横浜美術館

みなとみらい駅は横浜の地下鉄駅ではたぶん随一の立派な駅舎である。地上に出て周囲を見渡す。東京の丸の内や新宿副都心に引けを取らぬ近代的なビルディング街である。横浜美術館はその環境に見劣りしない建物になっている。お目当てはドガ展だ。遺品を含めて132点が来ていると出品リストは教えてくれる。例によってガイド・イヤホーンを借りる。
ポスターに印刷された「エトワール」が目玉の第一である。エトワ−ルとは最高位の踊り子のことで、彼女は当時超人気だったという。絵からも彼女の華ある姿が感じ取れる。大きな絵ではないこととパステルに紙という画材に驚く。パステルは動く対象を描くときに有用だと画家は云っていたそうだ。動く対象には丹念なスケッチを残している。生活に追われることのない裕福な家の育ちで、余裕のある描き方ができたのだろう。多くの踊り子の絵が出展されている。群像とともに描かれている絵がいい。エトワールもその一つだが、「バレエの授業」もすばらしい。こちらは華やかな踊り子たちの中に、ただ一人だけ地味な服装のダンス教師が中心におかれている。カンヴァスに油彩で描かれた。稽古場や出演直前の踊り子をクローズアップした絵も多い。姿態を理想化せずに忠実に写実的に描いている。彼女たちはいつも目をぎらつかせていた。そのぎらつきがよく出ている。貧しい階級の出身者がおおかった。
裸婦の絵も多いが、見たままに自然に描かれ理想の美を追究するといった姿勢は見あたらない。中世ルネッサンス以来の流れにあった絵画の常識に反するという意味で、この生々しさは社会の非難を浴びたという。ドガはアメリカを訪れたことがある。「綿花取引所の人々(ニューオリオンズ)」はそこで事業を営む親族の働く姿を中心に描いた。類似の構図でただ人物像が一切ない「メニル=ユベールのビリヤード室」という絵がある。奥行きがしっかり感じ取れるようになっているのが特徴だという。その一方でドガは遠近にこだわらない扇形の絵を数多く残している。パリ万博の浮世絵出品は日本ブームをパリ画壇にもたらした。扇形の絵は、浮世絵にヒントを得た試行錯誤の一つなのであろう。
競馬の絵が多い。競馬は上流階級の嗜みであった。その頃の競馬は今で云う草競馬で、柵はあるがスタンドなどどこにも描かれていない。「アマチュア騎手のレース−出走前」「田舎の競馬場で」「出走前」「障害競馬−落馬した騎手」などが記憶に残った。「田舎の競馬場で」は馬車で行く家族の姿が中心だが、他はダイナミックな馬が見所だ。動く姿の研究に高さ30cmほどの蝋塑像を制作していた。これらの塑像は後年にブロンズ像に鋳込まれ今回展示された。馬はもちろん踊り子の極限の踊り姿態も、塑像で研究したという。ようやく実用化されだした写真を、絵画に活用したことも分かっている。「アマチュア騎手のレース−出走前」は、18年後に画家自身の手で、遠景の中に煙突が書き加えられた。フランスの産業革命を象徴させたかったらしい。
横浜美術館コレクション展に回る。「夏から秋へ 日本美術院の画家たちを中心に」展示室に著名な日本画家の作品が並んでいる。保存状態は総じていい。私は歴史画が好きだ。下村観山の「辻説法」は日蓮上人を描く。歴博であったか、一遍聖絵の立体模型化展示を見たことがある。備後の福岡の市で、上人が説法を行っている。聴いている侍は腹を立てたのか刀に手をかけている。13世紀末の話だ。市だから筵がけの店が商売をしている。この辻説法の構図は、一遍上人が日蓮上人になっているがそっくりだ。伝統的な線描法に従いながらも、群像の一人一人が個性のある姿に描かれている。古びてしまって歴史的価値しかない一遍聖絵に、芸術的価値が戻ってきたという感じがした。隣の屏風絵「闍維」はこの展示室の圧巻だ。ジャイと読むそうだ。現代人にそう読める人はほとんどいないだろう。ここでは釈迦の遺体を荼毘(火葬)に付すことを意味する。追放された岡倉天心を釈迦に重ねて描いたという。画面右端から2人目の僧は観山の自画像だと解説してあった。今村紫紅の絵が数多く出展されている。今まであまり注目したことがないが、歴史的絵巻物の複写などにも名を残す画家だ。伊達政宗の一幅は良かった。
「日本の洋画 横浜開港から昭和初期まで」の展示室に伝ペーターB.W.ハイネ「ペルリ提督横浜上陸の図」があった。教科書にも現れるおなじみの絵がここの所蔵だとは知らなかった。ボートにまで剣付き小銃を持つアメリカ水兵が描かれている。幕府側の兵士はわずかだ。武力威圧の意図十分だったことが分かる歴史画である。訪日外国人や日本人画家による風景画や風俗画は、どれをみても記憶にない記憶を呼び覚まされるようでただただ懐かしい。御茶漬屋は、一膳飯屋と茶店あるいはお休みどころの中間に当たる軽食店なのだろう。高橋由一の「愛宕山より品川沖を望む」には、江戸時代のままの町風景の奥に蒸気船の煙が映し出されている。明治10年の作品だ。岸田劉生、佐伯祐三は絵だけからでも画伯の名を思い出させる。廊下に藤田喬平のガラスの飾筥を見つけた。千葉県立美術館に、彼の作品だけの展示を見に行った記憶がある。その何点かは作者による寄贈品だ。彼は横浜の産だったのだろう。写真展示室には立ち寄れなかった。「フランスの近代写真 都市風景とポートレイト」という題の展示であったから、駆け足になったその他の抽象的作品の展示室を見るよりは、こちらを優先した方が良かったのではないかと、今にして残念に思う。
まずコレクションありきの私立と違って、見栄えのするハコ作りからの出発が普通の公立は、収蔵作品がお粗末になりやすい。この美術館は開館後20年だ。日本経済の低迷期突入は開館してからだから、美術品収集はわりと幸運に行われたのではないかと常設展を見て感じた。我が県の美術館は、経済が落ち込んでからはすっかり活動が不活発になった。その中のドガ展だった。横浜はちょっと我が家からは距離があるが、今後の企画に注目するようにしたい。

('10/12/27)