「三菱が夢見た美術館」展
- あと1日となった掲題の美術展を鑑賞すべく、三菱一号館美術館に出かけた。開館記念展Uだ。美術展に2時間、歴史資料室、センター・デジタルギャラリー(以下DG)および丸の内ブリックスクエアでさらに2時間を費やした。私は正規の入館料を支払って入場したが、チケット売り場の周囲を見ると皆招待券を出していた。どこで手に入れたと聞いたら、会社関係ですと言った。大三菱の面目躍如だと思った。例によって音声ガイドを借りた。NHK大河ドラマ「竜馬伝」の影響もあってか、館内はたいそう混雑していた。一号館はオフィス建造物だから当然かもしれないが、美術館にしてはどの部屋も廊下も狭かった。県展の開かれている千葉県立美術館を見た後なので、その落差を大きく感じた。理想を言えば、再建一号館を記念建造物とし、美術館は見合った構造のものを新築するとよかった。
- 竜馬率いる海援隊がまわりまわって岩崎弥太郎の三菱商会になる。政商として海運業で大儲けをした弥太郎は、政府から丸の内一帯を当時のお金で120数万円で一括買い取る。地図で見ると当時は軍関係の土地であったらしいが、実際に一号館が建った頃は草ぼうぼうの野原で、三菱ヶ原と呼ばれていたらしい。美術展最後の絵「三菱ヶ原」は明治35年に描かれた。岩崎家は丸の内を単なるオフィス街ではなく、劇場も美術館もある洋風文化都市にしようと思っていた。劇場建設計画の証拠はないが、丸の内美術館の計画図は、岩崎邸新築図面と同じ頃の明治25年に引かれている。岩崎邸は建設されたが、美術館は作られないまま今日に至った。だが東洋文庫とか静嘉堂という形で文化研究と文化財保存の実を上げている。私は京都の泉屋博古館で住友コレクションを見たことがある。すでに半世紀以上の歴史を持つ。あれも立派だった。中国考古品の蒐集は質量共に群を抜いているのではなかったか。戦前の財界実業家は、一般の骨董趣味から抜け出た美術品蒐集を、一種のステータス・シンボルにしていたのであろう。財閥解体後は、コンツェルン・メンバーであった各社が、営々とその事業を分担し継承しているようだ。文化を担う姿勢は会社の品格を示す物指しとなって、選別され発展する原動力となるであろう。
- この美術展のポスターを飾る絵は岸田劉生の「童女像(麗子花持てる)」で、大正10年に描かれた。劉生と言えば麗子像だ。何枚あるのかな。私は人物像は顔の描写に集中して鑑賞する。だからだろう、はじめは1枚の絵が、展覧会が開かれるたびに持ち回りで飾られているのかと思っていた。でも顔は同じだがよく見ると絵は皆違う。ここのは、一張羅のスコッチ風洋服を着ている。画家は、これを着せて描いたら、技が一皮むけたという意味の言葉を吐いたそうだ。麗子のその後も音声ガイドが伝えてくれた。彼女は16歳で父画伯を亡くし、父の思い出記を書き上げた翌年、46歳でこの世を去る。彼女自身も、父の血を受け継いだのであろう、多彩な芸術家であった。
- 西洋の美術品にはギリシャ神話を題材にしたものがいっぱいある。人間性豊かな物語が多いから、そこから(物語を知っている)人々の共感を得る造形につなぎ易いであろう。初めて西洋音楽を聞いた日本人は、なんと五月蠅い音楽だろうと言ったそうだ。暗黙の了解事項が欠けている相手は理解してくれない。だから明治時代の中国文化圏では、ギリシャ神話は素材に不適切だ。山本芳翠の十二支シリーズは、文化の背景が芸術の理解に必要なことをしっかり物語っている。最初の「牽牛星」は七夕伝説の織姫が牽牛を待ち焦がれるシーンで、暗い夜に明るく浮かび上がらせた織姫の、古代衣装を身にまとった姿も魅力的だが、顔の表情がまさに物語に沿ったこれ以上は画けないと思えるほどの傑作だ。音声ガイドが言ってくれなければ、小さく暗く薄い牽牛の姿を見失うところであった。
- 2つめは「殿中幼君の春駒」で、徳川第3代家光の竹千代時代を描く。春駒という遊びはもう廃れて周辺では見ないが、明治にはまだ生きていたらしい。付き添っているのは春日局という。将軍の座を両親が傾斜していた次男から奪い返す話は、天下に著名である。3つめは「祇王」。平家物語の悲しいヒロインの1人である。清盛の寵愛が去って、嵯峨野に隠棲すべく旅姿になり、出発前であろう屋敷の少女と最後の語らいをしている。物語が解っているから容易に情景に入り込める。それに隠棲先の尼寺・祇王寺を訪問したことがある。今でもそう賑やかな場所ではない。あの当時だったら、さぞわびしさも極まった場所だったろう。十二支シリ−ズのうち現存する絵は10枚だ。後の2枚は戦災で岩崎邸が炎上したときに失われた。間違っているかもしれないが、卯と辰で、この2枚だけには人物が描かれていなかったらしい。芳翠の弟子が記憶に基づいて残したスケッチがあるだけだ。以上はDGで得た知識である。
- 百聞は一見に如かずというが、なかなかどうして耳で聞いた知識が、忘れかかった視覚的知識を思い出させることがある。この展覧会では黒田清輝の「裸体婦人像」がそれだった。モデルは西洋人だ。それでも裸体を人目に曝すなどは風紀を乱すということで、展覧会では下半身を赤い布で隠して展示したという。さもありなん。彼の「春の名残」もなかなかいい作品だ。清輝は芳翠とともにこの美術館では別格らしく、DGには数多くが収納されていた。千葉県立美術館には浅井忠のコレクションがある。この展覧会では忠の「花畠」が出ていた。清輝と忠はほぼ同期で共に洋画の開祖だからよく比較される。忠の作品が取り囲む雰囲気では忠の方が上のように思うが、少なくともここでは清輝の方が上のように感じる。おかしなものだ。音声ガイドではあと1枚、坂本繁二郎の「林檎と馬鈴薯」を取り上げていた。地味すぎて私にはも一つ印象が良くなかった。他の鑑賞者もそうらしく素通りが多かった。梅原龍三郎、安井曾太郎は、例外もあるが、たいていの場合は一目で誰の作か見当が付く。個性とは大切なものだ。
- 近代西洋画の泰斗:ミレー、ドガ、ルノワール、モネ、セザンヌ、ルオー、シャガールetcの絵はほとんどが個人蔵である。美術展の主旨からすれば三菱関係者たちと言うことか。ルノワールに「パリスの審判」という作品がある。それをフランス遊学中の梅原龍三郎が自己流に模写した同名の作品が並べてあった。模写と書いたが、構図以外は全くの梅原作品だった。洋才和魂を絵画でやって見せたという作品だった。
- 文書類のコレクションが学術的に価値高いことは解っている。中国ではすでに失われた文献で我が国に大切に伝えられたもの、コレクションの一括購入で逸散を防げた貴重な中国文献など、尊大姿勢が目立つ中国現代人に拝ませてやりたい品がいくつも並んでいた。でも美術展では古文書など並べられても迷惑である。美術と称する以上はせめて書道ぐらいまでにしてほしい。三菱の祖、岩崎弥太郎の書「猛虎一声山月高」はなかなか雄渾達筆で、「竜馬伝」では何か粗野に過ぎる人物のように描かれているが、彼が勉学にも励んだ人であったことを物語っている。この一行は中国古典からの引用らしいが、その頃の中国では人里近い山地でさえ虎が姿を見せていたのだ。今は絶滅しているはずだ。古地図類は佐倉の歴博でたっぷり見ることが出来る。でもシーボルトの日本地図は目新しかった。もし地図に描かれた国の大きさが国勢で左右されるものだったら(昔ほどその傾向は強かったと思う)、西洋人の見る日本が昔は中国とそう劣らぬ大国のように写っていたらしく思われるのは愉快だった。
- 名もなき絵師による「四条河原遊楽図屏風」には、立ち止まって音声ガイドに2回も耳を傾けた。江戸初期のまもなく享楽奢侈禁止令が出る前の華やかな京都だ。四条河原は川東に歌舞伎の南座がある、今も京都の繁華街である。絵では川が何となく蛇行しながら流れている。堤の土手が見えない。はて江戸期に入ってもまだ洪水対策はなかったのだろうかと一瞬思った。「加茂川の水、双六のさい、山法師」が白河院のお嘆きの対象だったが、あれは平安時代のはずだ。中央の往来をかぶきものが歩いている。だから慶長から寛永の頃の絵だ。吉川観方に「入相告ぐる頃」という作品がある事を思い出させた。その絵は夕刻を告げる鐘に促されて家路についく、男女のかぶきものを描いていた。お国歌舞伎の流れと説明された遊女歌舞伎の一瞬を捉えている。刀を差した踊り子の一団が、花形役者を取り囲んでいる構図だ。皿回しに犬の芸、檻に入れられている見せ物動物他数々の遊興で溢れている。
- TVの人気番組「なんでも鑑定団」には、しばしば応挙や崋山が登場する。TV画面で見ているとさっぱり真偽の判断が付かない場合があるが、現物を前にして比較できたなら私でも解ると思う。それほどに本物は立派なのである。ただ同じ作者でも出来不出来はあるし、興に乗ってさらっと一筆であった場合もあるから、そんなに簡単だとは言えないだろうとも思う。ここに展示されている品は本物の中の本物だ。数は多くはないが、一品ごとの評価だったら国立美術館級である。工芸品についても同じで、天目茶碗、井戸茶碗、色絵吉野山図茶壺、三彩嘶馬、浪月蒔絵硯箱など圧倒的だ。とくに嘶馬は、読んで字のごとく馬がいななく姿を活写した大型の着色塑像で、中国の博物館のどこを探しても、こんなに素晴らしい出来の品はないのではないかとさえ思った。岩崎家の収集力に敬意を表した。
- ポスターのコレクションが1室を占めていた。日本郵船の「青い着物の女性」は、日本語版のほか海外向けに英語版も印刷されたという。私はクルーズ歴が11年ほどで日本郵船の船に再々お世話になっている。その会社の歴史博物館も訪れている。しかしこんなポスターがあったとは知らなかった。モデルの女性の髪型は当時流行った203高地だと音声ガイドが言った。明治屋はキリンビールの販売代理店だったようだ。展示明治屋ポスターのモデルは、当時の売れっ子新橋芸者だそうで名もはっきりしている。麦酒脇のガラスコップの飲み口を水鉢で洗っている姿を映している。こちらの髪型は高島田だった。そごう千葉店9Fには昔のポスターを随時展示している。今その中に大日本麦酒のものがある。やはり美人が麦酒に絡んでいる。彼女も高島田だった。あのころの麦酒は高級飲料であった。
- 途中で時間になり昼食に出ようと思ったが、再入場不可というので我慢した。一号館内に、銀行営業部空間の雰囲気を保ったままに作られたレストランがあると聞いていた。美術館とは内部で結合されておらず、一旦外に出なければ入れない。家内連れだったらそうでもないだろうが、旧銀行の石段を上がり、重々しい扉を開けて入るのはちょっと抵抗を感じたので止めにした。一号館裏の丸の内ブリックスクエアの小庭は、鑑賞に疲れたものには丁度いい憩いの場であった。
('10/11/04)