富山と岩瀬
- 大人の休日パスによる3日間の旅から戻ってきた。天気予報を検討して選んだ旅程だったが、日々梅雨前線は微妙に動く。中日の五箇山バスツアーのときは終日雨に祟られた。大雨でなかったのはまだしもであった。初日は富山、2日目は福井に泊まった。
- 富山には14:39に到着した。沿線では北陸新幹線の建設状況を見ることが出来る。順調に仕上がりつつある。富山駅は新幹線プラットホーム建設のために仮駅になっていた。降りた頃から小雨だった。薬行商人の像の前を通って宿に入る。戦後すぐに富山の薬売りが再開し、荷を背負った行商人が京都の我が家にも来たことを思い出す。でも3-4年で途切れてしまった。薬価の回収に来なかった薬売りもいた。まずは宿にチェックインして身軽になる。
- 駅の地下道を潜って北口に出る。南口にはストリート・ミュージシャンが陣取っていた。地下道の北側の広場にちんどんからくり時計があり、ちょうど演奏をしていた。富山では春に全日本チンドンコンクールが開かれる。この広場にはスケートボードの若者が2-3名いた。またホームレスらしき3-4名もたむろしている。北口は今後の富山を担う新開発地のようだった。富山ライトレールのターミナル富山駅北がある。電車はなかなか瀟洒なPortramと言う名の2両一体型の車両で、since 2006とあった。もとはJR西日本の線路だったが、第3セクター化し路面電車にして運営している。200円均一。終点の岩瀬浜まで乗る人は少なかったが、市内での利用者は多い。電車の発着数も多く、市民の足として定着しているようであった。
- 駅ごとに案内パネルがあっていろいろ教えてくれる。停車時間が短いから斜交いに読まねばならぬ。今と違って、我々世代の国語は読み書きが主体であった。だからか、斜め読みでも結構意味を取ることが出来る。「線路に平行して運河が走っている。途中に水位の高低差2.5mを調節するパナマ運河形式の水門がある。今は陸上輸送に切り替わって使われなくなったが、富山港から富山市までの工業地帯を支えた物流幹線であった。」などと書いてあった。車窓の水田はよく区画整理が出来ていて農業近代化への努力が感じ取られる。
- 諏訪神社の境内に入る。町の規模から見れば広い。本殿は最近に新築したらしい。以下デジカメに写った写真から散歩経路を思い出してみる。岩瀬山巒昌福寺、旅館松月、お土産処松ぽっくりを過ぎて昆布巻き棒鱈煮の暖簾がある野村商店の角を曲がると、古い町並みという印象がだんだん濃くなる。久保鍼灸院、華道師範の家、上行寺、久保陶器店、願了寺、満寿泉という商標の田尻酒店、大きな酒蔵が海に向かって続いている、盛立寺の瓦屋根、岩瀬商事他の雑居家屋、なぜか名物三角どらやきの大暖簾のある大塚屋、その横が休憩所になっていて銅作りの北前船の模型が置かれている。なかなか精巧だ。北前船回船問屋森家はお目当ての重文である。この町では3番目に大きい問屋だったという。ガイドが説明に当たっている。倉敷レーヨンの大原総一郎の所有になった時代があるという。彼は棟方志功に仏間の版画作成を依頼した。その複製が壁に掛かっていた。
- 座敷とか仏間の天井板が、節目のない年輪模様の板で、細部にまで金に糸目を付けずに建設された証として語られた。建築当時は裏が神通川で回船問屋としては好適のポジションであった。土間の通路が表と裏をつないでいる。漂流船長者丸の説明パネルは面白かった。難破し救助された後5年にわたりアメリカ、ロシアを彷徨、帰国後は6年間も吟味取り調べを受けた乗組員10名の物語である。鎖国の日本の実情を外に伝えるとともに、外の知識を我が国にもたらした。明治期太政官布告て、千石船が150(純積載?)トン、五百石船が75トンに換算されたそうだから、長者丸の650石積は今風には100トン未満の小船である。千石船は28mLx8mWx2.5mHほどという。それから換算すると260~270国際総トンほどと求まる。とにかくびっくりするほどの小船である。
- 北前船の活躍を示す展示はあちこちの博物館でお目にかかっている。このHPにもメモを残しているが、船の科学館に詳しい解説があった。'05年の日本一周クルーズでは伏木に立ち寄り、そこの回船問屋を見学した(本HPの「伏木」)。部屋数が16もあったと記している。大正に入って和船の世界は急速に萎えていった。
- 旧岩瀬銀行から佐藤釣具店に歩く。昔ながらの看板がいい。生えさの自動販売機がある。諏訪神社春祭礼の曳山車10基の彩色図が飾られた民家があった。喧嘩山車で、壊れるまでぶっつけ合うのが習わしだそうだ。忠霊塔がある。養願寺、岩瀬小学校、公民館、図書館、正源寺、西宮神社に立ち寄る。このあたりでは雨はもう本降りである。お宮さんにはケヤキの大木があった。お寺もお宮も大都会のようにチマチマした作りでないのがいい。でもお宮の境内は駐車場化している。東岩瀬駅からPortramで富山駅北に引き返した。東岩瀬駅のイラスト・パネルに北前船と売薬さんの関係が説明してあった。森家で見た漂流北前船は、売薬商の持ち船であったと思い出した。ホテルに帰る前に晩飯をと思い、とやま駅特選館3Fのレストラン街で、シラエビかき揚げ丼を食った。どこかのHPに特産とか名物とかと書いてあったのを記憶していたのである。味噌汁とあと1品付きで750円だったか。シラエビは小えびだからカルシウムの固まり。特にうまいとも思えなかった。たいていの食堂のメニューに入っている。声の大きな姉ちゃんの店に釣り込まれて入った。
- 次の日、五箇山観光に出た。これについては別記する。駅北口に戻ったのが16時だったので、富山城見学に歩いて出かけた。かって富山大学キャンパス見学の帰途に立ち寄ったことがある(本HPの「富山」)。途中は官庁街になっている。前と同じように富山城天守閣に上り、周囲を一望し、改装中の城跡を眺めて次の目的地である福井行きの特急に乗った。富山城は加賀支藩という位置づけなのだろう、金沢や福井の城に比べると貧弱に思える。石高も10万石と少ないから当然かもしれない。でも遙か昔に見た越前大野城よりは立派である。ただ大野城付近には武家屋敷が残っていて、江戸時代の雰囲気がまだ感じられた。富山は城だけという差はある。戦国末期の、前田家整備以前の富山城は存在位置も正確には分からないという。江戸期と比べると、本丸区画だけが旧跡として残っている。現在の天守閣は再建のコンクリート製で、郷土博物館となっている。
('10/07/10)