飾り窓の女


私が愛する村温泉は垢抜けした和風建築である。町おこし村おこしのブームに乗った事業だったろうが、やたらと箱だけ目立つ税金無駄使い型に比べたらよほど魂がこもっている。捨て犬騒ぎの話に出てきたタヌ公の出没する温泉とは別である。山裾の見晴らしの良い高台になっていて壁面全体がガラス窓である。さすがに本道からは見上げることは出来ないが、わき道からは浴室が丸見えの構造である。わき道は近道であるから、しょっちゅう人が覗いて行く。女風呂も覗けるおおらかな作りである。私は昼にしか行かないから中は薄暗くて良くは見えぬが、暗くなってから通る連中は良く見えることであろう。ガラス越しに見る素裸の女。ガラスに沿って一人寝れるぐらいの平らな棚がある。大抵はばあさんである。顔を背けて通るのを平然とやり過ごす。
ロンドンではタクシー運転手が日本人と知ると戦争談義をふっかけてきた時代である。ヨーロッパにでも行くときは水杯の時代であった。でも皆好奇心旺盛だった。私より一足先に出た先輩はハンブルグにかの有名な飾り窓の女を見に行った。地理なぞ全然わきまえぬ旅行者だからタクシーの世話になった。昔の理工系は今よりずっとドイツ語が達者だったが、そんな機微まで話せるドイツ語は習わなかったはずである。先輩は運転手を納得させるのにこう表現した。Nicht zu machen, nuhr zu sehen. 話は通じて清遊を楽しめたと我々を煙に巻いた。本当の所はどんなものかと想いながらずっと忘れずにいた。その飾り窓だってこんなに大きくはない。
田舎に行くほど仕切りなどやかましく云わぬ。大体昔は男女混浴が当たり前だった。ただし心の仕切りはうるさかった。九州山地のホテルの露天風呂に壁からうたせ湯が落ちていて、ふと気が付くとその下が両浴場の通路だった。もちろん水面化になっていた。昔からの健康な湯治場である。
總桧作りの香り高い湯舟から上がって体を擦っていると、見知らぬじいさんがやってきて背中をやりましょうと云って洗ってくれた。礼を云って今度は私がと言うと自分はもういい、素直に洗わせてくれて有り難うと言い、次の人に移って行った。会話からここの村の隠居らしいことは見当がつく。毎々そんな人にぶっつかる訳ではないが、当世の人情風呂である。ここは中性の癖の無いお湯で強い印象がないのがよい。以前湯上がり時に肌がツルツルになる経験をした温泉のpHは8程度と覚えていたが、誤りで実際は、9.4だった。もう一度出かけて確かめてきた。これなら温度が高いこともあって、皮膚の角質がやられてツルツルになるのも納得できるように思える。いつかこのpH液を作って試してやろう。
学生もちろん男子学生を捕まえてmachenにいろんな意味があることを語る。某教授も話していたが、こんな時の反応は二通りである。私の相手は分かったらしかった。

('95/06/18)