釣りの科学

川村軍蔵:「魚の行動習性を利用する釣り入門〜科学が明かした「水面下の生態」のすべて〜」、講談社Blue Backs、'11を読む。私は実は魚釣りはやらない。小学生の頃に川辺で雑魚を1-2匹釣ったのが唯一の経験である。魚の泳ぐ姿を見るのは好きで、今年の春のクルーズでは、世界最大級と称する大阪の海遊館を堪能した(本HP:「春のクルーズU」)。TV番組にも魚の生態がいろんな角度から映し出されるようになった。タイが意外な敏捷さを示すこともTVで知った。本書のカバーは、そのタイが釣り針に掛かり水面から躍り出た瞬間の写真である。断片的な知識が行動学的に系統化されるといいと思って、本書を買った。
時代劇にときおり釣り人の姿が映る(例えば藤沢周平原作のNHKドラマ「清左衛門残日録」)。彼らの大半は、漁民でなければ、釣果をその日の「おかず」にするのが目的だ。「生きるため以外の目的に殺生はしない」というお釈迦様の教えが守られていた。私も「ホビーあるいはスポーツとして魚釣りを楽しむ」気分にはなれなかった。釣った魚を海に帰して、慈愛に満ちた文化を誇示する欧米の釣り人を紹介する映像があった。何とも偽善的だった。リリースした魚は死にやすいことが本書の最後の方に出てくる。利用されない投棄魚が漁獲量の1/3に近いという統計が出たことがあるそうだ。その彼らが捕鯨には狂気のように反対する。日本の捕鯨文化はクジラのあらゆる部分を利用し尽くす。釈迦の教えに反していない。かって太平洋のクジラを絶滅に近い状態に追いやった欧米の捕鯨は、採油したあとは捨てた文化であった。捕鯨反対のニュースを聞くたびに、欧米文化の独善性を感じる。本書の著者は遊びとしての釣りに罪悪感のないヒトのようだ。
魚の視覚判別能は意外と鋭い。深海魚などに例外があるが色感がある。しかも錐体が4種あってヒトは感じない紫外線に感じる。メスだけが紫外線反射能を持つ皮膚模様を持ち、オスを誘引する種類があるという。目には焦点調節能がある。ヒトとは違って球形の魚眼レンズを前後に移動させる方法だったと思う(本HP:「感覚器の進化」)。視細胞密度を調べると、カツオ、カジキ、マグロといった大型表層魚はヒトに近い視力0.5前後を持つ。沿海魚は0.15ぐらいでタイもそれぐらいだ。私の裸眼は0.1を切っているから、私よりはっきり見えているはずだ。図形認識能もなかなかで、学生が区別できないランダム模様を区別するという。図形視認速度はヒトの30倍。ヒトがそれだけ早かったら例えば野球の打率は、5割6割はザラだろう。偏光カットの能力を備えている。波面からの反射光には偏光が掛かって見づらいので、魚にとっては大切な能力である。さてこんな魚を疑似餌(ルアー)とテグス(釣り糸)でいかに騙くらかすか。
6/28の夕刊に大震災以来初めてのカツオ漁船の気仙沼漁港入港が伝えられた。カツオの1本釣りには生きたカタクチイワシを撒き餌に使う。カタクチイワシはカツオをおびき寄せ、食欲をそそり、実際に餌となって喰われる。撒かれた餌の廻りでカツオが狂乱状態になったとき、漁師はルアー釣りをやる。撒き餌の最低条件は集魚能だ。水中では光線の減衰は激しいから、遠くは見えない。ましてや深い水中では見えない。地上にも嗅覚の鋭い動物はいるが、魚はなべて嗅覚器が遠方の餌を探る化学センサーだ。ヒトと異なり呼吸器とは独立の機関になっている。もう1つの化学センサー:味覚器も同時に検知するが、脳内の信号の処理場は異なる。副次的な信号として紫外線が役立つ場合を書いている。キビナゴはカタクチイワシよりカツオにとってご馳走に感じるらしいが、それはキビナゴは反射する紫外線模様によると云う。
生き餌はなかなか科学に乗らぬものらしい。捕食者は生き餌の何に反応するのか。ノーベル賞対象研究が実はウソだったという話は面白い。「出てこい出てこい池の鯉」と歌いながらポンポンと手を打つと鯉が寄ってくる。これは紛れもない事実だ。コイの類は耳の構造がヒトに似ていて水中でよく聞こえるらしい(本HP:「感覚器の進化」)。警戒能力も一段と優れているとそのノーベル賞受賞者は発表した。食われたり生き餌にすべく針を突き刺されたりすると、皮膚から種族保存のための警戒フェロモンを出すというのだ。追試不能であったために今では否定されているそうだ。和食であれ洋食であれ、高級料理では味のほかに香りや視覚的な美しさが要求される。お魚も贅沢で味さえよければ何でもよいというわけではない。魚の味蕾は体表面にも分布していて、その口外味蕾数がヒトの全味蕾数の100倍という魚もいるという。口の外と内の2段階に分けて魚は餌の有毒性検査をやっている。
カエルアンコウはTVで紹介されたことがある。生きたルアーを頭に持っていて小魚を釣って暮らす。そのルアーが絶妙で形も模様も小魚そっくりだ。ご本人はじっと海底に静止していて、このルアーを自在に操り小魚をおびき寄せる。ルアーもなかなか科学に乗らない。アンコウは体の一部だから動かし方はそっくりに出来るが、釣り人は糸で結ばれているだけだから、いかに巧妙に引いてもお魚並にはならない。だが形にせよ模様にせよ振動発信にせよその動きにせよ、人の脳と同じくお魚の脳は、特徴的な肝心のポイントだけを拾い集め、あとは捨てて掛かる。コンピュータと違うのだ。だから騙くらされるのだ。
私が釣り人を観察できる機会は、クルーズ船が港に着いたときぐらいだ。釣りはきまって防波堤の端目でやっている。渦や波ではぎ取られる付着生物が餌になるからと云う。人工魚礁の知識は生半可なものだ。アジアではずいぶんと伝統の長い漁法らしい。潮の裏に魚群が潜んでいるという。海底にあるから遊漁人で知っているものは半分に達しないという。アユは故郷の名物だったが、ダムが出来てからは姿を消したようだ。友釣りも鵜も日本独自の方法だそうだ。友釣りはオスの縄張り意識を利用する。釣り針を囮アユの肛門あたりに下げておく。怒ったオスは侵入者の肛門を攻撃するからだ。鵜の松明は、アユをおびき寄せるのではなく、脅かして四散させる働きを持つ。逃げんとするところを、アユより目のいい鵜が捕まえるという寸法らしい。
魚群探知機の概説がある。映画「眼下の敵」では、ソナーの打ち出すパルス音の、潜水艦からの反響を艦橋で聞くシーンがある。二次大戦の頃は、電磁コイル式のスピ−カからあまり指向性のない可聴音域の周波数を含む音を出し、複数のマイクロフォンで反響音をとらえて、位置を探ったのであろう。現代の魚探の発信器は水晶の圧電現象を利用する。周波数は数10kHzと200kHzの2段が多い。同じ振動子で受信も行う。見かけは単なる円筒で、こんな簡単な道具でと、二次大戦を知るものにとっては時代の進歩に驚かされる。ビーム角は50kHzで約50度、200kHzだと15度という。中型以上の漁船には、スキャンが出来るソナータイプの魚探が搭載される場合もあるようだ。
魚は変温動物だ。生命活動とは化学反応のかたまり。化学反応は普通10℃下がると反応速度は半分になる。活動温度域より下では感覚も鈍れば食欲もなくなる。その傾向を裏打ちする釣り経験はある。だが、追われていない条件のメカジキの実測では、水深808mで魚の体温は25℃も水温(4.8℃)より高かった。目の近くにブレインヒーターと称する生体ヒーターがあって、低温時の脳と目を守っているという報告があるそうだ。どこまでこの話が一般化できるのかは書いてない。だが、お魚によっては部屋にエアコンディショナーはないが、こたつがあるといった「進歩型」もあるようだ。海水湖水でもう一つ重要なのは溶存酸素量DOだ。湖底に亜炭が出来やすいのは、DOがゼロに近くて腐敗が進まないからだ。豊富と云えぬ酸素の活用に鰓は人の肺の3〜4倍も効率がいい器官だ。魚もヒトと同じく最大の酸素消費器官は脳だそうだ。魚の行動を規制する最大の因子はDOによる脳のダメージかも知れない。
ヒトは高校を出る頃にはもう体の成長が止まっている。海棲動物は、生涯成長を続けられるそうだ。巨大魚を釣ったニュースや、河や湖の「主」の昔話や小説(例えば池波正太郎:「鬼平犯科帳」の『大川の隠居』 )などがいくらもある。水中では体重を支える必要がないから、大きいほど生存競争に有利ならいくらでも巨大になれるのだろう。
稚魚放流の効果を数字で示してある。東京湾のヒラメは漁獲の半分に達する。外洋性の魚はそれほどではないにせよ、日本の漁業は魚類増殖事業に支えられている面がけっこう大きいらしい。狩猟業から牧畜業に変わりつつある。外国の例は示されていないが、我が国ほどに海で、湖で、さらには河川でと大規模に魚の牧畜業を行っている国はないのではないか。海洋資源保護育成意識の低い国ほど「そのまんま」の海が恋しいから、捕鯨反対など唱えるのであろう。

('11/07/02)