漢文と東アジア

金文京:「漢文と東アジア−訓読の文化圏−」、岩波新書、'10を読む。日本語のローマ字表記化論は後を絶たない。それに関して私は、ベトナムがフランス植民地化により、漢字圏からローマ字圏に離脱鞍替えした事例に強い興味を覚えたことがある。あるいはこの本は、その理解に役立つかもしれぬと思い買い入れた。ベトナムに直接関連した文章は3ページ程度で、「鞍替え」にはたいして触れていないことはすぐ解った。でもベトナムと日本の共通の問題、それぞれ独自の問題の区分けには役立ちそうである。
私は旧制中学最後の生徒である。漢文という学科が国語とは独立していた。論語の「子曰学而時習之不亦説乎」から始まったと思う。語順符、句読点、返り点、送り仮名がついていて、中国古文がとにもかくにも訓読できる。さすがに我々はそうは習わなかったが、英語学習の初期には、訓読式に語順符を単語に添えて教えたという。全く異なる中国語を直接日本語に読み代えるのだから、驚くべき技術である。漢字が表意文字であったからこそできた技だったと思う。我が家に論語の和綴じ本がある。もうぼろぼろだ。表紙に道春点、最初のページに朱熹集註序説とあるので、朱子のもっとも重要な著作・四書集註の論語編に、林羅山方式の訓読点を付したものと云うことが分かる。「子曰学而時習之不亦説乎」に関しては、私の記憶と全く同じ訓読法になっている。
林羅山は江戸初期の人だった。佐倉の歴史民俗博物館に行くと、ずっと古い仏典が展示されている。訓読点が朱筆されている。我々の学んだ方法とは異なる訓読法だ。ヲコト点と云うらしい。決まりを知らないから簡単には読めない。本書は、漢字に訓を与えそれを読みこなす技術の開発史を要領よく纏めてある。ヲコト点は宗派ごと博士家ごとに細部に関しては約束事が異なり、相互の疎通に困難を来すような事態から出発して、私が受けたような、一応共通の訓読法に標準化されるまで、約1000年を要したのであった。面白いのは、明治の清国留学生が、日本の訓読法を逆に利用した逆訓読法で日本語から西洋文明を学んだことである。今日の日本文は漢字の占める割合が3割程度だが、明治期では7割ほどだったと思われるから、清国留学生の方法は、限界はあろうが、効率のよい方法であった。
私の世代は英語の学習に関しても中国古典の学習と似た立場であった。外国人と話し聞く機会は、かなり年配になり日本の産業が世界に覇を唱える頃までやってこなかったから、ほとんどの努力を読み書きに使った。話し聞く能力が重視されるようになってから、原語のままで理解せよと、つまり英米人モドキになれと云われ出した。言葉のニアンスの伝達にはそれが一番であることは間違いない。訓読法の開発が進むとやはりその点が問題になったようだ。訓読した文章を元の漢文に正確に戻せない。まずは而とか也の助辞を、しっかり訓読に取り入れるところから始まった。それが高じると訓読を廃止して直読せよと云うことになる。日本人の中のエセ中国人が出現すれば、それはそれで反発される。
このHPに日本語に関する書籍の読後感をいくつか載せている。高島俊男:「漢字と日本人」、文春新書、'05には、漢字は日本語にとってはやっかいな重荷だが、この腐れ縁はいかんともしようがないという意味の言葉が載っている。山口仲美:「日本語の歴史」、岩波新書、'06ではカタカナ語の将来について考えさせられた。金田一春彦:「ホンモノの日本語を話していますか?」、角川oneテーマ21、'01は、世界的視野からの日本語の長所を語っていた。訓読法を切り口にした本書もなかなかの内容だと思う。
訓読法の開発は梵字仏典の漢文への翻訳に源流を見出せるという話しは初耳であった。コーランは今もアラビア語のみである。聖書も長い間ラテン語の聖書だけが正統だった。翻訳に伴う教義のずれを防ぐためである。だが漢訳仏典はあるのに、招来した原典の梵語仏典は中国にないそうだ。さすがは自意識過剰?の国である。しかも中国では多くの偽典が作られて大蔵経の中に組み入れられてしまった。漢訳への絶対の自信と、異説まで外道の説にあらずという、包容力に優れた仏教哲学がなければ、こんな事態は起こらない。漢訳は梵語をすべて漢字で音訳するところから始まった。梵語から直にやらなかった。この陀羅尼に番号を振って、構成梵語に逐語訳を与え、その並び替えで漢文に仕上げてゆく。一連の作業を分業体制でやったという。最初に漢字への音訳があるのは、分業で多数が関わり合うためには、梵字よりも親しみのある漢字に、いったん直した方がよかったのだろう。
中国がまだ積極的に「中日友好」を唱えていた時代だったが、講演した中国人学者と電車に乗り合わせ、会話を交えたことがあった。私の世代は中等教育の期間にかなりの時間を漢文に使っていたと伝えたのに対し、彼はそれは中国古文のことだろうとコメントした。中国では古文が読め理解できる人数は限られている。我々が源氏物語に対する話とはだいぶ違っているという印象だった。現代文と古文が異なるのはどこの国でも同じという程度の認識はあったが、単語の意味はおろか、語順まで変化しているとは私は知らなかった。本書には、現代中国標準語の北京語には、北方民族の言語の影響が色濃く入っていると記述している。北方民族とはアルタイ語系遊牧民族で、北中国はその彼らに歴史の過半を支配されていた。安禄山の乱以来でも、明以外の王朝の起源は北方である。アルタイ語はシナ・チベット語と語順が異なる。最も大きい差は動詞と目的語の位置だ。だから古典の現代語訳には、一種の訓読が必要になっている。これにはたまげた。
トルコ系の突厥、ウィグル人、モンゴル系の契丹、モンゴル人、ツングース系の女真、満州人など、みなアルタイ語系だという。日本語、朝鮮語もアルタイ語の一つだ。キャセイパシフィック航空のキャセイ(Cathay)はキタイの英語で、キタイとは契丹である。契丹は長く中国北部を支配した。トルコ語、ペルシャ語、ロシア語などでは中国をキタイと呼ぶ。中国語への北方民族の影響は押して知るべしだ。もっとも前記「日本語の歴史」には、言語学的には南方のオーストロネシア語の系統を下地に、北方系のアルタイ語が流れ込んで融合したものとしている。日本とはよく分からない国なのだ。さて、中原の中国文明が夷狄に流れ出す。その理解吸収にどこも大同小異の訓読法を開発した。実は梵語が日本語、朝鮮語と同じ語順を使う。既出の通り、つまり中国は仏典を学ぶときに同じような汗をかいている。訓読は日本だけかと思っていたが大違いであった。日本では民間で自発的に発展していったが、他国では国家事業であった。どこも最後は自国文字による表記にたどり着く。日本以外で比較的にその展開事情がしっかり分かるのは朝鮮だ。自国文字で今も生きているのは仮名とハングルだけだ。ハングルは15世紀中頃の発明である。
仮名は表音文字といっても音節文字だが、ハングルはローマ字と同じく子音、母音を分離できる音素文字である。契丹にもあるから、音素文字が朝鮮における発明というわけではないらしい。音素文字が生まれた理由は、おそらく中国との交流の深さからくるのだろう。中国とは地続きで隣り合い、しかもたいていの時代で圧倒的に軍事力が違うから、バイリンガル的理解力が言葉に要求されていたのだろう。日本と同じく、万葉仮名、片仮名、平仮名の時代を経由し、訓読法もヲコト点方式から送り仮名方式、漢字混用文になる。そして現在はほとんど漢字の世話にならないハングルだけの文字体系になった。漢字の略字表記が、自国語書写表記の仮名相当文字に発展するまでに、ハングル化したようだ。ローマ字体系のヴェトナム語の語彙の6割が漢字起源だという。日本、朝鮮半島でもこのていどの割合だろう。それでも日本だけは完全表音文字化をせずに漢字混用文を使うのは、音節文字で済ませられるという特徴、つまり音の数が少なく単純明快で、そのため日本漢字音に同音が多いことと裏腹なのだ。
私が習った漢文は規範的漢文であった。論語などの経典、史書や漢詩だ。PCのWindowsのように、東アジア基礎共通語として、筆談的に異国人間のコミュニケーションに利用できた。朝鮮通信使と日本文人の交流や、明治期の中国人との意思疎通の方法が主に筆談であったことは有名だ。PCの応用ソフトが多彩であるのと同様に、変体漢文と総称されている漢文も実用の面で大いに文化の交流発展に影響した。父はほとんど使わなかったが、祖父は書簡を候文を漢字まじりで書いた。祖母の記憶はないがたぶん候を平仮名で「そろ」と書いていたのではないか。候文の起源は古くは唐に遡る。これも変体漢文だったとは知らなかった。元代には書簡形式が様式化され、用件に至るまでの挨拶からそれ以後の結びに至るまで、相手との上下親密度に応じて細かい規定が作られた。私らが習慣的に使っている「拝啓」「敬具」も中国伝来という。最も大きい影響力は仏典から来たがこれも変体漢文だ。外国語原典の翻訳の場合、理系では式や図などの併用もあるから論理さえ明快であれば意訳は自由勝手で、完全な日本語に置き換えることができる。だが文系では文章が命だからえてして完全な逐語訳になって、咀嚼の足りない日本語になる。梵語翻訳仏典はまさにその意味で変体漢文であったのだ。
ヨーロッパはラテン語文化圏だ。エリートの教養に占めたラテン語のウェイトは大きかった。東アジアでラテン語に相当するのが漢文だ。(古代)中国語ではないし、漢字と云うとちょっと意味がずれる。筆者の、東アジアを漢文文化圏と呼ぼうという提案には無理がないと思われる。

('10/12/11)