万有引力則の破れ

村田次郎:「「余剰次元」と逆二乗則の破れ〜我々の世界は本当に三次元か〜」、講談社BLUE BACKS、'11を読む。物理学上の逆二乗則は万有引力の法則だけではなく、クーロンの法則だってそうだが、本書は重力場による時空の歪みに焦点が合わしてあるから、題名は「万有引力則の破れ」とした。私は現役の頃、実高分子が高次元空間に置かれると、もし十分分子量が大きければ、理想高分子になることを学んだ。極端な世界では日常の物差しでは測れない現象がある。万有引力則だって、どこまででも適用できる法則ではないかも知れない。「余剰次元」とは初めて聞く言葉だ。我らが住む三次元からどれだけ次元が高いかを云う。何か「おどろおどろ」した理科好き人間の興味を誘う言葉である。
惑星の天体観測からケプラーの法則が導かれ、万有引力の法則はそれを説明する重力場理論になった。キャベンディシュは、ねじれ秤の実験で、地上スケールの物体にも万有引力の法則が成り立つとして万有引力定数を求めた。18世紀末の驚嘆すべき精度を上げた実験が紹介されている。現在では、惑星から実験室スケールまでの距離に対し、万有引力の法則が成り立つことが証明されている。長距離での逆二乗則の証明は、月に反射器が設置されて地球との距離がきわめて精密に測定されるようになり、飛躍的に精度が上がり、もはや疑問の余地がないほどになった。だが著者はもっと近距離となると逆二乗則が破れることが、余剰次元の世界から予言されているという。
クーロンの法則は実験室で発見された。アルファ線の散乱実験に適用されて、原子核の存在が確証される。加速器の発明で、粒子線のエネルギーがどんどん大きくなった。それにつれて散乱実験の分解能が上がり、ピントがシャープになってラザフォード散乱からのずれが検討され、原子核が陽子と中性子より成ることが分かる。私の学校物理はここまでだった。さらに加速器が大型化すると、今度は核子(陽子と中性子)がクオーク3個から成る構造まで分かる。原子核にせよ陽子にせよ反発しあう荷電粒子が、ぎっしり狭い空間に押し込められてなぜ大丈夫なのか。万有引力は電気力に比べればこの場では極端に小さく無視小である。そこで登場するのが力を運ぶ粒子(力の媒介粒子)だ。力のデジタル化である。
世界に先んじてそれを原子核に対して唱えたのが湯川秀樹で、彼は(π−)中間子を考え出した。力を運ぶ粒子には不確定性原理という背景がある。学校物理では、不確定性原理は運動量と位置に対しての説明しかなかったが、湯川さんはエネルギーと時間の関係に適用している。特殊相対性原理によれば物質はエネルギーだから、極小の飛行時間内では力を運ぶ物質が存在しうる。原子核や陽子のサイズは「極小」に相当する。この中間子はクオーク2個より成る。クオーク同士を結びつけて核子や中間子を構成する引力の元は、グルーオンという媒介粒子の交換である。媒介粒子の作用は入れ子構造になっているのだ。何ともややこしい話である。このような極小の極小を扱う場の理論には無限大の問題がつきまとう。だがそれでは解けない。これを救ったのが無限大まで行かずに、対処療法的に扱うくりこみ理論だ。こちらは福井先生の十八番である。私がお世話になったのはくりこみ群理論だ。無限を自己相似で抱え込む(くりこむ)論法だ。「群」があるかないかだが、くりこみ理論も感覚的に類推できるのである。
自然界には4つの力がある。電気力、重力のほかに原子核より小さい領域に働く「強い力」と「弱い力」だ。核力は中間子の交換によるが、上記の構成だから強い力そのものではない。強い力のグルーオンの働きの結果として出ているのだろう。4つの力の中で重力だけは桁違いに力が弱いという点で特異的である。だから他の3つはどうも同一起源らしい。理想は4つ纏めての一般則だが、その一歩手前の、「電気力」の3つをくくる大統一理論が論じられている。
電気力を媒介する粒子は光子である。光子は質量がゼロである。湯川理論ではそのときは指数関数項の影響が無くなり、電気力は逆二乗則に乗ることとなる。重力も、媒介粒子による交換力で、その媒介粒子は質量ゼロのはずだ。「重力子」と呼ばれているが、その正体は実験的にも不明だ。古典物理学で終わったものにとっては、力に別の種類があっても一向に平気だが、現代物理学者の身になると、力の源が同じと思えば思うほど、3つの「電気力」と「重力」を統一せねば収まらぬ。そこで著者が注目するADD模型が登場する。
電気力が原子核サイズのオーダーまで実験的に調べられているのに、重力にはキャベンディシュ以来実験上の進歩がない。実験精度を上げることが非常に困難なのだ。彼の実験はmmオーダーまでなら逆二乗則が成り立つというものだった。ADD模型の一歩手前に超弦理論があった。量子力学のプランク定数、特殊相対性理論の光速、重力の万有引力定数を含む長さがプランク長であり、エネルギーがプランクエネルギーと称され、4つの力を統一するために基本的な数値となると考えられた。次元解析すれば式の形はすぐに出てくる。次元解析は工学において、相関をおおざっぱに把握するときの解析によく使う。素粒子論などと云う高尚な学問でも使うと知って愉快である。ADD模型は、超弦理論では高次元空間をプランク長範囲に考えてジレンマに陥っていた欠点を解放するために、0.1mmほどにまで重力場の余剰次元範囲が及んでいるとした。そして拡張された高次元プランクエネルギーの式から、余剰次元を2以上と割り出したのである。見かけは3次元ブレーンに住む我々だが、本当は5次元あるいはそれ以上の高次元の生物なのである。何のことだか禅問答も甚だしい話だが面白い。
普通は質量は核子数に比例する。だが今悪名高い原子炉は、重元素原子と分裂群とを比較して、核子数は同じでも前者がごくごく質量大なことを利用する。昔の実験を調べると、なんと物質により、ほんのわずかだが、万有引力定数が違うことが分かって大騒ぎになった。でも最新の精密実験はこれを否定した。研究者はmm以下の引力測定に血道を上げる。ワシントン大のグループは、2007年に55ミクロンの実験を0.01%という精度で行い、逆二乗則が成り立つと証明した。でもADD模型がそれで否定されたことには成らない。なぜならADDの予想は次元解析的に出てきた数字で、そんなに固執せねばならぬほどに確固たる予想ではないのである。筆者は、別個の原理に基づくNewtonVなる設備により、今年か来年かには、ミクロンスケールに対するワシントン大より精度の高い結果を出すことを目論んでいるという。
最終章やおわりには、量子の世界や宇宙の彼方、ビッグバンのそのときなどに対する理解がいかに混沌としており、研究者が情熱を傾ける理由があることを説明する。著者と私には、その方面の学識においては、それこそ「月とすっぽん」ほどの差があるから、とてもじゃないがついて行ける話ではない。ただ一つ私も同学の先輩から云われ、長く奉信してきた言葉が本書にもあるので、それを引用しておきたい。「新しい装置は新しい物理を生む」、私にとっては物理ではなく工学であったが。索引も註も親切である。物理学の先端に対する一般教養書として出色の出来映えだ。

('11/04/07)