春のクルーズW
- 春うらら・列島周遊クルーズで種子島にやってきた。確か一昨年のクルーズで予定にありながら強風で着岸できなかった島だ。嘘のように今回は波が静かであった。屋久島とは対称的に平坦だ。屋久島の高山宮之浦岳から吹き下ろす寒風の影響が出る地方があるという。午前に自由行動で西之表市、午後にロケット発射場を見学するバスツアーと決めていた。
- 船は岸壁の外に着いた。天気も曇り空程度で出かけるのには絶好の日和であった。広い岸壁に、前の日に聞いていたように、島の代表的な10店ほどが出店していた。種子島島主の歴代の墓所を見る。栖林神社横に20数mの弓道場があり、その横に並んでいる。神社の裏が日蓮宗の本源寺で島主の菩提寺である。墓所に隣り合って住職の墓が並んでいる。墓の形は鎌倉などでよく見かけるお饅頭型(吉川家の墓もこれだった)もあれば、墓石を覆う石室があってかなり大きいもの、我々に身近な長方形の石柱など3種類に大別出来そうであった。種子島家は今は東京に住んでいると思うが、最近の物故者を祀る種子島家代々の墓が作られているので、まだこの島との縁が失われたわけではなさそうであった。島主と正室の墓がほとんど同じ大きさで並んでいるものもあった。しかしたいていは島主だけの墓だ。
- 小学校は古城の敷地だ。城の遺構は残っていない、ただ石垣の一部が多分昔のままであるらしいとわかる。赤尾木城とはアコウの木が城内に生い茂っていたことから来ているという。いまでは大木が1本だけ、運動場の端に残っている。落葉樹のようだ。この木は、この正月のこんぴらクルーズの寄港地・小松島市弁天山砲台跡に自生していた。北限地と書いてあった。校庭に若木が何本か塀に沿って育てられていた。桜が咲いていた。ヤマザクラと八重桜らしい。後者は大島桜のように色白で、若葉が若緑である。桜はこちらに来て初めて見る。ただし船内で桜祭りと称してロビーに大きな鉢植えの木をおいている。ところどこるでカジュマルを見る。気根で有名な南国の木である。
- 鉄砲館は博物館で、ポルトガル伝来の鉄砲からの日本における展開や、外国における発展を系統的に並べてある。後は藩政時代の庶民の生活を物語るジオラマや種子島の動植物鉱物など、又考古学的資料もあった。五葉松だったかで造った丸木舟は昭和の中頃まで使用されていた。ここの五葉松(ヤクタネゴヨウ)は絶滅危惧品種になっている。館入場は有料だが、説明員を何人かおいていた。渡良瀬ライン以北なので、本州と動植物相はそう大きくは変わらないと聞いた。少年の頃垂涎の的であったイシガケチョウが今も採取できると聞いた。月窓亭は建て代わってはいるが、家老屋敷跡という。島の慣習を保存しようとするNPOが昔の風習を実演して見せてくれる。雛祭りのころの御膳持参のお祝い行事は面白かった。御膳には大根に花が植えられ、その周囲に紅白餅が合計20個ほど乗せられていた。庭にオニタビラコ、スミレを見る。
- 午後バスで宇宙センターに向かう。種子島は結構広くて西之表港からセンターまでは1時間半ほどの道のりであった。途中にサトウキビ?畑やマングロ−ブの林を見る。サトウキビなど当たり前なのかガイドさんは説明もしなかった。種子島のマングローブは背が低い。マングローブは北限だそうだ。メルヒギという種類だ。アメリカの宇宙センターはほぼ種子島ほどの面積、EUのそれはその倍だという。到着点は山あり谷ありの凹凸の激しい地帯で、日本のセンターの立地条件の厳しさを知る。その中でのH-UB開発だ。本土で製作されたロケット本体は我々が来たバス道を通って、延々たぶん西之表港から超大型トレラーで運ばれてくる。運搬一つ取り上げても総合技術の高さが支えていることが分かる。本体重量(乗組員などを含まないが燃料は含む重量)が500トンをオーバーする。メインエンジンの燃料である液体水素、液体酸素タンクの断熱構造はウレタンフォームのようなもので、外壁金属はアルミという。内側からリブを付けて機械強度を上げている。ガス混合機の下にバーナー・ノズルが口を開いている。構造は簡単だがコントロールが問題だ。4基の補助用ブースターは固形燃料を使う。打ち上げコントロール室は意外に小さかった。打ち上げ後の制御は関東の宇宙科学研究所で行うらしい。最後に宇宙科学技術館を見学した。ミュージアムショップで売っている宇宙食は人気があるらしい。近頃は固形食になって、だいぶ宇宙も住みやすくなったらしい。
('11/04/03)