松山道後格安旅行U
- この旅行では万歩計を持参した。思いの外に歩くものである。2日目は18千歩、3日目は16千歩ほどだった。
- 松山城は平山城に分類される。平野一帯を睥睨できる位置にあり、構想雄大で城壁は高く、戦いに備えた城として四国随一だ。建物は戦災や不審火で何度も焼けているが、そのたびに復興させた松山のシンボルである。ホテルのレストランの壁一面に古図を拡大した城の俯瞰図が描かれていた。侍屋敷とその居住者まで記入してある。二の丸の両端から山頂の本丸に向かって2本の石垣が布かれている。本丸との連絡が途絶えると陥落しやすくなることに配慮したためであろう。平山城防御上の欠陥をカバーしている。
- 城の配置を、江戸期と現代を比較できるように、示した説明板があった。東郭の今は東雲学園である。昔の城壁が道路から眺められる。北郭側には行ったことはない。三の丸は公共施設と公園広場になった。公園は確か以前は競輪場に使っていたと思う。美術館には立派な新館が追加されていた。「インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン展」をやっていた。本丸内は何度も見ているのでそこそこに通り過ぎ、乾門から降りて石組みを一巡してみた。本丸だけでも一城と言える規模で、木造である点を除けばほとんど攻め入る隙がない。下山にはリフトを使った。下界の眺望は、山肌や樹木に遮られるために思ったほどには開けなかったが、それはそれで楽しかった。
- 二の丸史跡庭園訪問は2度目である。創建時の建物は明治に入ってから焼失した。今は配置がわかるコンクリート畳と再建茶室や池で昔を偲ぶ。茶室脇では水琴窟の妙音が聞ける。大きな井戸があり建物が張り出していたという。今は埋めたてられて道路になっているが、内堀はこの二の丸をも守っていた。庭園にミカン科の低木が植わっている。いろんな種類の木がある。係員が取っていいというので、キンカン1個をもいで口に入れてみた。ミカン科の木にはとげがあるが、キンカンの木はそれが小さい。かえってそれが仇になって指を傷つける。ダイダイとかユズのとげはこれ見よがしだから、かえって安全なのである。愛媛はミカンの産地だ。飛行場から市内に入るトンネル脇の山肌にミカンの林を見たときは、愛媛に来たなと思ったものだった。ここのミカン科園の樹木も、そんな意識から並べられているのであろう。
- 城山を見上げると紅葉がある。ハゼだという。湯築城址の外堀の外周に、ハゼがやはり紅葉していたことを思い出した。赤穂浪士が上野介を討ち取ってお預かりとなった藩の一つが松山藩で、そのときの厚遇に赤穂(の民)から感謝の気持ちを込めて贈られてきたものの1本と言う説明がついていた。もう縁が切れているのに、過去の誼を大切にする心を奥ゆかしく感じた。
- 県庁本館は4代目だ。元家老屋敷跡だそうだ。昭和の初期に完成した時代を感じさせる建物だ。玄関階段など堂々としている。風格を重んじた設計だ。昨年山形の旧県庁を見学した。大正期の建物で同じ県庁だからであろう、構造は本当によく似ている。ただ異なる点は愛媛のは現役だと言うことだ。愛媛県の新旧知事が、交代引き継ぎ書に署名したというニュースを、その日にTVで知った。観光ルートになっているらしく、初代建造物から今日までの写真と解説パネルが置かれている。NHKドラマ「坂の上の雲」に合わせて、登場人物との関連が説明文に挿入してある。秋山好古が役所に父を訪ねるシーンがあった。その役所がここのようだとあった。知事の執務は2Fが中心らしい。こんなに出入りが自由では、安全上問題があるのではないかと思うほど、廊下は気楽に歩ける。
- 万翠莊は久松伯爵の別邸で、フランス仕込みの彼に似つかわしい洋式の建物という。昭和天皇が皇太子時代の松山行啓時の宿舎として設計変更がされたとある。外見からは松江市の興雲閣を思い出させた。大正天皇が皇太子の時代に行啓の時宿舎とされたという意味でも似ている。ただし興雲閣は木造の擬洋風建築、こちらは鉄筋コンクリート建てだそうだ。興雲閣の方が大きかった。久松さんは松山の恩人だ。松山城を買い戻し、維持費をつけて寄贈した。今日の先進的な観光事業への取り組みは、旧藩侯家としての久松家に負うところが大きいのではないか。戦後には知事を出している。
- ロープウェイ下駅近くに「宇和島 鯛めし」の看板があった。本日10食限りとある。普通の鯛めしは鯛のみを炊き込んだめしだが、この鯛めしは、鯛の刺身を海鮮丼のように飯に載せ出汁をかけて、喉に流し込む漁師飯だった。うまさは今一だった。宇和島・鯛めしは大街道のカフェのメニューにも載っていた。炊き込みの鯛めしはホテルの夕食に出た。元々は今治の海賊料理だったと思う。A級かB級か知らないが、愛媛は鯛めしを特産グルメとして売り出しているらしい。だが比較してでのおすすめは、好みもあろうが、やっぱり元祖の今治の鯛めしである。
- 昼飯のもう1回は「にきたつ庵」で食った。この店は隣の水口酒造(株)の直営である。10数年ほども昔であったか、まだ独立の店舗ではなく、地ビール工場の2Fあたりに仮店舗を開いたときから知っている。桶膳が我らの定食だ。桶に入った松花堂弁当だと思ったらよい。味噌汁と飯は別だ。ここでも飯は炊き込みの鯛めしである。昔から鯛めしだったかちょっと思い出せなかった。10数年前の給仕人は、それはそれは記憶力の優れた人で、何度も行かないのにすぐ顔を覚えてしまった。彼女のその後を聞いたら、独立して飲食店を経営しているとか言った。NHKのためしてガッテンで酒粕の効用が有名になった。この酒造の酒粕もたちまちにして売り切れたとか、元々シーズンだけのものだとか直営の小売店で聞いた。我々は酒粕利用の加工食品を土産に買った。
- ホテルのレストランは和食である。和食はヘルシーだとはいうものの、その朝夕は種類も量もたっぷり過ぎるので、どこかで節食せねばと思ったのだが、結局は夫婦とも体重を増やす結果になった。
- 松山市駅の高島屋の地下の食品売り場で名菓?「なもし」がどうなったか聞いてみた。廃業したらしい。「山里柿」の職人が独立して売り出した菓子だが、製造中止になってかなりになるという。この土地の方言は、漱石の「坊ちゃん」ですっかり有名になったように、標準語の最後に「なもし」をつけて語感を柔らかくする。先生の坊ちゃんに悪がきの生徒が、講義をゆっくり進めてくれという意味で、「ゆるゆるやっておくれんかなもし」と云う1節がある。もう半世紀以上昔に私は初めて四国旅行をやった。そのとき国鉄松山駅の売店にこの菓子を見つけて以来、私の記憶から去らなかった。事情を教えてもらったお礼に、山里柿を土産の一つに加えた。
('10/12/05)