イギリス近代史

川北稔:「イギリス近代史講義」、講談社現代新書、'10を読む。帯に「大英帝国の興亡から現代日本を考える」とある。興は「日の没することなし」の時代を指し、亡は「イギリス病」時代を指すのであろう。塩野七生さんの超大河小説からは「ローマの興亡」「ヴェネツィアの興亡」を勉強させてもらった。本HPには、'03年の「ローマは一日にして成らず」から'07の「ローマ世界の終焉」までの4年にわたって、「ローマの興亡」に関するメモを遺している。また「ベネツィア共和国の一千年」は'09年に読み終えた。興亡の時間間隔は古代、中世、近世、近代と時代が進むにつれ短くなって行く。日本のそれは失われた20年と表現されている。私が現役を終える頃が絶頂期で、もう「亡」期に入ったとすると誠に寂しい。「イギリス病」を克服して「EU」平均に回復したイギリスに学ぶべきものは多いだろう。
都市の匿名性は近代化の重要な原動力の一つである。その卑近な例に四条河原町が出てくる。本HPの「帰ってきた江戸絵画」に、戦後アメリカに流出した絵画の里帰り展の様子を描写したが、その中に「洛中洛外図」があった。17世紀末の四条河原町あたりの繁盛ぶりが中心に描かれていた。江戸だったら日本橋あたり、東京だったら一昔前なら銀座、今は秋葉原に新宿か。一つに絞れない。四条河原町はおそらく室町時代あたりから現在に至るまで繁華街であり続けているから、著者は日本の例に四条河原町を選んだのだろう。著者は京都に学んでいる。歌舞いていても、2本差しを商人が真似ても、都市では気づかれない。いくら贅沢禁止令を出しても、身分ちがいの憧れ流行を停められない。それが産業を生み文化を育てる。
農業経済が基本であった時代には、社会は明確な身分制度を維持できた。都会の文化は、もともとのジェントルマンとレディの上流階級に、専門職層という疑似上流階級を送り込む。イギリスの上流階級は資産家で有閑階級であり、労働など自らはしないから、都市のgentry-likeを疑似上流階級と書いた。その1業種:医者については面白い話が挿入されている。あっちには医者という概念がない。歯医者とか外科医は散髪屋の延長だった。そう言えば西部劇でなぜ兼業なのか奇妙に思ったことを記憶している。位が高かった、つまりgentry入りできた内科医は、古典ギリシャ医学を勉強してきたから、梅毒が入ったときに馬脚を現した。脱線だが、内科も外科も日本は統一して(漢方)医だったから、近世では日本の方が医学への姿勢はまだましだったのかも知れない。大富豪となった貿易商はgentryの母屋を乗っ取る形になる。日本ではそこまでは行けなかった。「竜馬伝」の岩崎弥太郎は明治以後だ。
鬼頭宏:「人口から読む日本の歴史」、講談社学術文庫、'00、速水融:「歴史人口学で見た日本」、文春新書、'01(ともに本HPに同題の紹介記事がある)では日本の歴史的人口推移を細かに検討している。本書にも後者の名が見える。イギリスはロンドン一極集中であった点が日本とやや異なる。人口はロンドンが50万、他の有力都市は多くても1-2万だった。県庁所在地相当の都会でも数千。上記文献によると日本では江戸が130万、京都大阪がどちらも40-50万だった。ほかでも万単位のところはいくらもあった。その差は、基本的には米と麦の生産性の差だと、かってこのHPに書いたことがある。それが本当か嘘か今でも迷っている。農村から都市への人口流入は、東西に離れていても基本的にはそう変わらない。農民の子女が働き口を求めて奉公に出る。その一部は丁稚とか女中と云う形で都会に出る。
異なるのは家族に対する考え方だ。イギリスではもう17世紀には単婚核家族化が定着した。平均すると14才になると奉公にあがり、7-10年間は腕を磨き独立のための財を稼ぐ。彼らをライフサイクル・サーバントというのだそうだ。だから日本やその他の多くのアジアやアフリカの諸国と異なり、「十五でねえやは嫁に」行かなかったとある、すなわちある程度の経済力をつけてから独立の所帯を持った。晩婚だったのである。ヨーロッパの他の国ではどうだったか気になるが触れられていない。家を出た子は働き先の家族にカウントされる。荘園を持つ貴族では家族数40人というのはザラにあった話のようだ。親だけでやっている実家はどうなるか。子供は帰ってこない。子供が親を養う習慣はない。総領が跡を継ぐ慣習は日本にはあったがイギリスにはなかった。当面はさらに下層の農家から農業サーバントを雇って耕作を維持するが、やがては老齢化し連れ合いを亡くす。もうよぼよぼで一人では生きて行けない。イギリスの福祉制度が早くから確立された歴史は、単婚核家族化に起点があると述べられている。
皇帝の統治域は比較的平和が続く。徳川時代は250年もの間戦争と無縁であった。実力皇帝の徳川将軍と名誉皇帝の天皇に治められていたと云える。ヨーロッパのような国王の統治域ではそうは行かぬ。相対立する国王たちが優勢を競い合わねば収まらない。国王は皇帝と違って絶対的権威ではないからだ。そこに現代の病「成長パラノイア(上昇志向とでも訳すか、私は初めて聞く言葉)」の起源がある。平和の皇帝領だったら、現状維持が至上命令で、武器の開発も新規発明による既成産業への波乱も社会は排除したがる。私は入社時に労働者の隠語「オ日サン、西西。金コチコチ(こっちへこっちへ)」を不思議に思ったことがあった。年功序列終身雇用の会社勤めでは、腹背であろうとなかろうと面従して時間を過ごしておれば、定年まで給料が安泰だという意味だ。私は大学を出たばかりで現代の病に冒されていたから、その思考方法に驚いたのである。実力社会競争社会化して、思ってもみなかったほどに落ちこぼれの問題が噴出し、近頃は年功序列終身雇用のかってのシステムを懐かしがる雰囲気を、壊す方の先鋒であった新聞などに見かけるようになった。今、新・新興国が成長パラノイアに入った。
政治算術という言葉も初めて聴く単語であった。人口、経済力、武力などの国勢を定量的にとらえて政治に応用しようとする、今の経済学、社会学、統計学などの社会科学の端緒であった。人口推計はその基本だ。上記の日本の歴史人口学の著書にも紹介してあったと思うが、イギリスのそれは教区の死亡表が基礎数字を与えている。日本の過去帳調査のようなものだ。ペストが襲ってくる。14世紀には人口の3割が死亡したという。ノミが媒介するから都会は特に怖い。有効な治療薬は当時はなかった。郊外へ逃げるしかない。それにはどこで流行しているかが大切だ。そのためにロンドンで1週間ごとの死亡表が考案されたという。
17世紀後半になってキングの政治算術が出た。その特徴は正確さと身分ごと階層ごとの実勢が分かることだ。成人男子には職業に見合うステータスがある。その戸主に妻子が従属メンバーである家族がある。我が家の系図の古い部分には妻や娘は名すら残されていないが、イギリスでもステータスについては似たような扱いであったらしい。だが非人が人扱いされなかったのに対し、イギリスの乞食も職業で家族数1の人として認められている。既述の通り、下層階級ほど家族数が減り、家計はほとんどが赤字となる。万年赤字でどのように暮らすのかちょっと想像に余るが、救貧が根付く土台になった。支配階級の不可欠な資質として、チャリティ精神が強調される社会が生まれたとある。今、児童養護施設対象にタイガーマスク現象が起こっている。マスコミはアメリカとの比較で日本の寄付金の少なさを唱えている。だが本書から分かる歴史文化の違いだけからでも、上っ面な比較論の浅はかさが分かる。
以下「イギリス近代史U」に続く。

('11/02/09)