火災の科学
- 辻本誠:「火災の科学〜火事のしくみと防ぎ方〜」、中央新書ラクレ、'11を読む。私は狭いマンションに住んでいる。過去に火災事故を経験した古いマンションだ。偶々今月、火災報知器の交換が行われた。家の煙検知器は1基だけだが、温度検知器がなんと9m^2に1個の割で設置してある。管理事務所と繋がり、戸内外のインターホーンが自動音声で火災を告げる。他所はどれほどの装備をしているのだろう。関東大震災と東京大空襲で、それぞれ何10万人かが焼け死んだ。前者は父の代の記憶、後者は私の代の記憶だ。火事は江戸の華の時代はとうに過ぎた。耐火建造物が増えたが、工業地帯には可燃物タンクが林立し、先の東日本大震災でも市原の石油火災は延々と続き、ときおり吹き上がる火炎が市民を不安に陥れた。でも、原発と同じで、生活維持のためにはリスクと同居せざるをえない。因果な世の中に生まれ育ったと嘆いても詮無いことだ。少しでもリスクを下げる工夫を勉強せねばならない。
- 危ないのは80を超したお年寄りである。ことに男性高齢者が危ない。嘘か真か知らないが、この年層の男子は家族に対する責任感が強く、精一杯家族の生命財産のために働くそうだ。加齢により壮年時代の行動力はとうに衰えているのに、まだやれると信じて行動し死に至る。ぎりぎりの線を越してしまうのである。彼らの死亡率は確実改善されている。しかし老齢者人口の増加の方が早いから、全体としての日本の火災死亡者数は、人口減少にかかわらず将来増加するという。「火事にあったらまず逃げよ」と本書は高齢者に云う。
- 9.11の世界貿易センター(WTC)テロ事件は強烈な印象を与えた。超高層ビルが航空機の衝突のあと間もなしに崩れ落ちた。地震の心配のないNYでは、耐風圧設計が強度計算の中心題目だ。日本なら鉄骨をジャングルジム構造に張り巡らすが、同じ鉄骨構造でもWTCのは丸チューブ型だったという。土建屋ではないのでちょっとその相違とビル崩壊の関係は判らないが、わざわざ書き上げているところを見ると、横衝撃強度に差があるのだろう。ここら辺はしっかり書いて欲しかった。鉄骨の耐火被覆がはがれ落ち、火災で鉄骨の座屈が起こったという。鉄鋼は500℃になると強度が2/3になる。木造に比べれば鉄筋コンクリート(RC)の住宅は安全である。このマンションに引っ越してきた高齢のご夫婦が挨拶に見えた。引っ越してきても近所とは没交渉で顔すら知らないというケースも増えた中で、昔気質の律儀さにまずは好感を持った。だが日本式開放型家屋に慣れ親しんだヒトの、RCの密閉型構造家屋特有の危険性への順応が高齢者にはなかなか難しい現実を思うと、幾分心配でもあった。
- 消防士は教育で赤のボンベを見たら逃げよと教わるそうだ。赤のボンベには水素が詰まっている。空気中の水素は燃焼範囲が広く下限は4%である。18%以上でデトネーションを起こす。菅首相の命令で突っ込んだ福島原発1号機の決死隊は放射線の危険は承知していたが、水素が構内に充満しているとは知らなかったらしい。放射線は危険限度内行動が可能だが、水素爆発は瞬間でまさに交通事故的戦死になる。彼らは結果として蛮勇をふるってくれた。私は彼ら決死隊に恩給つきの勲章を授けるべきだと思う。彼らが尻込みしたら、放射線汚染は日本の半分を覆っていただろう。四谷三丁目の消防博物館に出かけたことがある(本HP「おススメ博物館」)。江戸時代から今日までの消防の歴史的変遷を展示するユニークは博物館だった。本書は又別の切り口で歴史のレビューを試みている。
- 著者の所属する東京理科大学は、火災の総合的研究を行っている大学として世界的にも珍しい存在だそうだ。欧米でも各2大学程度だそうだ。私は都市火災のモデル実験に興味がある。例えば暴風雨とか津波とかの水力学的検討には、模型による風洞実験が行われる。無次元化数の相似則を用いればよい。だがこれとて構造物に対しては破壊のない状態に対しての検討だ。火災は化学反応が破壊を起こし、高温と相まって周辺の流動を絶えず変化させる。非定常の非定常といった事態に対して、どんな実験でモデル化を行うのか。日本の本格的研究は、関東大震災を受けて、東大御殿下グラウンドで実物木造家屋を丸ごと燃やす実験から始まった。押さえねばならぬ要素が多すぎるから、やっぱり実物を燃やすしか知恵はなかったのだろう。写真では家2軒が燃えている。でもこれでは町中とは条件が違う。
- 東理大火災科学研究センターは実験実証を行う施設で、そこで実際の行った諸研究が紹介されている。昔火災の化学を勉強したことがある。見た目にはいとも単純な現象なのに、その気−液−固反応は複雑な物質移動、分解、連鎖ラジカル反応の集合であって、言い過ぎかも知れないが、地球シミュレータクラスの超弩級スパコンを持ってきても、たぶんローソクの炎を正確に解析するだけで、かなりの苦労があると思っている。ローソクを引き合いに出したのは、もちろんファラデー:「ローソクの科学」、1886が頭から離れないからだ。ファラデーは和蝋燭を絶賛した。理由はたぶん芯側にある2次空気を送る孔である。あれがシミュレーションできる頃には、火災は幾分かは楽な研究対象になっているかも知れない。
- ローソクに相当するのが実物大建築要素だろう。すでに出てきたように構造鉄骨が高温でぐにゃりとバックリングbucklingを起こす。それが遅ければ遅いほどいいのだから、鋼材には耐熱性耐火物が巻いてあったり吹き付けてあったりする。地震か何かで耐火物が損傷を受けたらどうなる。改良の方法を探る実験が紹介してある。耐熱耐火と来ると私は宇宙ステーションと地上を往復するシャトルの表面タイルを思い出す。最初の頃は何枚もはがれて新聞種になった。ここの装置ではシャトルのタイルの実験はやれそうもないが、何を継ぎ足したら実験になるという想像は出来る。木造家屋の火災現場写真を見ると、木組みの柱や梁は残っている場合が多い。材木の中までは焼けずに火炎が吹き抜ける。だったら木材と鋼鉄の複合材料にしたら、木の暖かみのある地震に強い建物にならないか。いわばそんな目的の要素実験も紹介されている。家から家へはおろか部屋から部屋への類焼ぐらいでも、もう完全実物大実験は無理らしい。
- フラッシュオーバーとは爆発的火災を意味するらしい。単品では例えば難燃性の物体ではチョロチョロとしか火が回らないが、熱がこもった状態ではバアッと難燃性などお構いなしに派手に火の手が上がる。密閉式の窓、保温性の高い熱伝導率の悪い壁を持った省エネ型マンションルームの火事でときおり見かける。実物大の実験がある。ヒトの胴から上の部分だと2分半、それより低いと3分半ぐらいの2回フラッシュオーバーが襲ってくるらしい。隙間だらけの木造家屋は火事の危険度は高いが、フラッシュオーバーでこんがり焼け死ぬ確率は低いと云うことだから、伝統建築も捨てたものではない。江戸は再々大火事を出した。類焼でやられている。でも最近は消防技術の格段の進歩で、たいていの火事は火元1軒で終わっている。原発騒動で自然エネルギーへの回帰が叫ばれ出した。暖かく涼しく、太陽光採光に工夫を凝らした日本家屋の良さが見直されるだろう。フラッシュオーバーに対する安全性も評価され直すかも知れない。
- 「65歳以上の男性は消火器を使うのを控えた方がいい。65歳以上の男性の火災による死因の1位は、「消火活動で逃げる時機を逸した」である。」とある。私は高齢化が進むマンションの住民だ。自治会活動の一環として消防訓練がある。休日なのに参加者はほとんどが高齢者だ。歴史ある自治会活動だが、今後は「火を見たら早めに逃げる。」と教えた方がいいわけだ。火災だけを取り上げても、超高層ビル、地下街、どんどん深くなる地下鉄駅など、都会には危険がいっぱいだ。そんなリスクを背負いつつ、都会民が日本経済活動の大半を担う。原発事故で、あるいは米軍基地問題で、地方民が都会民の犠牲になっているような発言があるが、それぞれの立場でリスク負担に応じながら、日本を支えていることを理解してもらいたいものだ。
- 80歳代の火災死亡率は60歳代の3倍という。火災死亡者の半分以上は65歳以上、その半分は独居高齢者だ。阪神大震災では家屋崩壊による死者が9割を占めた。だいたいが木造家屋居住者で、その中でも古い借家での死者が多い。耐用年数が過ぎた、つまり法定の償却期間が終わった家の家主が、家賃を取りながら耐震工事をやらない。歌舞伎町雑居ビルの火災で多数の焼け死者を出したときも、家主の安全意識の低さが問題になった。日本経済のマイナス成長が確実視される時代になり、お上に頼れなくなるこれからは、どんな防災が出来るか。この手の話になると、学者はすぐ他国の美しい例を持ち出す。「隣の花は美しい」。フィンランドとドイツが出てくる。地域消防団のボランティア魂の話である。地方に自治消防団があって、ボランティア精神を発揮する姿は今度の大震災で種々報道された。([追記] 6/19の読売は、津波最前線の危険任務に出動し死亡・行方不明になった消防団員が249名で、消防士・警察官の57名をはるかに超すことを報じた。本書に改訂版が出るときがあれば、我が国消防団の活躍も讃えてもらいたいものだ。)都市でも持ち家家族の自衛意識は高いが、独居者や賃貸し住宅の住民はそれを白い目で見ていることを現実の自治会活動で感じる。全くの自由活動としてのボランティア精神には限界がある。
('11/06/18)