ワープロ誕生の日
- 内橋克人:「新版・匠の時代3」、岩波現代文庫、'11の「第T章 ワープロ誕生の日−東芝・総合研究所を母として」を読む。私のワープロとの付き合いは長い。最初は会社のワープロとだった。20数年は昔の話だ。何しろ1台何100万円という品で、公式には専属のオペレータしか触れなかった。我が家にはプログラム電卓と平行して入ってきた。ワープロ専用機で、文豪mini7HRだった。買ったのは良かったが、あまり用途が無くて、せいぜい日記を書いた程度だったと思う。そのFDは現在のPCでは読めない。やがて会社ではPCを各所に備えるようになった。Wordはまだ出ておらず、一太郎とか松が幅を利かせていた。私物のPCは20万円を切ったころ買った。ワープロソフトは会社との繋がりで自然と一太郎になった。Ver.3のころである。すぐに一太郎dashに変わり、以後次々に更新版が出て、今は一太郎2009で落ち着いている。世の中はいつの間にかWord全盛期になった。官公庁や業界、学会がインターナショナルだと称して採用したのが大きいようだ。
- 現在の知的労働者は小学校のころから、当然の道具としてワープロやPCに馴染んでいる。彼らと違って、私はペンと算盤から、ワープロとPCへ乗り換えた時代を経験した。だからか開発物語がよく分かる。ワープロやPCの開発が、社会にどんな意味をもたらすかを新聞社のニーズから解説してある。そんなニーズから会社の中でアングラ研究が始まる。後述の大学の情報工学的研究は、むしろシーズからの発想である。今ではニーズやシーズに繋がる研究者は大切に扱われるが、技術導入で先進国の2番煎じで事業をやれば良いという時代では、辛いなにくそ研究だったはずである。
- 昔、「電子計算機のための数学」なる本が共立全書の1冊にあった。共立全書は水準の高い教養書の刊行で有名だった。このクラスの全書本を、今はどこも手がけていないのは残念な限りである。その本の掛け算割り算のロジックぐらいまでなら何とか判るが、いやもうその先の難しいこと。'68年の出版だから当然かも知れないが、ワープロ関連の記事など無かったと思う。第一ワープロという言葉はずっと後で西独IBMあたりから使われ出したものという。
- 言語を計算機に載せるなんてどんな技を使うのだろう。東芝には言語学を専攻した社員などいなかったから、大学に国内留学生を送る。計算機による情報処理に関し、当時最先端を行く研究は「断然、西(東大に比べ京大を指す)が強い」と言う世界的評価が確立していたとある。昭和47年頃という。ワープロ関係に限らず、現在では華やかなフットライトを浴びている人工知能とかロボットとか画像処理とか自動翻訳などの研究の萌芽が、すでにそこに存在したともある。私は電気工学科から情報工学科が分離したことぐらいは知っていたが、専門屋が期待する日本で最初にできた学科だとは知らなかった。留学生がOCR(文字・画像読み取り装置)をやりたいと云ったら、それは企業のテーマだと一蹴されたとあった。
- 一太郎の日本語辞書ATOKはかなり自然言語に近くなった。極端に言えば日本語は「テ、ニ、ヲ、ハ」以外は輸入語で、輸入先としは唐時代、宋時代を中心とする漢語が最も歴史が古いが、今ではヨーロッパ系言語が相当に幅を利かせている。しかも日本語は音が少ないという利点であり欠点である問題を抱えている。そんな中、周囲の状況に応じた適切な文字を、打ち込んだキーに対応させて画面に呼び出してくる。一太郎はWordに機能面では勝っていたのに、販売戦略で後手に回ったと云われている。とにかくシェアは低下した。だがATOKは、一太郎とは独立に販売されるようになってからは、健闘しているそうだ。携帯の辞書にも採用されている。東芝のワープロは、どこも同じだろうが、このカナ漢字変換辞書作りに成否が掛かっていた。日本語文法が文学者の文法で、英語などに比して、いかに情報工学に馴染まないものであるかという説明が面白い。開発のエンジニアは国立国語研究所の研究官を訪ね、唖然とさせる質問を連発したとある。
- 市販品はいくらで売りに出されたか。日本語が英文タイプ並みにすらすらと画面に出て、しかも簡単にプリンターで取り出せる。欧文に対して宿命のハンディが取り除かれ、日本語文化が花開くだろう(日本だけでなく、非欧文文化圏ことに漢字文化圏に与えた恩恵は、計り知れないと私は思う)。確かになべて国民すべてにとって画期的な開発であった。だが買ってくれなきゃ意味がない。試作機段階の目安は500万円だったとある。量産化が昭和55年頃で、昭和60年の価格予想が350万円だったという。実際は需要が予想を遙かに超えた大量生産となり、12.5万円に下がっていた。他社は追従に1年半を必要とした。カナ漢字変換、24ドット印字、多彩な編集・学習機能など完成度が初めから高い名機だったとある。
- 東芝は大型コンピュータの営業が不振に陥り、ミニコンとかオフィス・コンに活路を見出そうとしていた時期だった。コンピュータ担当の青梅工場が将来に神経を尖らしていた時期に、それまで基礎を作ってきた総合研究所から、日本語ワープロの製品開発が持ち込まれたという幸運もあった。データ・ショー、女性インストラクター軍団、ワープロ教室など販売部門の努力もいろいろ書いてある。
- 本書には開発に携わった人々が実名で出てくる。それがインターネットで検索出来る。総合研究所にあって実質の研究を指揮した森健一氏は常務まで出世し、'06年に文化功労者として顕彰されている。だが、指揮者が必ずしも発明者ではない。基本特許を発明者として出願した天野真家氏は、日本語ワープロの発明の報奨に関し訴訟を行い、第1審では東芝に勝っている。天野氏の東芝における最終身分は判らない。ただ元東芝社員としか経歴に載ってないのが気になる。本書が初めて世に出て遙か後の事件である。森健一氏の著作「ワープロが日本語を覚えた日」は、氏の縦横無尽の活躍を述べているが、天野氏の貢献には全く触れておらず、他の基礎研究者にしても、わずかに1人、京大留学に送った新人(河田勉氏、本書には天野氏とともに基礎を作った1人として出てくる、東芝ではそこそこの地位まで昇ったらしい)がいたとしか出てこないそうだ。かっての日本企業には、職務発明はすべて会社のものと言った雰囲気があった。それはそうとしても、発明の名誉まで我がものとするのは度が過ぎた行為である。森氏は現在東京理科大教授だという。東理大当局は訴訟に負けたあと、どんな処遇をするのだろうか。LED特許報奨問題で日亜化学工業と争った中村修二教授とは逆の立場だ。
- 本書の著者が訴訟事件のレビューをしてくれるとありがたい。
('11/12/13)