ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

乃木坂の国立新美術館に行き、そこのワシントン・ナショナル・ギャラリー展を見た。副題を「印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」としていた。最終日が迫っているので気になっていた。10時頃我が家を出、3時半に戻った。2時間ほども鑑賞に使ったようだった。出かけるとき近所の蝉がツクツクボーシ優勢に代わっていることに気付いた。
展示室途中の休憩室のビデオで、ナショナルギャラリーの紹介をしていた。資産家のコレクションおよび建設資金の国家への寄贈で始まった美術館である。すばらしいのはその所蔵美術品がすべて、その後のものを含めて、市民の寄贈品でいまや12万点に達している、しかも初代寄贈品の水準に劣らぬ作品しか受納していないという点である。創始者の意志を継いだ娘と息子が、それぞれ立派なコレクションを作って寄贈したことも特筆できることだという。個人の貢献を国立の機関が堂々と宣伝するのは、いかにもアメリカ的だ。印象派のコレクションは本場のフランスよりも着手が早かったという。常設展にはえり抜きのものが出されるが、このクラスは外への貸し出しは12点が限度になっている。今回出展は83点に及ぶ。美術館大修理のためで空前絶後だという。
第1室は印象派登場まで。最初がコローの「うなぎを獲る人々」。バルビゾン派の絵は千葉県立美術館でしばしばお目に掛かる。といってもフォンテーヌブローとかの暗い森の風景などで、あまり優れて惹きつける作品でははい。浅井忠との関連で展示される場合が多い。コローもこの一派だそうだ。森の中の小川の景色だが、人の生活があって楽しい。うなぎが身近な食材であることも興味を引くのだろう。まだらの木漏れ日が絵を引き締めている。クールベは石や岩が好きだ。「ルー川の洞窟」。マネの「オペラ座の仮面舞踏会」に出ている女は高級娼婦だそうだ。男は皆黒一色のシルクハットの礼装で仮装などしておらぬ。何とも異様な雰囲気である。これで今日でも鑑賞に堪える作品だから、マネはやっぱり一流だったのだ。水平の白いバルコニーが映える。同じ画家の「鉄道」は判じ物で、題を見て列車を探すがどこにも見あたらず、蒸気だけが見える。女の子の鉄柵越しの視線の先がどうも機関車らしい。
第2室は印象派。ドガの踊り子は著名で傑作が多い。昨年の年末に横浜美術館(本HPに同名題の記事あり)の「ドガ展」を見た。「エトワール」が来ていた。今回の「舞台裏の踊り子」は小さな作品である。舞台裏で出番を待つ踊り子に、楽屋に出入りできる権利を持つ男が話しかけているが、踊り子は舞台方向に集中しているという図柄だ。雰囲気が出ている。「障害競馬−落馬した騎手」は「ドガ展」にも来ていた。同じ題名の作品が多い人がある。例えばゴッホ:「自画像」は判っているだけでも36点にも及ぶという。今回も病上がりの「自画像」が来ている。でもこの騎手の絵はこれ1作だろう。何度も手直ししたようだが、も一つ旨くない。
モネと云えば睡蓮だ。笠間日動美術館の「没後70年記念 モネと水辺展」で纏めて鑑賞できたときの印象が強い。ルーブル美術館展(本HPに同名題の記事あり)でも見た。太鼓橋は自宅の庭にかけた橋だそうで、その下に睡蓮が咲いている図柄だ。「日傘の女性、モネ夫人と息子」は土手の下から仰ぎ見たような姿に描かれている。「揺りかご、カミーユと画家の息子ジャン」は息子が幼児の頃を描いている。展示のルノワールの作品に「モネ夫人とその息子」がある。マネにも同じ画題の絵があるそうだ。モネの家が印象派系のサロンになっていて、家族が彼らの絵心をかき立てる存在であったようだ。ルノワールの作品をモネは生涯手元に置いていたという。作品への愛着は画家への高い評価と家族への愛を物語る。いい話である。「ヴェトゥイユの画家の庭」にはヒマワリがいっぱいに咲いている。ゴッホより前に、ヒマワリをこんなに主役のように描いた画家がいたとは知らなかった。この絵のあたりから私は日向の緑が気になり出した。ちょっと緑が単純だし、本物の色とは違う。もう100何十年も昔の絵だし、退色があるのかも知れないし、当時はいまほどに絵の具の色も豊かでなかったのかも知れない。
第3室は紙の上の印象派。社会の多様化、変化のスピードアップ、大衆化など様々なニーズに対応して油彩画よりも「軽」く、「流布」しやすい形態が模索され出す。ロートレックの「アンバサドゥールの粋な人々」は高級カフェのポスターなんだそうだ。身だしなみを整えた紳士淑女が食事を楽しんでいる。黒を基調に輪郭の中を淡く彩色してある。近頃TVはやたらと旨いもの探しを紹介するが、料理店は一流でもマナーに劣る食事姿は見ちゃおれぬ。このポスターにあるほどの、品格ある食事風景を願うのは、もう無理なのだろうか。
第4室は「ポスト印象派以降」の絵を並べている。ちょっと日本語としておかしい。ポスト印象派とそれ以降と書くべきだ。ポスト印象派はこの部屋に入っているのだから。それに僕らは後期印象派と習った。英語とチャンポンで書くべきではない。セザンヌの出口に近い位置にあった2点:「水辺にて」、「川辺」は記憶に残った。不必要な背景など省略して、雰囲気を出す。墨絵風だ。その意味では、現代日本画は知らないが、名作を輩出した明治の日本画壇は超印象派風であった。同じ部屋のスーラの点描はたしかに異色だ。惜しむらくは2点とも風景画であったことで、もしも人物画であったならどういう感覚で受け止めただろうか。
国立新美術館は外観も内部構造もまことに瀟洒なガラス張りの建築物である。この建物には、昨年の春に「ルノワール展」(本HPに同名題の記事あり)を見るために来ている。休憩部が吹き抜けになっているのがいい。1Fがビュッフェ、2Fと3Fに円形のレストランがあって、周囲を見下ろしながら食事が出来る。となると3Fが本式で、そこには長い列が出来ていた。

('11/08/30)