春のクルーズX
- 春うらら・列島周遊クルーズで那覇に降り立った。着岸岸壁は新設の大型旅客船バースに代わっていた。玉陵(たまうどぅん)と県立博物館・美術館を見学することに決めていた。今までには前者は門前を通っただけだが、後者はその前身の首里城脇の旧館を12年前に見学している。さすがに沖縄まで来ると春らしい気候になる。
- 午前に玉陵を見学した。広大な石造の墓所で、琉球王家の貴人が眠る。3室あり、遺体はまず中室に置かれて放置され腐敗白骨化の後に、東か西の部屋に移される。東の方が王、王妃かそれにより近かったものの安置場らしかった。資料室に葬儀模様を見せる写真が出ていた。シオンらしきキク科の雑草が地面を覆っていた。ゆいレールの首里駅から玉陵までは首里城公園を通った。守礼の門をくぐりぬける道である。何度か見ているが、修復が進むにつれて見事さが増す。本土の城壁とは違う美しさがある。戻り道に守礼の門から市内に出るコースをたどった。円覚寺跡と云う遺跡がある。往路に逢った何とか云う禅宗の寺は立派に戦火から再建されていたが、円覚寺はついに再建されなかった。王朝保護の寺で、王朝が滅び米軍の砲火を浴びたのでは、再建の目途が立たなかったのであろう。急いで首里駅に引き返したが10秒の差で、シャトルバスに間に合う電車を取り逃がした。我々は午後に予定していた博物館に直行することとした。
- 県庁付近には昔からの国際大通りや駅前のビル群などがあって、那覇市第1の繁華街であろう。しかし県立博物館前の通りは、新しい中心地になろうとしている。駅前に高級が売り物の店を収容するビル街があるし、歩けば近代的なマーケットビルもある。昼食時間に入っていた為であろうが、ビル内の大衆飲食店に列が出来ていた。
- 博物館は首里城を模して作られたような外観であった。エントランスのプロムナードに昔の民家と高倉が展示してある。通り過ぎただけだったが、奄美大島の屋外展示家屋に似た造りのように思えた。まずは腹ごしらえ。博物館3Fにレストランが見える。茶花とあった。客数は少なかった。専用のエレベータで登ると天井の高い、壁の白が目立つゆったりとした、内装も素敵なレストランであった。メニューの数は少なかったが一風変わっていた。私はタイ風のカレーライス(美術館セット)にしたが、日本のカレー味ではない独特のハーブの利いた味覚は楽しめるものであった。ライスはタイ米らしかった。タイ米は泡盛の原料であったから、私は、おそらく王朝時代の米の主流であったと思っている。
- 博物館も美術館も老人は無料であった。企画展はなかった。美術館は現在地元作家の展示室のようで、時間もなかったからあまり印象がない。博物館のガイダンスブックを買った。メインテーマが「海と島に生きる−豊かさ、美しさ、平和を求めて−」だとあった。沖縄は湿潤亜熱帯性気候で海洋性と島嶼性を持ち合わせているともある。旧館見学記が本HPの「那覇市」にある。私は、今もそうだが、当時から沖縄の埋葬法には大変興味があった。午前の玉陵見学はその仕上げになった。それには記載しなかったが、そのときには沖縄移民の紹介が企画展として行われていた。常設展にはそのエッセンスが織り込まれていた。
- 小さな島嶼に世界に類のない文化の花が開いた土地である。なんと言っても独立国であったことが大きな理由だ。第二尚氏の琉球王朝の前半あたりが、もっとも輝いた時代である。玉陵もこの時代のものだ。日本、朝鮮、中国、台湾、東南アジアまで交易船を繰り出していた。明朝が対外貿易を朝貢国に制限する解禁政策をとったことが、貿易立国に幸いした。対明朝貢回数が載っている。なんと琉球はダントツで、第2位のベトナムの倍になっている。琉球王朝が薩摩の軍勢3000人に屈して属領化されてからは、落ち目になった。本土の人間は使節行列の形で琉球を身近に感じるようになった。
- 中国に朝貢し、薩摩を通して江戸幕府の支配を受ける体制になって、琉球は自己の文化に磨きをかけて、存在をアピールせねばならぬ事となった。我々が沖縄と感じる地方文化は、大半がその頃に完成されたものなのであろう。でも展示品は意外に少ない。太平洋戦争で、沖縄全土が徹底的に破壊され、文物は完璧に灰燼に帰したためである。本土も空襲で主要都市は焼け野原になったが、京都奈良が助かり、田舎も焼失を免れた。でも沖縄は全土が地上戦の舞台だった。この博物館の始まりが米軍占領直後の軍政府の「沖縄博物館」であるとは皮肉な話であり、またアメリカの異文化に対する関心の深さ、余裕であると感じる。
- 沖縄のアメリカとの付き合いは、ペルー提督の一方的外交から始まっている。そのときアメリカ側に残った記録に、沖縄人民(百姓)の世界に例のないほどに厳しい搾取状態が記されているという。王朝末期である。小国の悲哀は、欧米列強が加わってますます加速されることとなる。文字を知らなかった民衆が、記録に用いたワラザンと称する藁紐は、やはり文字の無かったインカ帝国の記録法とよく似ている。
- 無形文化財は伝承され続けた。'06のクルーズでは瑞泉酒造を見学した(本HPの「那覇と泡盛」)。泡盛は王家の専売品で首里城一角でしか醸造できなかった品だ。沖縄王朝舞踊はNHK大河ドラマ「琉球の風」で見た。'09のクルーズでは宮古島で沖縄県立八重山商工高等学校郷土芸能部による沖縄舞踊を見た(本HPの「宮古島'09」)。その一部が宮廷舞踊と紹介されていた。でもプロによる本場沖縄舞踊は国立劇場「おきなわ」で催される。ここは少々場所的に不便な位置で、しかも必ず公演が日中にあるとは限らない。あっても丸一日を予定せねばならない。今回もパスだった。戻り道で、県庁駅前ビル「パレットくもじ」1Fの土産店に立ち寄り、琉球王家御用菓子「ちんすこう」を求めた。今も伝統の手作りだそうだ。
- 出航の時、子どものエイサー隊が、勇壮ながらかわいい踊りで見送ってくれた。まだ幼稚園児とも思える前列はことにかわいかった。エイサーの起源を聞いたことはないが、はて如何なるものであろうか。
('11/04/04)