力放射X線により構造解析が行える。地球の中心核は364気圧6000℃だそうだ。温度は書いてないが、この装置は300気圧は可能という。地震波速度不規則点に対応する条件で、かんらん石は相転移を行うことが確認されている。下部マントルと外核の境界面に200kmのD"層がある。その125気圧2000℃の条件による解析に日本のチームが成功した。かんらん石はマントルを構成するかんらん岩の6割を占める主成分だ。他の構成要素の輝石やざくろ石を使った実験も矛盾しないようだ。
私の書棚に高橋武彦:「燃料電池 第2版」、共立出版、'92が残っている。ひところはクリーン・エネルギーの本命であった燃料電池だったが、今は太陽光電池とか風力発電に先を越されている。燃料電池の命は電解質膜と正極材料の寿命だ。酸素分子の還元を行う正極には白金を炭素に分散させた触媒を使うが、高価と劣化が敵だ。白金を使わない新しい炭素触媒が開発中という。昔は触媒のスクリーニングは、ほとんどが経験則によるものだった。周期律表とか化合物の性質から類推で選んで行く。創薬と大して変わらない。分析法の進歩は触媒上の化学反応と触媒自身の変化を捉えるようになり、反応機構に適した触媒構造をシミュレート出来るようになった。私が現役を去るころにはもうその萌芽を感じていた。本書には、燃料電池の白金触媒の劣化を、放射光X線を用いた回折法や吸収微細構造法(XAFS)で追跡した概要が述べられている。ほかに触媒研究の成功例として、ノーベル化学賞になった光電子顕微鏡法による一酸化炭素の酸化、XAFSによる自動車排ガス浄化の研究が上げられている。
最後の章はX線自由電子レーザーの解説である。線形加速器の電子ビームをNS極が交互に繋がったアンジュレータにくぐらせると、コヒーレントなX線のビームが得られる。これがX線自由電子レーザーで、発光時間(パルス幅)は従来の放射光より3桁も短く、振動し変化する原子の瞬間の静止像を捕らえることが可能になった。コヒーレンス特性により、結晶でなくても分子構造の解析が出来るようになった。タンパク質でも1分子あれば可能だとある。本年春にスプリング・エイトと同じキャンパスに設置された。放射光設備と並んで設置されているのは、世界の中でこのキャンパスだけという。今後の研究の展開が楽しみだ。

('11/12/19)