チョコレートの世界史

武田尚子:「チョコレートの世界史〜近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石〜」、中公新書、'10を読む。巻末の文献や引用を見ると真面目な著書であるらしい。私はTVの紀行番組が好きで、ベルギーやフランスに個性豊かなチョコレートの名店が数多いことは知っている。TVは時には手作り工房の中を見せる。大量生産はイギリスから始まったそうだ。原料カカオは中米が原産地だ。原住民インディオの受難、海賊の舞台、スペインの侵略など、いろいろ空想の踊る中米である。どんな歴史が語られるのかが楽しみだ。
私のチョコレート史は戦後からだ。敗戦後の食糧難で、占領軍が軍需携帯食料を配給食料に回した。その一食分は防湿段ボール箱に詰められていた。強烈なインパクトを受けた。こんな飯を食う相手を敵に回して勝てるはずがなかったと。朝鮮戦争で中国軍が大挙して南下してきた。米軍兵士が捕虜の持参食料を試してみて吐き出した。日本軍は生米持参だったが、中国軍はコウリャンだったそうだ。食い物からは民衆レベルで相手の文化を感じ取れる。北朝鮮の飢餓に対する人道支援がときおり問題になる。支援する時は少々高価についても良いから、日本製と明記された自衛隊の携行食糧的なパック製品を送るようにしたい。さてこの米軍放出携帯食料の中に、チョコレート粒があった。銀紙で包装し、粒の一端は引き延ばされていて摘みやすくしてあった。年を経てアメリカ品のホールセール・マーケットで同じ形をしたチョコレートを見つけた。
カカオのアルカロイド成分はテオブロミン、コーヒーのそれはカフェインだ。色が黒い点ではよく似ているが、風味や薬理作用はちょっと違う。化学構造上はプリン環のNにくっつくメチル基の数がカフェインの方が1個多いだけの差だ。ほんの少しの化学構造上の相違が、生命体に対する作用上重大な結果を与えることは、かって殺虫剤の歴史で学んだことがある。
パラチオン、メチルパラチオン、スミチオンは化学構造が大変よく似ている。パラチオンとメチルパラチオンの差はエチルエステルか、メチルエステルかの違いだけ、メチルパラチオンとスミチオンの差はフェニル環にメチル基が1個付いているかいないだけの差だ。ところが人体に対する毒性は雲泥の差で、パラチオン>メチルパラチオン>>スミチオンとなる。物理的性質化学的性質は調べなくても互いによく似ているだろうと思えるのだが、こと生理作用に関する限り、やってみなければ判らないというのが、私が現役であったころの常識であった。テストの方法はずいぶんと改良され、コンピュータの貢献も大きくなったろうが、今でも最後は人体実験なのであろう。カカオで忘れがちな成分は油脂である。カカオ豆には45-55%もの脂肪分がある。コーヒー豆にも油脂分は多いが、それでも16%程度だ。エネルギー・ドリンクたる所以である。お茶代わりにしている人は要注意である。
原産地のアステカ王国やマヤ文明の時代には、カカオは貨幣として流通した。誰しも認める貴重品だったのである。その時代からすでにプランテーション的に農作物として栽培されていたかどうかは書かれていない。アオギリ科の常緑高木である。飲料として楽しめたのは王侯貴族に富裕層だった。一握りのスペイン軍団にアステカ王国が滅ぼされスペイン植民地になると、換金性植物として販路が拡大し生産量が上がる。やがてその味がヨーロッパに伝わる。ココアと砂糖は大西洋三角貿易における中米からヨーロッパへの輸出品であった。中米にはアフリカ奴隷が売り込まれた。原住民のインディオは当初の労働力であったが、労働力の再生産を許さない苛酷な使役と伝染病で、人口をたちまち1/10ほどに減らしたために、プランテーションの拡大にはアフリカ奴隷が必須であった。ヨーロッパからアフリカへは繊維製品と武器が送られたとある。ココアの産地は世界に広がり、今では南アフリカが最大の産地で、インドネシアやパプア・ニューギニアのアジア、南米のブラジルなども主要産地の一つに数えられている。
私は滅多にカカオ飲料(ココア)を飲まぬ。でも家に備えはある。出してみると回分式で、1回1袋の内容物28gをカップに空けお湯を入れたら終わりとある。110kcalとあるから確かにエネルギー・サプリメントだ。ちょっと多すぎるのでラベルを見ると外人向け製品らしい。町で国内向けを調べた。1袋20g程度で、100kcal前後になっていた。成分はカカオの他に砂糖や粉乳が入っている。苦いカカオに砂糖やミルクを混ぜてココアにする方法はヨーロッパ人の発明という。食用乳化剤はさっと溶かすためである。我々はカカオは元気が出る嗜好品という程度の認識だが、禁断の実が聖書に載っているキリスト教徒にとっては、宗教論争の対象だったそうだ。カカオだけに限らず新大陸からの新食料すべてにそんな議論があったようだ。アイルランドなどの飢饉を救ったジャガイモが神からの賜と、インディオに感謝したという記録はないようだ。彼らは搾取の対象としての異教徒の被征服民であった。身勝手な論理である。
ココアがフランス上層階級から一般市民に手の届く飲料になった担い手は、フレンチ・バスク地方のユダヤ人だという。ユダヤ人はヨーロッパの爪弾きもので、この地方の彼らはスペインからの弾圧で逃げ出した人々という。マジョリティのキリスト教徒の中で生きるには彼らがいやがる仕事とか新しい冒険的な仕事をこなす以外にない。弾圧は敗戦後しばらくはヒットラーの専売と思っていたが、ベニスの商人のシャイロックを引き合いに出すべくもなく、もうヨーロッパのキリスト教徒の遺伝的体質として持続的に維持されてきた思想であった。
ココアと云えば私でもVan Houtenの商標を思い浮かべる。Van Houtenは18-19世紀のオランダの家族名である。彼らは、苦くて渋く、くどい飲み物のココアを現代の風味に改良した。豆を挽いて出来たカカオマスから油脂分を減量し、アルカリ性薬品により酸味を抑えた。それまでは「良薬は口に苦し」されど「その味忘れ難し」と思って、半ば嗜好品半ばお薬としていただいていたようだ。茶も我が国にはお薬として移入された歴史がある。そうしてみると18世紀頃までの医薬の水準は、和漢と西洋で大して差がなかったのではないか。19世紀にVan Houtenは製法特許を得ている。産業保護と利益独占のために藩が産品を専売にした例はいくつもあるが、発明に特許を与える思想は我が国にはついに芽を出さなかった。江戸時代の高い技術水準を讃える話はいろいろあるが、それに対応する知的所有権の思想が発達しなかったのが、彼の地と比較しての我が国法体系の一大欠陥である。それが現代の「理科系冷遇社会」に繋がっている。
逆転の発想で、カカオマスにココア・バターを添加し混練して、固形カカオマスの口当たりを改良する方法が19世紀中頃にイギリスで開発された。固形チョコレートの走りである。でも英国民がチョコレート好きになるのはずっと後である。砂糖たっぷりの甘いココアが先行した。植民地のプランテーションで黒人奴隷が文字通り命を削って砂糖を生産し、本国に安い砂糖を供給する。英国民が甘い物好きになった理由だ。チョコもその一環にある。脱線だが、パンに砂糖の塊のようなジャムを塗る習慣は、英国労働者階級から発生した。彼らは必要カロリーの1/5を砂糖から取っていたという。スイスではカカオマス、ココア・バター、砂糖、ミルクを微粒の混合物にし、今日のミルク・チョコレートに近い食感の菓子を作り上げた。ネッスル(Nestle)は我々にはインスタント・コーヒーの代名詞であるが、チョコレート製品化に功績を残した薬剤師の名である。ネッスルは英語読みで、現地ではフランス語読みのネスレだそうだ。日本でも最近はネスレと呼ぶようになった。ベルギーでは型によるモールディング法が開発された。ウィスキー・ボンボンはそのおかげだ。
イギリスのココア、チョコレート・ビジネス発展のキーワードはクエーカー教徒だそうだ。クエーカーはヨーロッパのユダヤの英国版だ。英国に生まれたキリスト教一派だが非国教だ。当然のように英国社会から排斥され排除された。長く官僚、弁護士、医師への道は閉ざされ、滅多に公職にも就けなかった。彼らの団結力とネットワークは徹底した平和主義の下で鍛えられ強固になった。ビジネスに関わる人は徒弟に至るまでクエーカーで占められたほどだった。彼らにとっては事業も理性と良心に価値を置く教えの実践の場であった。英国の社会進展に貢献したリーダーを輩出している。奴隷制撤廃と解放はヨーロッパで英国が最も早かったが、その主導者はクエーカーであったし、大都会の貧困層の調査も行っている。川北稔:「イギリス近代史講義」、講談社現代新書、'10(本HP「イギリス近代史」)にも引用されていた。当時としては画期的に定量的な研究であった。
20世紀に入ると業界は今までの屋内工業的マニュファクチュアから近代大量生産型工業に脱皮する。5年で従業員数が倍増する。ロウントリー社ほかは競って従業員の福祉厚生に力を入れる。国家政策ではなく企業哲学である事がすばらしい。貧困調査で明らかになった高齢期対策にまず老齢年金を創設する。遺族(寡婦)年金、疾病給付金、失業給付金も準備された。定年は男子65才、女子55才。中身の比較はないが、大正10年までにもう現代の日本ほどの体制が出来上がっていた。労働者住居対策に田園都市構想を打ち出し実行する。日本の炭鉱労務者用社宅なんかとは質が違う。教育制度、親睦行事、クラブ活動などなどの奨励は、我が国の大家族主義経営に似ている。クエーカーの理想はあったろう。だが好調な先進的事業が支えなければ、こんな幸福な展開はなかっただろう。
私がときおり食うキットカット(KitKat)というチョコ菓子がある。今は商標ごとNestleに吸収されているが、元はロウントリー社のオリジナル商品だったという。ウエハースにクリームをはさみ外側をチョコで覆う。外見は板チョコだが、溝が1本ないし3本走っている。細く薄く長いウエハース片をチョコ屋が作るのだ。かなり苦労をしたものらしい。驚くほどの長寿商品である。マーケッティングからプロジェクトを立ち上げ10年ほどかけて商品化した。多分最初から勘定すると、90年ほどになっているのではないか。元は労働者の食い物だ。私は戦後だがドイツに工場実習に行った。労働者には昼食の時間はなく、パンとワインを合間を見て食う。ワインは即席に血糖値を上げる元気飲料だった。でもアルコール飲料はマイナス面を持っている。元々万能薬的存在だったチョコ製品は元気食品として急速に受け入れられた。冒頭の軍用食のチョコもその意味が強いのだろう。二次大戦中に英国でも食料統制が行われた。KitKatは登録品として生き残ったという。
KitKatの有名なキャッチフレーズにHave a Break, Have a KitKatというのがある。Breakのtea timeはイギリスの慣習で日本にもその他の国でも見られない。日本では「ここらで一服しませんか、キットカット!」と直輸入的にやったそうだが、あんまり頭に残らなかったのは仕方がない。Nestleに買収されたように、チョコがグローバルなインターナショナル製品になると、世界の有力食品会社が英国やベルギーの老舗を吸収合併していった。提携もあった。KitKatには不二家が提携した。現在、明治製菓はチョコ製造量としては日本トップだが、世界では第7位ぐらいだという。ここはずっと独自路線のようだ。

('11/11/26)