「不破 章」展

千葉県立美術館の企画展:「不破章展〜旅・ひと・自然−水彩画の即興詩を歌う」を観た。私の記憶には不破章の名はない。だから先入観もない。散歩道で見たポスターがきっかけで入館した。水彩画とあるのが何か魅力的であった。私は日本画を好むが、水彩画の淡泊な味わいが日本画に通じているからであろう。全73点の展示を1時間半ほどかけて鑑賞した。次の日、学芸員によるギャラリー・トーク(以下トーク)があるというのでまた出かけた。
トークで不破が建築業と画業の2兎を追い、双方で成功した才人であると知った。絵を売る必要もなかったから、遺作が纏まった形で保存されている。彼は石井柏亭の門下生で、小堀進らと同輩だという。透明水彩画に優れていた。それに対峙するのは不透明水彩画である。説明から推測すると、前者は絵の具の加色の原理を利用し、後者は減色効果をそのまま利用する方法のようだ。絵の具を混ぜると一般にどす黒くなる。これは減色だ。だが画用紙に塗った絵の具を乾燥後させた後に、別種の絵の具を上塗りすると、反射してくる補色の波長が加わりあって透明感のある色を出す。両顔料コロイドの反射光が互いを吸収するか否かが、透明性を出すか否かの分かれ道になるという意味だと、私は解釈したが当たっているだろうか。
鉛筆などによるスケッチを水絵の具で彩色するといった程度の水彩画はあちこちで見た。千葉ゆかりの洋画家・浅井忠の従軍画家としての作品は、その中でも記憶に残る傑作であった。でも水彩画を油絵から独立した技法に格上げしたのは、不破の功績だという。展示室の随所に彼の絵に対する哲学が掲げてある。中に街や村里に1人の人影も入らぬ絵は不自然だという意味の言葉が出ていた。私はこのHPにいろんな展覧会の感想を載せているが、時々同音の言葉を挟んでいたように覚える。浅井のスケッチが印象深い理由もそこら辺にあるようだ。展示には一切の人影を絶った絵もある。不破は俗の入り込む余地のない山岳(原始の姿)などを例外だと云っている。
人物画が多い。好んで家族を描いたとトークで聞いた。水彩画としてはこれも新鮮であった。「室内」「描くO君」「裁縫女」(このモデルは奥方だそうだ)、「室内午後」「二女」「三人姉妹」「黄衣」「港の女」「支那服の女」「外房の女」「白いブラウス」「鶏舎」「農婦」「浜波太の女」などなど、いずれも清潔感のある絵になっている。描かれた時代はだいたい戦前から戦後30年ほどの間だ。伝統の作業衣のもんぺ姿はあるが、和服姿と云えるほどの人物像は唯一「浴衣」だけだ。他はカジュアルな洋装姿である。和装が廃れだした頃ではあるが、晴れ着に着物を着る習慣は残っていた時代だ。ちょっと不思議に思う。「裸婦」はもっと驚きであった。油絵ほどには肉感が出せないのは宿命だろうが、線描を取り入れて質感を補っている。
群像とともに街角の風景、集落の風景、人の集まる市場や漁港、農業の現場などが描かれている。絵の収蔵先を見ると長野県、千葉県、山梨県の順だ。これらの各県にはよく旅行し絵を遺した。我が千葉県では外房の集落や漁港が画題になった。「岩船」の前で土地を知っている老夫妻が、懐かしそうに会話を交わしていた。自然は変わらなくても、かやぶき屋根の民家はもう瓦屋根に変わっていて、この風景は2度とお目にかかれぬものだと。記念写真的性格も持っているのである。1/28のNHK「世界街歩き」ではスペインのセゴビアを映していた。2000年前の巨大水道遺跡が原形をとどめている。教会だって、宮殿だって、名もない個人の住宅だって、石造りだと人為的に破壊せざる限り4-500年は保つ。でも木造は50-100年が限度だ。文化を後世に残す姿勢は、欧米より一段と強固でなければならぬ。岩船は外房のいすみ市にある。「木曽路の宿場(三留野)」も同様の感慨を与える。三留野はみどのと読む。江戸に下るときの妻籠の次の宿場だ。今はどんな姿なのだろう。中山道は何か郷愁を誘う。私も奈良井宿や妻籠宿に泊まる旅を楽しんだことがある。
60を過ぎてからヨーロッパやアジアにも旅している。アジアでは台湾を好んだ。ヨーロッパでの絵は遠景とかホテル室内だ。「ハンブルグ」は昔観た覚えがある。本HPの「古城江観「ヴェニス所見」」に出ていた。'03だ。視覚による記憶は存外に長続きするものだ。より接近できる雰囲気があったのだろう、台湾における絵は画家と人との距離が半桁は近い風物詩になっている。日本語もまだ通用する時代だったし、親日的な雰囲気に惹かれていたという。台湾人の弟子筋による画録が出版されている。近代技術が入り込む前の在りし日の風景だから、私が岩船などに感じたのと同様に、台湾人もいとおしく思うのではないか。

('11/01/31)