衆愚の時代
- 楡周平:「衆愚の時代」、新潮新書、'10を読む。題名は、古代ギリシャの衆愚政治を連想させる。高校の世界史で習った。民主制が陥ったこの泥沼からギリシャのポリスは立ち上がれず、文明は衰退して植民地化してゆく。確かにその内部だけが世界のすべてであるなら、エゴの主張できる社会は居心地がいいだろう。だが隣には鵜の目鷹の目の地中海社会が広がっていた。衆愚政治の現在に投げかける教訓は、自愛最優先社会の危険性であろう。戦前からの世代である私は、いろんな社会体制を経験してきた。今、日本は「衆愚の時代」に入り込んだと危惧している。
- 本書のもうイントロのページから吐き出される、マスコミとそこに登場する識者の近視的意見に対する憤激は、誰しも経験するところだ。でも彼らも売れなければ飯の食い上げである。売る対象は多数派である衆だ。浅はかな評論ともいえない評論を口走っても、衆を繋ぎ止めることが出来たら大成功で社内の評価が上がる。彼ら自身は安定した居心地のいい環境に暮らしつつ、仏様のような(空想的)理想論を唱え、苦境にある当事者の多数側に立って、もう一方を論難する。もう一方とは責任のある方であり財布を握っている方である。それを「弱者の視点」と称する。全部が全部そうではないだろうが、まずはメディアとは衆愚のお祭り会場と切り捨ててかからないと、楡さん、体が持ちませんよ。
- 派遣切りなど上段の典型だ。量販店での買い物の産地表示に中国製、ベトナム製、タイ製などを見かけるのは当たり前になってきた。どんどん海外に工場が移転し製造業が空洞化して行く。自由競争下では日本は日本の1/10~1/30ほどの低賃金労働国と対抗せねばならない。派遣切りを許さず、正社員並みの給与で、終身雇用するには、全体をたとえば中国の賃金のさらに1/2に引き下げねばならぬ。中国ではまだ景気による雇用調整が可能だから。製造業は非熟練労働力を大量に吸収できる唯一の事業カテゴリーである。これが成り立たなくなると完全失業率がさらに上昇する。今は低賃金国の労働力の質は、まだ日本ほどではないとしても、いずれは我が国に近づく。派遣労働者の範囲は増加せざるを得ないだろう。そもそも派遣社員の制度は、マスコミの終身雇用・年功序列の打破、実力主義採用のキャンペーンがもたらした徒花と言う面がある。
- 池袋デパ地下の駅弁祭りをTVが映していた。弁当が話題になると私は決まって土門拳の写真集<筑豊のこどもたち>の1枚を思い出す。小学校の教室の昼時、弁当を食っている周囲の中に弁当のない子が写っている。まだ戦後と言える時代であった。私の小学校時代は戦中だった。昼休みに入ると生徒が減る。大半が家に戻るのだ。雑炊や大根飯は弁当にならなかった。本書では弁当の効用を社会教育の面から捉えている。才能、努力、根性、適不適、運不運など数えればきりがないほどに、人間社会には格差を生む原因があり、人はそれを背負って生きている。弁当は母の愛情の他に家庭の社会的地位をも反映している。給食など止めたらどうか。日産のゴーン社長は年収が9億円弱だそうだが、世界標準から見ればささやかなものだと本人は嘯く。一方では時給800円の仕事にあぶれることもある人たちがいる。学校の運動会で優勝とか1等が無くなった時代があった。格差を幼い目から覆い隠し、平等を演出して何になる。
- 戦後まもなくに中学校を受験した。算数の口頭試問に大失敗をやらかした。雨の中にいろんな形の瓶があって貯まった水の量と高さの問題だった。折角試験官が間違い訂正のヒントをくれたのに、その言葉を罠と勘違いしたのであった。あれから何十年の間に、何度も受験を経験し、逆に試験官の立場に立ったことも何度かある。人物考査に限れば4,5分の口頭試問程度でも評価にかなり参考になる。昨年度であったか、新幹線の隣席にそれと分かる若者が座ったので、ちょっと世間話をした。彼の身の上を当て推量で言ってみたら当人は驚いていた。面接では本音を自然体でと忠告して分かれた。幼稚園から就職まで、お受験には虎の巻から塾まであってそれぞれに繁盛しているとか。たまには見落としが出るが、海千山千の人事プロがマニュアル通りに演じていると見抜けぬはずがない。本書が指摘しているとおりだ。大学のPTAなど当たり前になった。今は就職後の新入社員にPTAが必要だ。難関大企業に就職できても思った仕事をさせないと簡単に離職する。社会の構造をまるで理解していないからだ。この未熟さをカバーするために、親はPTAでバックアップし、絶えず若者の心のケアを心がけるべし。これは著者ではなく私のダジャレである。
- 最貧生活とは1日1ドル以下で暮らすことだ。芸術家の卵の中にはそれでも夢に向かって努力できる人がいる。偉人伝には赤貧洗うがごとき生活で、ときには病魔と闘いつつ大成した感動物語も流布している。日本の偉人の場合は、たいてい奥方の内助の功あっての物語で、一人でついに成功した話は少ない。林芙美子の「放浪記」は1日1ドルの実態を朗らかに描写している。あの不屈の精神が芙美子を生前に名成り功遂げさせた。希有の存在だ。かっこよく夢を追っかけても、生活基盤がなければたいていの人は1-2年で顎を出す。昔はプータローだったのが、いつの間にかマスコミはフリーターともて囃す?ようになった。間違っている。フリーターは苦しいよ。定職を持ちなはれ。サラリーマンが一番。プロが社員の数だけいて、プータローのままでは及びも付かぬあらゆる手練手管を身につけさせてくれる。一段Aufhevenしたところで、我が身の夢とその位置付けを反省してみることだと著者は言いたいようだ。
- 琴光喜関の野球賭博がバレて角界は大揺れだ。琴光喜関は運悪く?も勝ったのがいけなかった。博打の定法通りにそこそこに負けておればヤーさんの脅迫も起こらなかった。左様、博打、競馬、競輪、宝籤、株、証券、外為とFX、投資ファンド。どれをとっても最後は統計的に言って負けるように出来ている。バブルがはじける2-3年前は右肩上がりの好景気で、投機は先祖以来の御法度などと言っていた私は、家では金槌扱いだった。妥協してちょっと木槌ぐらいに柔らかくしたおかげで、投資の2-3割を損してしまった。でも日経平均がバブル期の3万円から現代の1万円に急落している環境変化の中では、傷が浅かったと強がっている。
- 似たような話が本書に出てくるから面白い。組員でも営業マンでもテラ銭集めに必死だ。毎日親分、若頭あるいは上役に口汚く罵られながらノルマを追っかけねばならぬ。いつ精神病棟行きになるかしれたものではない、パワハラ、セクハラなど日常茶飯事のことである(とまでは書いてない)。社員のほとんどは兵隊(使い捨て、弾除け)待遇だ。あぶく銭を扱う戦場はごくごく一部の幹部を除いて地獄である。生きるためには人のよいジジ、ババをだますことなど当たり前の世界だ。インターネット取引で巨万を夢見たりする愚かさを突いている。
- 旧軍には叩き上げの将校がいた。兵隊さんの花だった。頭脳優秀、身体強健で空気を読む術に長けていなければ特進など考えられなかった。著者は幹部候補生待遇で始められるのは、今では超一流ランクの東大、京大、慶応大、早稲田大卒ぐらいまでだという。叩き上げのチャンスはあるものの、いつ何時失職の憂き目にあうか分からないのが、現世の一般大卒社員の運命だ。手に職を付けなさい。早ければ早いほどよい。思い切って義務教育を終えたら専門学校にしたらどうか。大学に行くなら一流までだ。私は高等専門学校を薦めたい。本HPの「農業大国日本」「さよならニッポン農業」で取り上げた農業と、漁業がリコメンドされているのに驚いた。日本の産業が空洞化し、失業が増え、経済力が低下すると外国から食い物も買えなくなる。今農業漁業の修練を重ねておけば、10年後は「ざまみろ」と左団扇で暮らせるかもしれない。
- 産業創設が日本の緊急の課題である。かって本HPに日本の資産の7割は高齢者に所属する、その高齢者に使わせることが国興しの近道だと書いた。本書には老人のユートピア計画が出ている。老人専用テーマパークとかプラチナタウンという名になっている。面倒を見ようともしない子や孫に遺贈させることはない、大いに働いた半生の儲けを豪勢に使い切ってもらい、最後はあの世にお送りする産業だ。
- あくまで民間企業として起業する。半官にでもなるとすぐ福祉政策に利用しようとする政治屋や官僚が現れて事業の成功を危うくする。豪華客船に介護設備、病院をも積み込んだような村を作るのである。ついでだが、豪華客船では健康保険は利かない。そんなところでは公的老人介護施設は不釣り合い不似合いだから進出は遠慮して貰う。6/27のNHKハイビジョン「世界街歩き」はパナマ市を取り上げていた。旧市街中央に、街の仕切りを示す背の高い石垣の遺跡がある。金持ちの町と貧乏人の町を区別する仕切りだと現地人が説明した。日本にはないが、類似の仕切りは今もアメリカのニュータウン(城塞タウンと言うらしい)に作られている。豪華客船の中にははっきり階級制を敷くものもある。安心のユートピアのためには、それぐらいの配慮は必要になる。
- かって日本には国民総中産階級時代があった。マスコミはそのノスタルジアから離れられない。だが世界の格差化は不可逆的に進行する。現状を正視した上で次の一手を考えねばならない。
('10/06/28)