18世紀イタリアへの旅

岡田温司:「グランドツアー−18世紀イタリアへの旅−」、岩波新書、'10を読む。店頭でパラパラとめくったときに、「イタリアはよかったけれど、イタリア人ときたら・・・」という文字が眼に入った。冒頭の出出しである。私のイタリア旅行経験は、40年以上昔にほんの2-3日ローマに滞在しただけという淡いものだが、この冒頭の1句はその後のイタリアへの印象を含めて、何か私をうなずかせる言葉であった。塩野七生:「海の都の物語」もその裏にある。海の都とはヴェネツィア共和国で、18世紀になると、さしもの地中海女王も衰退期に入っていた。19世紀初頭についにナポレオンに滅ぼされる。塩野さんはイタリア在住で、夫はイタリア人だ。いわば内側の人の記述。本書は外から見たイタリアだ。彼女の「イタリアからの手紙」からは、けっこう健康な現代イタリアを垣間見られる事を付記しておこう。
二次大戦ではイタリアは我が国の同盟国であった。だが同じ同盟国でも、ドイツに比してイタリアの評価は高くなかった。イタリア軍は連合軍に対し強くはなかった。ドイツでの評価もそうだったらしく、映画「カサブランカ」のイタリア官吏はピエロ的に扱われている。大人たちは(私はまだ小学生だった)、「イタ公」と幾分見下ろしたような表現をとっていた。イタ公的差別感覚は何も日本だけではなく、本書によれば遠く18世紀から起こっている。本書の主題名「グランドツアー」とは、18世紀後半にピークを迎えたイギリス貴族子弟のイタリア修学旅行で、数ヶ月から2カ年に及ぶ大旅行だったという。子供から大人への通過儀礼のようなものとある。
アンデルセンの「即興詩人」は19世紀前半のイタリアが舞台だ。山中で山賊に襲われた気の毒なお姫様のその後が語られていたように思う。18世紀も似たようなものだったろう。旅行者を襲う山賊に海賊が横行するならず者の国イタリアは、ローマの栄光と対比されるがために、没落の印象をヨーロッパ中に拡散させた。本書に挿入された「ローマの居酒屋」とか「盗賊の不意打ち」とかの絵画は、絵空事かもしれないのに、不名誉な噂をまき散らす手助けをしてしまった。このHPに「三菱が夢見た美術館」展を書いた。文化背景に対する教養があってこそ理解できる絵画があるといった。逆も真(誤解の場合もある)なりなのだ。
まこと、周辺国に好んで買われた絵画には「自堕落でしまりのない」というイタリア人への烙印を助長する、あるいは煽り立てるような内容のものも多かった。謹厳実直の気風に満ち、産業革命前の順調な経済発展の北欧域の人々が、ある意味では、ギリシャ、ローマ文化圏の辺境であったという劣等感の裏返しとして、見下ろそう見下ろそうと努めた気持ちに迎合して描かれたというべきか。旧植民地人が旧宗主国民を見る目に何か似ている。それでも「怖い」国に若き紳士は出かける。イギリスはローマ帝国辺境の地であったから、めぼしい古代遺跡を持たない。古物蒐集に熱心だった。あてこんだ古物商が付きまとう。イギリス人の中には、ローマ文明の正当な後継者であると自認する人がいるそうだが、尋常でない数の蒐集品もその気風造成に役立っていたろう。ギボンが「ローマ帝国盛衰史(18世紀後半)」を表したころから、顕著になったのではないか。
樋口一葉の「たけくらべ」に、番長が吉原で「男」になり廓内から引き揚げるときの誇らしそうな姿を描写した1節がある。唐桟の着物、柿色の三尺帯、黒八丈の衿のかかった新しい半纏、、印ものの傘、そして高足駄の爪皮も今朝おろしたてとはっきり解る漆の色艶だったと一葉は描写した。印ものとは遊女屋の屋号である。当時の日本には津々浦々と言っても過言でないほどに各地に遊郭が置かれていた。一葉が描いた風習はかなり一般的であったと思う。グランドツアー仕上げ?のアバンチュールもこうだったのだろう。ヴェネツィアは高級娼婦で名高い街であったことは、「海の都の物語」にも出ている。本書にも性の享楽と退廃の街ヴェネツィアが出てくる。江戸とヴェネツィアでは風俗も景色も全く異なるが、ほぼ同時代の両都に、快楽に身も心も解放できる場所が公然と存在したとは面白い一致である。一般社会では片や将軍の、片やカトリック教の共に厳しい道徳律が支配していた。
女権伸張の物指しなのか、性の解放度の象徴なのか、「海の都の物語」にも出ている貴婦人付きのナイト「チチスベイ」は何とも解らぬ存在だ。ここでも曰くありげな絵画写真が挿入してあって、視線とか目つきに付きおもしろおかしく解説してある。もともとは去勢男子の聖歌隊団員であったという性転倒の「カストラート」にも、女装の見事な絵が残されている。君主や貴族、高位聖職者がパトロンを務めたというから尋常でない。NHK海外ドラマ「蒼穹の昴」には大勢の宦官が出てくる。彼らにはしっかりした実務がある。我が国現代には「おかま」がいる。でも去勢しているわけではない。今の道徳律からいっても何かおぞましい拒絶感を覚える人々だが、年の半分をも費やしたという仮装「カーニバル」の雰囲気が暗示する、現実と夢が渾沌とした社会を、18世紀のイタリアは目指していたのであろうか。医師とか絵師そのほか職業への女性の進出は、当時の世界から見れば、これまた特異的に突出していたという。
ゲーテは若い時代にグランドツアーを行った。1年8ヶ月にも及ぶ大旅行で、アルプス山脈を越え最後はシチリア島まで旅している。「イタリア紀行」に成果が纏められた。注目すべきは、800枚の水彩スケッチ、3000枚のデッサンを描き、幸にしてそれらが今に伝わっていることだ。驚異的な数だ。私はジョルジュ・ビゴー展の図録を持っている。ビゴーは明治日本を生きたフランス人画家だ。彼のスケッチやデッサンはあのころの日本の人や風俗、社会を見事に表現している。時々の印象を重ねて描くから、入念の1枚がバカ取り写真の数10枚に相当すると思うことすらある。
私は中三のとき、絵画の時間に男女2人のクラスメートをモデルにデッサンをやった。母がそれを保存していた。10年ほど経ってひょっこりそれを見る機会があった。絵は不得手であったのにもかかわらず、記念写真で見るよりももっと本当の彼らを見た思いがした。著者は、後世に伝えられたスケッチ、デッサン、本格絵画から、訪問者が風景を通して何を感じていたかを窺う。それは神話であり、歴史である。ゲーテはシチリア島ではオデッセイの影を感じている。だがその比重はやがて軽減し、自然そのものを見る目に変わる。後のフランス近代画家たちの方向を先取りしたような絵が出現する。鋭い観察力は自然科学の胎動を意味する。本書には美学的資料が豊富に顔を出す。著者の紹介を見たら、西洋美術史を専門にする京大教授であった。
グランドツアーを盛り上げた事件にポンペイ発掘があった。発端はナポリのヘラクラネアム遺跡発見である。もちろん共にローマ遺跡だ。ことにポンペイからは単に建造物だけでなく数々の美術工芸品が出土した。ほどなくポンペイよりさらに南方のパエストゥム廃墟に調査の手が伸びる。パエストゥムは埋もれていたわけではないが、伝染病蔓延の結果放棄されたギリシャ植民都市跡だ。グランドツアー客は争って古物商から遺物を買いまくったようだ。大英博物館などに系統的な収集品が並んでいるのはそのせいだろう。塩野さんの「ローマ人の物語」には、キリスト教が国教となったとき、それまでの国教であったローマの神々、ギリシャの神々そのほかの偶像を拝する教えに鉄槌を加えたとある。優れた芸術品でもあったであろう数々の絵画や彫刻が、打ち砕かれて廃棄されたとある。その美しさを惜しんでそっと土中に隠されたものもたまにあったらしいが、ヨーロッパからは古代の輝きは消えた。だから遺跡の発見は狂乱の的となったのだろう。
現代に伝わった我が国の寺社建築は、古びた木材の柱に白い壁、黒い甍という単純な自然に溶け込んだ姿で人を惹きつける。だが建築当時は極彩色の模様を描かれた華麗な存在であった。古代人の美のセンスは今の古建築ファンのセンスとは異なる。シチリアは、ギリシャが当時はトルコ領であったために、グランドツアー客がギリシャの匂いをかげる最良の場所であった。そのシチリアのギリシャ神殿が、豊かな色彩で覆われていたことが調査で判明する。「単純」にして「壮大」かつ「崇高」な白亜の大理石のドーリス式神殿というイメージは、覆るまでには至らなくても、ギリシャ芸術への評価を大きく揺るがすものであった。そのころの美術論では、ローマvs.ギリシャという構図は、何でもありとも言える前者に対する純粋にして単純という後者として捉えられていたが、議論は水を差された曖昧な形に終わる。
旅の感動を絵にして持ち帰りたい。グランドツアー客のニーズは、ルネッサンスの残光のまだ明るい18世紀のイタリア(主にローマとヴェネツィアの)美術界を再び活性化し、才能溢れる画家を輩出させた。著名な画家になると何100点もの「おみやげ」作品を後世に残している。いずれ豪邸の主人に収まるはずの客たちであるから、らしき雰囲気の肖像画は、著名な観光名所を背景に、さりげなく古代芸術作品をちりばめた姿に仕上がっている。人物以外は画家がご相談に応じて嵌め込むのであって、その場に出かけて、モデルになりポーズを取ったわけではない。都市景観画ともなればもっと自由奔放に想像夢想が駆け巡る。観光名所を描いても別に同一個所とは限らない。何ヶ所ものモニュメントが、1枚に重複された形で描かれる場合も再々だ。グランドツアーは、数と金力で、ヨーロッパ中に彼らの共通の文化としての在イタリア文化資産情報をまき散らした。

('10/11/14)