土の科学U

本HPの「土の科学」の続きである。久馬一剛:「土の科学−いのちを育むパワーの秘密−」、PHPサイエンス・ワールド新書、'10に対する私なりの感想の後編である。
日本は多雨地帯だ。酸性雨が降る。大気中の酸性ガスが炭酸ガスだけだったとしてもpHは5.6、今はことにお隣・中国の工場排煙のおかげで4.7ほどに下がっている。その水素イオンが土中の陽イオンと交換をして、金属イオン、アンモニウムイオンを流し出す。だから土は酸性だ。植物は金属イオンを吸い上げれば水素イオンを吐き出し、陰イオンを吸い上げれば水酸イオンを吐き出すが、トータルでは土を酸性化へ導く。風化で最後まで残るアルミニウムとか鉄の酸化物は酸性が上がると溶解しやすくなるが、今度はリン酸を捕まえて難溶性化合物にしてしまう。で、植物必須のリン酸が不足した状態をもたらす。さらに酸性が上がってアルミニウムイオンが溶け出すと、根の伸張が阻害される。このイオンは有害なのだ。はるか縄文時代のご祖先が、苦労の多い水田の稲作を選択あそばされた理由が分かるではないかと本書は言う。
乾燥地帯の土は風化途上で農業用土壌としては未発達だ。でも降水による洗脱を強くは受けていないから、必須元素という養分はリッチだし、土の酸性化も進んでいない。灌漑農業は豊かな農産物を約束してくれる。でも灌漑用水が問題だ。川水はきつい硬水だ。ミネラルを日本の10倍も含んでいる。その水が元々の表土の塩をさらに溶かし込み、毛管上昇で地表に現れ、蒸発すると、農耕地はTVで喧伝されている塩害地帯となって、もう人類はそこでは半恒久的に農作物を作れなくなる。インダス文明、メソポタミア文明は何千年の歴史を塩害で終焉させた。エジプト文明は毎年の洪水が蓄積塩類を洗い落とし、肥沃表土を積み上げたので、永続できた。過放牧と過耕作が地球の砂漠化を加速している。東南アジアのマングローブ地帯の開墾は、地下の泥炭層を炭酸ガス化し、地盤沈降が元々湿地帯であった地域の排水をさらに悪くし、最後はその場所を農耕放棄地にしてしまう。1haあたり自然が造成する土壌は1t/年だが、農業は10-20t/年の速度で表土をはぎ取っているそうだ。さりとて食わざるを得ない。人類の悩みは尽きない。
マメ科植物の根には根性菌が共生していて、マメは窒素を菌から貰う代わりに、菌に生活養分を供給する。田植えの前、乾田はレンゲの花盛りになる。レンゲはマメ科で空気の中の窒素を固定する。これを鋤き込んでイネの肥料とする。この話は中学生の頃には知っていた。この根性菌は好気性だ。水田のイネの根には、嫌気性の窒素固定菌が何種類も張り付いて共同する。窒素固定に働く酵素に酸素雰囲気は有害だ。菌内ではヘモグロビンに似た構造のタンパクが環境を守っている。水田ではまず水の層が酸素を遮断してくれるから有利で、畑のムギより水田のイネの方が2-3倍も多くの固定窒素を受け取っている。
大気中の窒素ガスを生体の窒素源とするには、大変大きなエネルギーが必要だ。アンモニウム塩を施肥されると、そちらからの方が楽だからだろう、根性菌は働きを止めてしまう。私は高脂血症特効薬スタチン剤が、免疫力を抑制してしまうことを知って驚いたことがある(本HPの「コレステロール」)。自然界の動的平衡はどのレベルでも誠に微妙である。里山は手入れされなくなり、落ち葉などで富栄養化して、マツタケの生産が減り、マツ自身も、貧栄養土壌を他植物との生長競争上の育成条件にするところから、広葉樹に置き換わられようとしていると言った話が本書に見える。小笠原諸島の固有種生物の、人持ち込み生物による絶滅危惧化をよく聞かされる。これもその例の1つだ。
ハーバー・ボッシュ法は、当時の窒素肥料による食料生産限界説を吹っ飛ばした。カリ鉱山の発見は、それまでカリ源を植物灰や堆肥などに頼っていた農業に、安堵感をもたらした。この夏に私は合掌造りの五箇山に行ってきた(本HPの「五箇山定期観光バス」)。そこで加賀藩の黒色火薬の原料の硝酸カリが、堆肥そっくりの製法で製造されていたことを知った。江戸期がもしも戦乱の多い時代であったなら、日本の森林資源は火薬に回され、施肥分は少なくなっていただろう。森は減り、ただでさえ食料生産にたいして過密状態の人口は、ぐっと減少していただろう。カリ鉱は枯渇には遠く、まだ200年以上持ちこたえられる。
肥料の問題はリン酸鉱である。植物の根はリン酸を吸い上げ濃縮する。吹き出した溶岩の10倍からの濃度のリン酸が土壌に含まれる。でも作物はリン酸をリサイクルしない。頼りはリン酸鉱石だが、あと90年分ほどしかない。資源国は輸出規制に取りかかった。枯渇のときが来たら、化学肥料が入る前の日本のような完全リサイクル状態に戻って、糞尿から食い物の切れ端までを回収するシステムを必要とする社会になる。戦前のように、肥桶を積んだ大八車が町中を往来するのではない。たぶん汚水処理場の廃泥からリン酸を回収することになるだろう。人口はそのシステムの機能状態で制限される。でもその前に、どの国も少子化と人口減少の時代を迎えているようにも思う。
アメリカを先頭に欧米の畑作農業は近代化の荒波に揉まれ、大規模経営の、化学肥料と農薬を用いる単作連作の機械化農業に代わった。牧畜業は農業とは切り離され、抗生物質を餌に混ぜて病害を駆除する、食肉生産工場的に家畜を飼育する事業になった。土壌が一次的役割を終えた感があった。だが食の安全性、環境保全の問題が顕在化し、自然との調和が見直されつつある。水耕(養液)栽培は近代化の極限である。占領軍が人糞を肥やしとする日本農業に不衛生を感じ、軍関係者に衛生生鮮品を届ける事業として出発している。今日本には50工場ほどが稼働している。レタスなどの野菜生産では実績を上げている。換金性が高く、嗜好品的価値もあるような作物ならいいが、主食のコメやムギの生産には経済的に向かない。
お稲荷さんのであったか、おみくじに適正職業が羅列してあった。子供の頃、大吉から凶までのおみくじを並べて調べてみた。農業がすべてに入っていた。土が人を癒す効能を持っていることは古来から知られていた。兵庫県などには園芸療法士なる資格があるそうだ。ちかごろTVでは英国のガーデニングをよく紹介している。私はあまり耳にしないが、クラインガルテンはたぶんドイツの市民農園を指すのだろう。そんな運動がドイツにあり、歴史も古いことは知っている。我がマンションには一坪菜園が中にあり、土いじりに精を出す人を見かける。ときおり作物の盗難事件が起こる。だが、耕作者はほとんどが穏やかな人さわりの良い人々である。
お薦めできる農学一般啓蒙書である。50代以上の人は都会暮らしでも生涯に一度は土に親しんだ経験があるだろうが、それ以下では全く無経験と言える人がいるだろうと言う指摘がある。本書は土を握ってみるところから説き起こしている。ぜひ若い都会生まれの都会育ちの面々に読んでほしいと願う。

('10/10/07)