戦後世界経済史U
- 猪木武徳:「戦後世界経済史~自由と平等の視点から~」、中公新書、'09の後半を読む。前半は二次大戦終了後からソ連崩壊期までの先進諸国の経済史で終わった。では中進国、後進国ではどうであったか。
- 韓国と台湾それから香港にシンガポール。これらの諸国は経済史上の優等生である。植民地が独立後に辿った軌跡を分析して、宗主国の植民地時代の貢献が評価されている。宗主国が官僚制度、経済制度をはじめとする社会機構を移入した地域と、一握りの支配役人、医師とか宗教家が現地にやってきただけで、収奪的支配に終始した地域に分けたら、前者の方が圧倒的に独立後のパーフォーマンスがよい。そしてそれが私的所有権を保証する政治体制であるか否かが経済成長にとって決定的に重要であるとされている。旧植民地の人々はそんな「妄言」を頭から否定するのが常だ。韓国人はことに激しく日本の貢献を否定する。韓国は植民地時代親日派財産没収作業を終了したという記事を見た。被支配民の苦痛に耐えながら、近代化へのエッセンスを汲み取る努力を怠らなかった人々に、もっと寛容になれないのかと思う。でなければ、李朝朝鮮の民情のどこに近代化の目があったと云えるのだろう。
- 紅衛兵までの中国の迷走は社会主義体制の欠陥を世界にさらけ出した。他の東欧共産圏諸国とも共通して浮かび上がる問題点は、トップダウン的意志決定が、公正無私の神が行うのならともかく、経済の政治権力争奪の道具化を促進し、本来の方針判断の最高の指標である価格とかコストが度外視され、戦争末期の日本軍のような、架空の目標や架空の成果が、実態を離れて空中を飛び交うだけという状態に陥ることである。本HPの前半に関する記事にコルホーズの例を挙げた。共産圏では現場の発想によるボトムアップは、成功報酬の利潤享受の見込みはおろか危険ですらある。安全にリスクを取らず賢く立ち回るだけの、意欲に欠けるその後の国営企業の末路はあちこちで報じられた。経済浮上に成功した諸国が軽工業からとりついているのに対し、のたうち回らねばならなかった諸国では、重化学工業化に回り、それまでの国を支えてきた産業の農業を重視しなかった点も共通している。
- 共産圏内の社会主義政権の中にもまた自由圏内の社会主義政権の中にも、政治的思想的不自由と経済的自由を微妙にバランスさせて成長を遂げようとした試みもあった。部分的に成功した例もある。またソ連体制の崩壊の引き金となったケースもある。ハンガリーの動乱で一度はソ連の戦車に押しつぶされた自由の芽は、新経済メカニズムという形で根強く生き続ける。中南米、インドとパキスタン、アフリカ大陸諸国の経済展開についてはあまり知識がなく、私には新鮮な記述であった。たとえばブラジル。人口の2/3が都市に集中する失業慢性化地帯である。左翼勢力が伸張して軍部クーデターを誘発し、輸入代替工業化、国有化、土地改革、税制改革から外資導入による開発政策に転じ、一時はインフレ抑制に成功する。コーヒー農業国から、安価な労働力を当て込んだ多国籍工業拠点化による工業製品輸出国になた。しかし'80年度末の経済はまさに破綻寸前の深刻な情景であった。
- 2度の石油危機を躱しきり、順調に発展を遂げる日本は、「不思議の国ニッポン」であった。続く韓国、台湾、香港、シンガポールの4匹の虎は80年代に入っても8%前後の高い成長率を維持した。NIESs諸国と呼ばれる。第2世代のタイ、マレーシア、インドネシアといったASEAN諸国も7%台の実質経済成長率を示し、欧米諸国のアジア=停滞の先入観を根底から覆した。農業の活性を維持して貯蓄を輸出型産業(工業)への投資に回す。日本の直接投資も重要な因子であった。部分的な保護主義政策は各国に残ってはいたが、全体として自由競争の時代であったことも幸いした。米国では熾烈なアジア間競争が繰り広げられた。インド、パキスタン、スリランカを含む南アジアは対照的に国内市場の輸入代替工業化戦略を採用していた。貧富の格差はいずれの国ににも存在する。日本は総中産階級化と言われた時代があった。「東アジアの奇跡」を実現した諸国は世界の中では格差が低い部類に入るという。意欲のない奴隷的境遇にない層とか階級が、社会のメジャーを占めていることが大切なのだ。ASEANに負けじと追うベトナム、虎にとって今や脅威の竜である中国。
- 国鉄の新幹線と民営化の成功は、軒並みに赤字の斜陽産業であった世界の鉄道産業再生のよき指導指標になり、さらにもっと大きな意味で、新自由主義者に自信を与える結果になった。直接新幹線の開発に言及しているわけではないが、ヨーロッパの技術開発力が、中小企業規模の改良レベルに終始して、大型の根本的技術革新という意味では米国の後塵を拝しているという指摘には要注意である。これはノーベル賞に関してもはっきり傾向が出ている。米国のR&D政府支出の大きさが群を抜いている。いとかわ探索機はイオンエンジンという世界に例のない技術での成功だった。今、光量子による帆船の探索機が金星に向かっている。これも世界初の技術だ。iPS細胞の研究が世に出た。伝えられる外国の報道から見ると、世界は日本の先端科学と技術を認識し、創造性のある国と位置付けたようだ。それが先進国の大切な条件の1つである。アジアの虎や竜は、オリジナリティに関しての水準をいつになったらクリアするのだろう。
- 1980年代から20世紀末にかけての世界経済は、まさに最終章の題名にふさわしい「破綻」の時代でもあった。既出の通り、ラテンNICsの4ヶ国が借りまくった外資の重みと、世界の経済成長の急ブレーキによってまず破綻する。急ブレーキは石油危機により引き金を引かれた。第1次のときはまだしもこらえ切れたが、第2次石油危機には対応できず、国家破産を起こす。アジアの通貨危機は'97年にタイから始まる。インドネシア続いて韓国とその連鎖が瞬く間に広がったことは記憶に新しい。IMFは救済にパッケージで資金供与を行う。日本も多大の資金拠出を行っている。日本はアジア諸国に産業資本の形で進出していたから、投機的資本とは違って債務悪化に直接悪影響が出るというわけではなかったが、香港返還とともに中国市場への関心が資本移動の方向を変えた。
- ベルリンの壁の崩壊を象徴的な出来事とする社会主義体制諸国の破綻は無残であった。労働意欲を持てば異端児になる体制が長続きするはずがない。敗戦により40万人の軍人、軍属がソ連に「拉致」され、収容所入りとなり、強制労働に服務させられた。6万人が死亡した。幸い帰国できた人々の証言は上記結論を強烈に支持している。でも我が国がその貴重な経験を充分に参照したとは言い難い。経済学者の半分はマル経奉信者であったし、社会党の村山氏が首相を務めた時代もあった。インフレ、マイナスの成長率、高い失業率など程度の差はあれ、旧共産圏は自由経済への移行に苦しむ。
- 今、旧自由圏先進諸国はアメリカ発の金融危機に悩む。刷りまくったドル紙幣が世の中にだぶつき、金利を求めてのたうち回る。資金に見合うだけの成長産業がある間はよかった。それが見失われた。で、自由圏経済の暗黙の了解事項といえる投資リスクに関する透明性が、金融工学という手法と本来中立性あっての格付け会社の恣意的評価によって、失われた。つまりモラルハザードを起こしたのであった。回収困難な低所得層向けの債権を、訳の分からぬ組み合わせ債権にして、安全性を見かけ上高くした結果と言われている。以上は本書に出てくる論理ではなく、私の勝手な推論である。本書には80年前に比べれば比較にならぬほどに政府の予算規模が大きくなり、互いのネットワークが世界規模の金融危機に敏速に対応出来ていることを評価している。
- 本書が、お金の世界だけではなく、広く人間の本性、社会、文化、政治の影響にまで言及した、一種の文明論であることに、私は目から鱗が落ちる思いであった。
('10/07/26)