ガリヴァー旅行記 小人国の巻

スウィフト:「ガリヴァー旅行記」、平井正穂訳、岩波文庫、'80(原本は1726)を読む。子ども向きの有名な小説にガリヴァー旅行記があることは、戦後何年も経てから知った。私はもう子どもではなかった。店頭の童話絵本に、小人国に流れ着いたガリヴァーが、目覚めたときに、手足と云わず髪の毛から胴体まで、細い綱と小さな杭でがんがらじめに縛られている絵が表紙にあった。この旅行記には、巨人国篇もあることはさらにのちに知った。この文庫本がたまたま増刷されて平積み状態になっているのに目がとまり、読んでみる気になった。
小人国の巻は、正式には「第1篇 リリパット国渡航記」である。結末から云うと、ガリヴァーは日本帰りの英国商船に運良く拾われて、1702年に祖国の土を踏む。小人国滞在期間はわずか9ヶ月あまりで、浦島太郎などとはまるっきり違う、「小人」国である点を除いては、現実的な話である。日本帰りとあるが、黄金の國が実は鎖国の真っ直中だったとはスイフトは知らなかったのだろう。小人国は添付地図ではSUMATRA近海にあることになっている。その頃はヨーロッパではすでに、地図は北を上に描く習慣が出来ていたと思うので、スマトラ島南方のインド洋上に浮かぶ島となっている。島は2つ、それぞれに皇帝が治める国があり、相対峙している。ガリヴァーは船医として乗り込んだ船が難破したため、その1つのリリパット国に流れ着く。彼以外の生存者はいない。小人たちを含め一切がガリバーの住む世界の1/12に出来ていた。つまりその國ではなにもかもが英国では1 ftなら1 inchなのだ。大人は6 inch弱とあるから、18世紀初期でも英国人は170cm台の背高であったことになる。
英国商船に拾われたとき彼は、修理した漂流ボートで故国を目指していた。ボートの出発地はリリパット国の敵対国のブレフスキュ国であった。彼はリリパット国において大功をたてるが、宮廷有力者からの糾弾に会い、難を敵対国に避けていた。糾弾は、彼がリリパット国占領のために集結中であった敵大艦隊を根こそぎ捕獲し持ち帰った戦勝に乗じて、皇帝が積年の敵国を属領化すべく進軍を命じようとしたときに、彼が和平と共存を説いたことに端を発した。皇帝の寵が落ちたのを見計らって、陸海軍大臣が、大蔵卿が人間山ガリヴァーの処分を進言する。なにしろ12X12X12=1728人分の飯を食う大食らいを、いつまでも置いておくと、国庫が持たないというのが大蔵卿の言い分だ。決定的理由は彼の粗相だ。
ある夜中に宮廷の皇后の建物に火災が起こった。引き出された彼はオシッコで一瞬に消してしまう。ピクニックで飯盒を炊いたあと、火を消すのに小便を使った覚えのある人も多かろう。だが、立ちションは宮廷の御法度である。皇后は宮廷を汚されたと怒る。大小便の話は他にも出てくる。物心ついてからの旅行では、便所の存在がかなり大きなウェイトを占めるようになった。高専で引率旅行をしたときにも、女子生徒から心配の声が上がり、往生した記憶がある。団体旅行では添乗員がよく心得ていて、心配させない。それでも中国に行ったときなどはときおり我慢させられた。著者は不作法には人一倍気遣うヒトであったのかも知れない。縛られているときの、監禁生活であるときの、このどうしようもない生理的欲求の処理方法を細かに書いている。国体や国民の描写は子どもには理解は無理だろうが、生理的欲求の話は分かるから、子ども向きの物語として長い生命を得た1つの理由になったのであろう。
リリパット王国は立憲君主制を敷いている。明らかに英国を理想化したものだ。作者は国教の高位聖職者として英国宮廷とはつかず離れずの立場にいたからだろう、物語登場人物はわかるヒトにはわかるといった類の、風刺批判に満ちた文章である。ガリヴァーに対する表向きの礼賛驚愕讃辞などとうらはらの宮廷人の陰謀術策などは、貴族社会の悪習として著者には身についていたものらしい。我々は明治まで絶対君主制とか封建制しか経験しなかった。だからか、この王国における君主の政治ぶり私生活ぶりは、18世紀初頭の物語であることを忘れさせるほどに近代的に映る。首都は人口50万。江戸100万、京都大阪30-40万。ロンドンはせいぜい大阪並みだったと記憶している。真四角に城壁が囲む。縦横に大通りがあり交差する位置にさらに高い城壁を持つ宮殿がある。文字だけから考えるとまるで中国の都市のようにも覚えるし、宮殿が中央にある四角な京域と言えば、日本でなら藤原京である。宮城は一般住居とは幅広い道と広場で隔てられている。最近よく放映される旅行番組で見るヨーロッパ中世都市を理想化したような構造だ。
ガリヴァーが次第に両国にとって重荷になってゆくさまはよく描かれている。黒沢の「椿三十郎」の最後に、去りゆく三十郎にたいする城代家老の「さやに収まりきらぬヒトは藩におられては困る」という言葉を思い出した。12倍の上背は小人国国民にとっては無双の腕力を意味するし、その國にないピストルという飛び道具まで持っている。用心に用心を重ねて小人国はガリヴァーと平穏な関係を作ったが、一つ踏み外せば、国家を吹き飛ばしかねない剣呑な存在である。新大陸におけるインカ帝国の滅亡が、一握りのスペイン兵によるものであったことなどまだ記憶に新しい事件であったはずだ。
帰国してから2ヶ月も経たないのに彼は次の旅行に気持ちがざわめく。妻子への手当が載っている。家と財産1500ポンド。年収が60ポンド。これで路頭に迷って教区の扶助を受けねばならぬ心配はなくなったとある。当時の「教区の扶助」は川北稔:「イギリス近代史講義」、講談社現代新書、'10(本HPの「イギリス近代史」)に出ている。残念ながらその頃の1ポンドの価値が判らないので、想像できないが、かつかつ中産階級的生活がこの程度で出来るのであろう。きわめて大雑把に1ポンド=1両=10万円とすれば、600万円の年収で、まあいまの平均的都民と云ったところだろう。これに1.5億円の財産が付く。滞在記に妻子を思う言葉は出てこないが、父の勤め、夫の勤めはきっちり果たそうとしたことになる。作者の人格を匂わせる。

('11/08/19)